抱きしめられて
続きを見たくなる夢ってあるよね。
“一人で悩まなくていいですよ。何かあれば、どんな事でもいいので連絡下さい”
以前悩みを相談した時に、そう言って、連絡先を教えてくれていた。
夢の話なんて出来ないけど、母のリハビリに関することなら不自然じゃないよね。
でも、でも、でも……
そして何度も躊躇したすえ、息を整えた。
『おはようございます。朝から色々あって大変でした』
これ位なら迷惑にならないよね。すると、すぐに既読ななった。
『大丈夫ですか? 何かありましたか?』
水に浮かぶ木の葉のように揺れる感情に、すぐ返信が来ただけでも救われる。
『ありがとう。大丈夫です』
そう返信したものの、夢で抱きしめられた時の感覚が、頭から離れない。その続きを望む自分がいる。
夢だけなんて……もっとメッセージを送りたい。
そんな葛藤に携帯を手にすると、胸の痛みに心を寄せる。たかが家族と担当の理学療法士。これ以上、求めてはいけない。
そう思い直した時だった。寝室の扉が開き、起きてきた賢哉がスマートフォンを手に顔をしかめている。
「急だけど、出張が入った」
不意に告げられた一言に、胸の奥が小さく揺れた。安堵なのか、戸惑いなのか、自分でも判別がつかない。
「今日は帰らない」
その言葉が弦を弾くような直感に心がざわめく。
――夢の続きがもし叶うのなら。きっと……
これ以上求めていけないと諦めた瞬間に、出張が決まった。今日は日勤だ。見舞いに行くとしても遅くなるから、リハビリにも間に合わないし、見舞いに行くのは諦めていたけれど、こんなタイミングで出張なんて。
これはきっと、ススメ。
いつの頃からか、流れに身を任せる事でススメとトマレを判断するようになっていた。抗うよりも流れに委ねた方がいい。これまでの経験がそう教えてくれた。
もしかしたらまた偶然、速水に会えるかもしれないという、賭けのような思考がよぎる。
これが運命なら母を見舞ったあとに会える気がする。
そんな根拠のない期待を抱く。
——そして夕方。仕事を終え見舞いに向かう道すがら、電車の乗り継ぎも、人の流れも、不思議なくらい滞りなく進んでいく。
やっぱりススメだ。
だからと言って、そう上手く夢の続きがあるなんてありえないと思っている。ただ、速水の働く職場に来れただけで、切なさを癒せる気がした。
病院に到着した時は、すでに日は傾きロビーも人影まばらだ。もちろんリハビリだって終わっている。
「お母さん、今日は家に泊まって、洗濯してからまた明日来るね」
母の夕食を見守ると、部屋を後にした。
明日は仕事が休み。リハビリに付き添えると思うだけで、この苦しみからがれられる希望がみえる。
外へ出ると街灯の影ら鈴虫の音が聞こえる。
もしかして……
そう思ってあたりを見回す。
——やっぱり、そんな都合よくは会えないよね。ひと目会いたかったな。
胸に小さな落胆を抱えたまま、諦めるように駅へ向かって歩き出したそのとき、走りよる足音が止まったかと思うと、呼びかけられた。
「三浦さん」
「えっ、なんで……」
まるで心の声が届いたように、夜気の中に立つその姿を見つけた瞬間、鼓動が強くたたく。
「速水さん……」
思わず声がこぼれる。どこか夢の続きのようで、足元が少し浮ついていた。
だって今朝……
目覚めた直後まで残っていたあの感触を、まだ覚えている。なのに、そんな自分の気持ちを抑えていたのに。
「こんなに全速力で走ったの……久しぶり……歩いているのが見えたから」
息も絶え絶えに呼吸をしていた。
「今朝のメッセージが気になってて。三浦さんの大丈夫って言葉は大丈夫じゃないでしょ?」
やっぱりわかってくれるんだ。そう思うとふいに涙が溢れた。
「だって……」
言葉が続かない。速水は何も急かさず、ただ静かに待っている。
「速水さんが……家族として、理学療法士として関わるって言ったの、わかってます。それが正しいってことも……」
喉の奥が締めつけられる。
「でも、心が……追いつかなくて」
涙が頬を伝う。
「こんなこと……」
正しさがとがめる。けれど私を突き動かす程、あの夢は特別だった。
「今朝、夢を見たんです。速水さんが出てきて……」
自分でも何を言っているのかわからない。
それでも止められなかった。
「変ですよね。でも私、昔から……夢が現実になることがあって。父が事故に遭う、数ヶ月前にも同じような夢を見ていて。父にも夢の話をして、気をつけてっていっていたのに」
幼い頃から何度かあった、小さな符合。偶然で片づけるには残りすぎた記憶。
「そして……この夢も普通じゃなかったの。そういう時に見る夢って、ハッとめざめて、夢と現実の堺がないの。だから今朝の夢も意味があるって……」
声が震える。
「夢が、教えてくれたと思った……だけどイケナイって心が責めるのに……今は、抱きしめられたときの安心感が忘れられなくて……」
「はい」
速水は変に畏まっていた。いい出せない私を焦らせる事なく、次の言葉を待っている。「……ごめんなさいっ」
夢の話がなんの役にたつというのだ。その瞬間、我に返ったが、あまりの恥ずかしさに走り出していた。
顔が熱い。胸が苦しい。
何から逃げているのか、自分でもわからないまま。
ビルの裏手の通路に入り込み、暗闇へ逃げ込んだ。
——行き止まり。
振り返るより先に、背後から足音が近づに振り向くと、速水がこちらを見て立っていた。穏やかな沈黙。一瞬目があったが、身を隠すようにビルの壁に肘をつき顔を手で覆う。
視線を上げられない。
虫の音。
呼吸の音。
「どんな夢だったんですか?」
「夢で……夢の中で抱きしめてくれて……」
「わたし、一体何いっているんだろう。ごめんなさい、変な事を言って……」
「――いいですよ」
チェロの音色のような静かで、優しく響く低い声が後ろから静かに包み込んだ。
叶えていい夢と、叶えてはいけない夢。
それは誰が決めるんだろう?
普通。。。
その普通はだれが決めたの?




