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夢と同じ

抱きしめてなんて言ったから……

 夢と同じ。


 耳に高鳴る鼓動だけを感じている。

 これまで経験した事のない溶けるような心地よさだ。すると彼の右手がそっと太ももからその上に伸びてきた。


 えっ、抱きしめて欲しいなんて言ったから…….


 夢は続きを教えてはくれていなかった。

 

 こういう事になるのか……ただ夢を再現したかっただけなのに。

 けれど何もかも忘れ、この夢から覚めたくないと思ってしまうのに、一方で理性が働いた。


 膨らみに触れられた手に私の手の平を重ねるとその手を掴みビルの壁の上で重ねる。


 そしてまた、夢の中へ。


 再び夢への入り口に戻りかかると今度は、先程とは反対側の腰に手が回ってきた。


 これは夢じゃない。


 求めていたはずの安心感は、欲望によって三次元へと戻される。年頃の男子だから仕方ないという思いと、ただ愛だけに包まれていたかったという思い。

 もう片方の手のひらも同じように膨らみから外すと、先ほどの右手に重ねた。

 冗談にして流されても仕方がないと思っていたのに、軽率だったのかもしれない。

 けれど次の瞬間、視界がふっと狭まり温もりが触れたとき、拒まなければならないはずなのに、離れようとする理性より先に、安堵が胸を満たしてしまった。

 やがて何事もなかったように腕を離すと、「帰りましょうとだけ言った。


 天秤にサラサラと注がれてゆく想いは、ゆっくりと傾きを変えてゆく。


 もう一度あの安心感に包まれたい。


 イケないと知りながらも止められない薬のように。

 あの優しくて低い声が耳元を撫で、背中に当たる彼の胸、それに腰に回した手を思い出し、求めたくなる。


 あのまま拒まなければ、どこまで進んでしまったのだろう?


 鼓動を感じるように、あの時の夢のような情景を幻影に重ねる。

 そして翌日のリハビリも、速水の担当だった。

「はい、ここの筋肉を動かしていきますよ。そういい感じです」

 

 その楽しげな声に振り向くと視線がぶつかる。その直線で結ばれた先に手を伸ばして触れたくなるのに触れないもどかしさ。それを忘れようと、作ってきたお弁当を鞄からだすと、リハビリが終わるのを待っていた。

 

 今日も喜んで食べてくれるといいな。


 自分の出来る事を考えながら、リハビリの様子を眺めている時間がとても幸せだ。

 栄養バランスを考えながら買い物をしているだけで、野菜や果物までもが輝いて見える。



 私の出来る事で返したいな。


 誰もいない家に帰る淋しさを食事が癒やしてくれるのならと思う。母の足を支える速水の声は穏やかだった。

「大丈夫です。ゆっくりでいいですよ」

 ただ寄り添うように落ちてきたその言葉に、強ばっていた母の表情が静かにほどけていく。

 出来ないことを指摘するのではなく、出来るところを見つけてくれる。

 その姿を見つめているうちに、不意に胸の奥に古い記憶が触れた。

 ——静かな食卓。

 両親と向かい合い、箸の持ち方や姿勢を正される。きっとマナーとして間違っていなかったのだと思う。

 けれど求めているのは、そんなガラスの糸がはったような食卓じゃない。楽しげに会話のある場にしようと、友達が楽しそうに話していた話題を切り出した。

 父は笑うことなく、黙々と箸をすすめる。そのそばでコップに手を入れ掻き回す弟を見ると、楽しそうに頷いた。

 怒らないんだ……

 自分の存在が家族にとって必要なのか、何が正しいのか分からなくなっていった。

 それはいつしか癖になり、人と関わる時どこか一歩引いてしまう私を形づくっていた。

「いいですね、その動き」

 速水の声に意識が戻る。

 母が小さく息をつきながら頷いている姿を見ていると、胸の奥がじんわり温かくなった。

 母も、こんなふうに認めてもらいたかったんだろうな。

 そしてそれは、隣で見ている私まで包み込むようだった。張りつめていたものが、少しずつ解けていく。

 うまく言葉にできない安心感。何かを頑張らなくても、ここにいていいと思える空気。

 家族みたい。

 血のつながりでも、役割でもなく、ただ互いを否定せず、受け止め合える関係。私がどこかでずっと求めていた場所が、ほんのひととき、この部屋の中に生まれていた。



一期一会、全ては必然


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