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第3話「夜に蔓延る煙」

「どれにしよっかな〜」

目の前にある沢山のケーキに、僕は胸を躍らせる。

南区では、スイーツなんてほぼ無い。ケーキなら尚更だ。grayさんは甘いもの好きなのに、街に無いからいっつも我慢してるんだよね……列車の中で食べよっかな…いや、列車には机はないのかな……。


…だけど、流石は駅と言った所だ。



「……?今のは?」

僕のすぐ横を、黒い何かが通り過ぎる。


「…あれは…」

関係者以外立入禁止と大きく書かれた扉が不自然に僅かに開いている。


(あの中に入っていったのかな?)


扉の目の前に立つと、隙間から冷気が流れ込んでくる。


僕はドアの中を覗く。


螺旋階段になっている。…どうやら、この中に入っていったみたいだ。 

「…猫かな?……——!いや、子供かもしれない!」

子供だったら危険だ!一刻も早く助けないと!


キイィィィィ………


金属が擦れる音を鳴らしながら扉が開く。


「……」


周囲を見回す。


……よし、だれも見てない。

「待ってて!今行くよ!」


バタン。


……喧騒が、扉一枚で急に遠くなった。

吐く息が白い。…この先は冷蔵庫か?

「街はいつも肌寒いけど…これは流石に寒いね…」


背筋に悪寒が走った気がしたけど…きっと寒いからだ……そうに違いない。

僕はライターを取り出す。タバコは吸わないけれど、やっぱり便利だ。

「…行くか」

小さな火を頼りに、僕は奥へ足を踏み入れた。





————◇————





「うぅっ…寒い…」


どれくらい歩いたっけ。指と耳の感覚はとうに消えて、千切れそうなくらい痛い。

……そろそろトランクを持っている指が取れそうだ。

僕は、トランクを床に置く。


かじかんだ手をライターにかざす。……無いよりはマシと言った程度だけど。


階段が終わってから相当歩いたけど…まだ何も見つからない。

「はぁ…どう…すれば…——ん?」


僕は落ち着いて凍りつきそうな耳を澄ます。


ガチャン……


ガチャン……


ガチャン……


何か聞こえる。……大体500m先といったところだろうか。……練習しておいて良かった。


でも、あまり良くないのは、それ以外何も聞こえないことだ。


「あったかいのかな?そこ……」

僕はまた歩き始めた。



———◇———



「ここか…」


ガチャン


ガチャン


ガチャン


音が大きい。もう目の前だ。

僕は目の前の白く凍りついたドアを睨む。

「やぁ、久しぶりだね。ドア君。……君は出てくるのが随分と遅いね」

僕はドアノブに手をかける。


「いたっ!」

冷たい。それもすごく。

……良く見ると、ドアノブにはびっしりと霜が張っている。……意識がぼんやりしてた。


……うっかりしてた。


「…ライターで…温めれば…」

僕はドアノブをライターで温める。


……霜が引いていく。

「よかった。まだ、僕の頭は……大丈夫。」

慎重に指で触れる。

……よし、大丈夫。

「……と言うか、そもそも何をしようとしてたんだっけ?」


…前言撤回だ。僕の頭はもうダメかもしれない。

……でも、開けないと。


なぜかわからないけどこの扉を開けなくてはならない気がする。いや、絶対に開けないと。



なんで?



そんなことを考える体力はもう1ミリも残ってない。

僕は考えなしに腕に力を込める。


………これが僕の中で最も最悪の選択だとは知らずに。




———◇———




「遅いな」

ヘイルはちゃんと約束を守るやつだ。

…なのにもう30分は経っている。

さっきまでケーキのショーケースを見てたはずだが…いつのまにか姿が消えている。


嫌な予感がする。……やはり心配だ。


「あいつどこに…おっと」

振り返ると、猫の置物があった。

……あれに足をつまずいたらしい。

…顔の右半分は、皮膚が剥がれたように歯車が露出しており、目が本来ある場所にはカメラのようなレンズがついている。

レンズは、俺の姿を映していて、まるで何もかも見透かしているようで、底がない。…それとなく不気味な感じがする。


「……」


できるだけ気に留めないように、俺は前を向く。



ジャキッ



「——!?」

弾かれるように音がした方を振り返ると……いない。あの猫が跡形もなく消えている。


「足…跡…」


代わりに残っていたそれは、一直線に向こうにあるドアまで続いている。

それに加えて…もう一つの足跡。

見慣れた靴底だ。


「…ヘイル…のか」

あいつ…靴は一つしか持ってないはずだ。


…今朝のこともそうだ。なんでこんな…


「……仕方ねぇ…」


とやかく考えても仕方ないな…行くしかない。







———◇———







「なんなんだよ…ここは…」

扉を通って……大体1時間は経ったか?階段が終わってからと言うものの、一向に景色が変わらない。



キイィィ…………



はるか遠くからドアが開いたような音が響いた。


「——っ!?」



ビュォォォ!!



