モノクロの世界
目の当たりにした真実は、心を揺るがす
幼い子どもに向けられた笑顔と、隣にいた女性を思い出すたび、胸の奥が締めつけられ、呼吸が浅くなる。
もう速水の顔を見たくない。彼と出会話なければよった。
あのふわふわと宙を歩いていたような錯覚から、一気に地面に落とされたように霧が晴れた。
速水さんには速水さんの人生がある。
寂しさや悲しみを感じていい立場ではない事は、重々に理解してる。二人の未来に期待なんてしていない。
なのに、どうしようもなくこの現実を受け止められない私がいた。ただ心から速水を忘れようと決めた時から、目に映る世界が、色がない無機質なものになった。
期待するから苦しいんだ。いつまでも頼っていないで家族に気持ちを戻そう。そう思い直し、速水と出会う前の生活へと戻そうと、思考の中から速水を消した。
心の中でいつも速水に呼びかけていたが、思考の中から消して生活するのだ。
けれど陽気さに輝いていたはずの世界は、無機質な白黒の世界を歩いているように色を失った。
これでいい。
この先この世界で過ごす事になろうとも構わない。速水の生活を邪魔などしたくなかった。
これから、どうやって彼と向き合えばいいんだろう。けれど、母が良くなる為にも速水に托すのが一番だとわかっている。そこに、私の感情など関係ない。
車椅子を押し、母をリハビリ室へ連れてゆく。看護師に任せてもいいところだったが、娘として出来る限られたことだ。本当は、それを理由にリハビリに付き添い、二人の様子を見ていたが、今は速水の声を聞くのが辛い。
本当は、速水に直接お願いしたいところだったが、泣き出したい気持ちを抑え、速水と目が合わないように廊下に出ることで精一杯だ。
部屋の奥から聞こえてくる速水の声に、胸の奥に溜まっていたものが溢れ、気づけば涙が頬を伝う。
忘れたいと思うほど、過去の思い出が蘇る。そして悲しみにくれる夜、静まり返った部屋で携帯が震えた。
——速水さん
表示された名前を見つめたまま動けなかった。
「何かありましたか? 今日は少し様子が気になって」
おそるおそる開いたメッセージに書かれた気遣いが嬉しいのに、それでも感情を押し殺し、速水を愛してはいけないことがつらい。
「大丈夫です。少し疲れていただけです」
すぐに返事が来た。
「そういえば、この前美術館で一緒にいたの、妹と姪なんです。海外に赴任していて、一時帰国していたので、観光に付き合わされてました」
——え? 奥さんじゃなかったの。
速水を愛していけないと思うただけで、あんなにも崩れてしまったのに、誤解だったなんて。
またしても、私の一番欲しいことを言葉にしてくれていた。言葉にしなくても、私の不安を感じてメッセージを返してくれたとしか思えない。
「メッセージをありがとうございます」
——また好きになってもいいの? 心でつぶやく。
もう、引き返せないところまで来ているのかもしれない。
一度諦めた気持ちは、どうなっていくのか?




