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婚約破棄、承りました。ですが私の管理していた「国家予算」「精霊の加護」「魔導防衛網」は全て私有財産ですので、回収させていただきますわね?  作者: 桐谷ルナ


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第75話:永遠の決算日、第二部完結

 翌朝。

 ヴォイド・コア最上階の、玄関ホール。

 エリザベートは、いつもの黄金のドレスではなく、旅装用の、シンプルな紺色のワンピースを、纏っていた。

 頭の冠は、もう、被っていなかった。

 扇も、置いてきた。

 代わりに、手には、小さな旅行鞄が、一つ。


 隣のカエルスも、漆黒の外套ではなく、ただの旅装の長外套を、羽織っていた。

 漆黒の剣は、まだ腰にある。でも、それは、女帝を守るためではなく、夫として、妻と二人旅の道中の、用心のためだった。


 鞄の中身は、着替えが二日ぶんと、E-56789のクロワッサンが二つ。

 国家予算も、精霊の加護も、魔導防衛網も、一つとして、入っていなかった。かつて彼女が「全て私有財産ですので回収させていただきますわね」と宣言したもののうち、旅に持っていく価値があったものは、結局、一つもなかったのだ。


 ホールには、見送りに、ささやかな人数が、揃っていた。

 ローズ。セレーネとルシフェル。ジュリアンとリリアン。ケルベロス(三つの頭で、三つのリボンを、振っている)。

 四十一人の同志は、それぞれの世界で、月例会のクロワッサンを齧りながら、ホログラム越しに見送っていた。

 ファウストの一粒は、空中で、ゆらりと、優しく、回転していた。


「……皆様。お見送り、ありがとうございますわ」


 エリザベートは、深く、頭を下げた。


「では、参りますわ」


「お嬢様……いえ、エリザベート様。お気を付けて」


 セレーネが、無表情のまま、最も丁寧に、頭を下げた。


「貴女もよ、セレーネ。……ルシフェル氏、奥様を大切に」


「は、はい!」


 ジュリアンが、深く、深く、頭を下げた。


「皇后陛下。……いえ、エリザベート様。……あの夜、貴女に断罪されたこと。……本当に、感謝しております」


「ジュリアン様。それは、もう、何度も伺いましたわ」


 エリザベートは、艶やかに、しかし、これまでで最も柔らかく、微笑んだ。


「これからは、貴方が、リリアン様と、新しい妹たちを、丁寧に登録なさるのが、貴方ご自身のお仕事ですわ。私の許しは、もう、必要ございませんの」


「……はい」


「ローズ様」


 エリザベートが、未来の自分に、最後に、振り返った。


「私の代わりに、月例会の、長老役を。……それと、退屈なさったら、いつでも、E-56789のパン屋に行って、クロワッサンを齧ってくださいませ」


「ふふ。……承知いたしましたわ、エリザベート様」


 ローズが、深く、頷いた。

 二人の女帝は、しばらく、同じ顔で向かい合っていた。

 片方は、三千二百年ぶんの疲れを下ろした顔で。もう片方は、これから何も背負わずに歩き出す顔で。

 そして、それぞれ、それぞれの場所へと、別れていった。


 エリザベートとカエルスは、玄関を出た。

 外には、馬車も、護衛も、何もなかった。

 ヴォイド・コアの門は、二人が通り抜けたあとも、閉じられなかった。閉じる必要が、もう、どこにもなかったからだ。

 ただ、二人が歩くための、長い、まっすぐな道が、地平線へと、続いていた。


「……陛下。最初の目的地、お決まりですの?」


「いや。君の好きな方向に、行こう」


「あら。……陛下、たまには、決めてくださっても?」


「では、東に。朝日の方へ」


 二人は、手を繋ぎ、ゆっくりと、歩き始めた。



 その頃。

 遠い、遠い、第99000並行世界。

 卒業記念パーティーの会場で、銀髪の少女が、ジュリアンに、婚約破棄を、宣告されていた。


「——貴様との婚約を、今この場をもって破棄する!」


 会場の貴族たちが、一斉に、彼女を指差した。

 聖女と呼ばれる桃色の髪の少女が、勝ち誇った笑みを、浮かべていた。


 しかし、銀髪の少女——E-99000——は、震えなかった。

 ただ、扇を優雅に、閉じた。


「あら、ジュリアン様。……『婚約破棄、承りました』、ですわね?」


 彼女は、たった一人で、自分の私財を、完璧に、丁寧に、回収していく。

 誰も、彼女を助けに来ない。

 そして彼女もまた、助けを求めはしなかった。


 会場の天井に、わずかに、波打つような光が、走った。

 それは、遠い、遠い場所で、夫と二人旅をしている、エリザベートの「視線」だった。

 彼女は、ほんの数秒、E-99000を見守り、そして、満足げに微笑んで、視線を外した。


「……陛下。あの子、合格点ですわ」


「ああ。介入は、不要だな」


「ええ。……覇道は、もう、私の手を、離れましたわね」



 朝日が、ゆっくりと、エリザベートとカエルスの背を、照らした。

 彼らの後ろでは、宇宙の全分散ネットワークが、静かに、温かく、自立して、稼働を続けていた。

 遠くの卒業パーティーでは、新しい「私」が、自分自身の手で、自分自身を、救っていた。


「……陛下」


「ん」


「私、初めて、自分の歩幅だけで、歩いておりますわね」


「ああ。これからは、二人で、歩こう」


 女帝の旅路は、これで、ようやく、本当の意味で、始まった。

 行き先も、期日も、決算日も、決めないままに。

 長い、長い覇道の、ささやかで、温かい、続きとして。


 第二部——『多次元帝国・自己決算編』、ここに、完結。

 第二部、ここに、完結でございますわ。

 女帝が、扇を置き、冠を外し、ただの「エリザベート」として、夫の手を取って、朝日の方へ歩き始める——本作で、これ以上ない、穏やかで、温かい、結末を、お届けできたかと思いますの。


 第1話から第75話まで、長い旅路を、お読みくださり、誠にありがとうございました。

 エリザベート様は、もう、覇道を歩む必要は、ございません。

 ですが、宇宙の各次元では、これからも、新しい「妹」たちが、自分自身の手で、自分自身を救う物語が、無数に、生成され続けます。


 もし、皆様の中で、「もう一人のエリザベート」の物語が、見たい方が、いらっしゃいましたら——

 第三部『第99000世界編、ある一人のエリザベートが、誰の助けも借りずに、自分の卒業パーティーを書き直す物語』を、いつか、開幕させていただきますわね。


 【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】を、女帝のご退任への、最後の祝福として、ぜひ、お預けくださいませ。

 長い長い旅路、本当に、ありがとうございましたわ。


 桐谷ルナ

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