具現化する思考
まさかこんなところで。。。
速水への気持ちが大きくなっていく一方で、これまでと変わらず賢哉への愛し方も変わらないように思えた。
今日は久しぶりに賢哉と美術館に行くことになっていた。
森の中にある美術館は、丘の上に枠だけがあったりと、自然と芸術の融合が美しいと話題になっているスポットだった。
コキアの赤が広がる丘から、遠くの山々が見える。
「沢山歩いたな。喉も乾いたしお昼にするか」
その言葉に丘のふもとにあるレストランに入る。
「先に行ってて」
賢哉に告げて席を立った。手を洗い、鏡の前に立つ。
風で乱れた髪を整えながら、ふと自分の顔を見つめた。いつもなら眉を整え、口紅をひくだけ。けれど今日は、淡い色のアイシャドウまで重ねている。
——少しは、綺麗に見えるかな。速水さんに見せたかったな。だけど、こんな場所にいるはずがないよね。
最後に髪飾りを留め直し、扉を開けた。
——その瞬間、時が止まった。
数歩先に立つ背中。
白いシャツの肩の線。
振り返った横顔。
速水だった。
——どうして……
言葉が出ないまま立ち尽くす私に、彼の視線が重なる。
驚きの色が浮かび、それでもすぐに柔らかく整えられる表情。
「……三浦さん」
その呼び方が、胸の奥を締めつける。
私は今、夫と来ている。それを言わなければならない。
隠す理由なんてない。
「今日は……その……」
やっと絞り出した声は、小さかった。
「主人と、食事に来ていて……」
一瞬だけ沈黙のあと、速水は微かにうなずき、変わらぬ穏やかな表情のまま言った。
「そうですか。いい時間を」
それだけ。なのに……
胸の奥で何かが静かに軋んだ。
軽く会釈を交わし、すれ違う。肩が触れることもない距離。席に戻る途中、ふと思う。
なんか最近願いが叶っている。
いつもより着飾った自分を見せたかった。そう思って開けた扉の向こうにいるなんて。
今日の事もたまたまだとしても余りにもタイミングが良過ぎはしないだろうか。しかも、ここ暫くは似たようなことが頻繁に続いていて、偶然という言葉で片付けるには不自然な確率で願いが叶っている。
私の中で光る希望をしきりに掬い取っているように、ちょっとしたことでも思考が現実化し、その度に今までとは違う何かの始まりを心の奥で感じていた。
そういえば、どうしてこんな所にいたんだろう?
問いかけるように視線を巡らせた瞬間、あの背中が目に入った。
鼓動が、理由もなく速くなる。けれど次の瞬間、胸の奥に別の衝動が生まれる。
まさか……
ここはデートスポットとして話題になっている場所だ。一人で来たとは考えにくい。胸の奥にじわじわと広がる疑念が、視線を押し出すように動かす。
見てはいけないものを確かめるように、周囲へと視線を滑らせた。
——見たくない。だけど……
確かめずにはいられない自分がいる。
もし誰かと一緒だったら?
恋人? 違う、出ていったといっていた家族かもしれない。
そのどれもが現実としてあり得るのに、心のどこかで違っていてほしいと願っている。
自分勝手だ。
胸の奥で即座に自分を断罪する声が響く。彼に誰かがいることは、何一つ間違っていない。自然なことだ。
なのに、違っていてほしいと思う。そんな自分の胸の内に生まれたその願いが、許せない。
私には帰る家があって、守ってくれる夫がいて、不自由のない生活の中にいるのに。
それでもなお、勝手に惹かれて、そして今、勝手に傷ついている。
そんな資格なんて、どこにもないのに。
言葉にすればするほど、自分を削る刃のように胸に食い込む。
彼の幸せを祝えず、むしろ、その光景を否定したくなる自分がいる。
なのに、どうしても止められないの。
理性で押さえ込んでも、この感情だけはどこにも消えてくれない。抗おうとするほど深く絡みついてくる。
誰といるの?
視線が人混みを越え、テーブルの並ぶ一角で止まった。
幼い子どもが無邪気に身を乗り出して笑っている。
その隣りに女性がいるところへ速水が歩み寄り、腰を下ろした。
ああ、やっぱり。
胸の奥に小さく灯っていた何かが、静かに音を立てて崩れていく。
目を逸らしたいのに逸らせない。
当然だ。彼には彼の時間があって、大切にしている世界がある。
それなのに……どうして、こんなにも苦しいの。
何も始まっていないし、約束された未来なんてない。
踏み込んではいけない場所に心を置いてしまっていたのだと、今さら思い知らされていた。
願いの叶え方は、素直さ。
また、秘訣を教えるね!