直後、通路の奥から凄まじい大突風が押し寄せてきた。

あまりの暴力的な冷気に、立っていられず膝をつく。髪が激しくなびき、目を開けることすら許されない。

(クソ……意識が……っ!)

身体の芯まで一瞬で凍結させていくような、殺意に満ちた絶対零度の風。



やがて、突風が嘘のようにピタリと止んだ。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

毛先が凍っている。


…………さっきので凍死する所だった。


「ちっ…あぶねぇ……」

指の感覚はまだ戻らない。


……あの急速に凍死していく感じ…明らかに異常だ。


「ここには…何かある」

それに、さっきの音…ドアが開くような…——!

その時、凍りついた床を滑って、俺の足に何かが当たった。


ヘイルのトランク。


「…まさか…ヘイル…か?」


ドアが開いたのは音的に……1kmといったところだろうか。そんだけ離れてこれなら…

「ヘイルが…危ない」



———◇———



「っぜぇ…っはぁっ…」

1km走るのはさすがにキツイ。

「くそっ…はぁっ…ここ…だ…はぁっ…な」

ドアノブには霜が張っている。…直接触ったら火傷しそうだ。

「何か…ないか…」

銃、違う。ライター、違う。お菓子?な訳がない。


ん?ライター?


ライターがあるじゃねぇか。……疲れと寒さか?

そんなことは…今はどうでもいい。

俺はライターを当てる。

良く見ると……ドアノブの一部がテンパーカラーで染まっている。…ライター程の温度で鉄を炙った際にできる物だ。



……あいつか。



……よし、霜が引いた。

さっきと同じく突風が来るかもしれない。が…


躊躇ってる暇は無い。


「…待ってろよ。ヘイル」


キイィィィィ…




「…?こ…ない」

俺が想像していた突風と冷気は、俺を襲うことは無かった。

だが……扉の中にあったのは……


ガチャン


ガチャン


ガチャン


……3軸トゥールビヨンだった。およそ5mはある。大きな部屋に収まっていた。


「ヘイル!!」


その側にはヘイルが横たわっていた。


「おい…っ———…」


冷たい。


脈がない。


誰でも見りゃわかる。



——死んだ。



「死んだやつは、戻らない」


わかっている。今までもそうだった。


それは絶対的なルールで、覆ることは無い。


「いや、助けられますよ」




その時、唐突に背後から男の声が響いた。


……あの時の猫だ。…喋っている。見間違いじゃ無い。置物のはずのそれが、滑らかに口を動かして喋っている。


「私と契約…いや、依頼を受けてくれさえすれば、対価として、彼を助けられます」


何言って…


猫はトゥールビヨンを顎で指す。


中を良く見てみると……真ん中に何かある。


「依頼の内容は単純です。時空を歪ませている者を私の目の前に連れてくる事。半殺しでも構いません。」


猫は一歩、また一歩と近づく。


「時空を歪ませる方法は数え切れない程あります。未来に行ったり、予言や、呪いだったり、はたまた……」


レンズが、妖しく光る。




「死に戻り…などですかね」




(死に戻り…まさか…あれは…)


「1番困る点は、それらを使える人は何度でも行使可能な点です」

猫は淡々と続ける。

「使われれば使われる程、歪みが大きくなって行きます。ですからその前に、私の目の前に連れてきてほしいのです。未来を勝手に壊されてはいけませんからね」



「いつまでだ」



「一生です。お望みなら、永遠にしていただいても結構ですが」



一生。


俺はヘイルの顔を見る。


この化け物の猟犬として生きるか。


プライドと仲間と……これからできるかもしれない大切な物を捨てるか。


拳を強く握りしめ、猫を睨みつけた。


最初から、選択肢なんてない。




……やるしかない。



「やってやるよ。おまえの依頼」



「その答えを待っていました。では……」


ガチャン


…後ろのトゥールビヨンが完全に停止した。


光っている。…中にある何かが。




気づけば、俺は光に向かって手を伸ばしていた。




手に持っていたのは……腕時計だった。随分と特殊なデザインだ。


「契約成立です」


ガチャン……


カチ……カチ…


カチカチカチカチカチカチカチ


手の中で、時計が肌が焼ける程の熱を帯びる。

歯車の音がどんどん大きくなっていく。


針が、凄まじい速度で逆回転している。


「では、また会いましょう」



遠ざかる意識の向こうで、猫の冷ややかな声が響いた。



「——過去で。」

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