第二十一話 二回目の満月の夜
――コンコン
窓を叩く音に顔を上げた紗良は、ベッドから立ち上がった。彼女の腕の中には、狼の姿ですやすやと寝ているヴォルフがいる。
紗良は、ヴォルフをそっとベッドの上に置くと「ちょっと待っててね」と囁いた。
窓には新しくカーテンがかけられていた。紗良はカーテンを引きながら、
「アレックス――」
こちらを向いている男性の名前を呼んだ。
窓を開けながらアレックスは、
「一か月ぶりだね」
アレックスの言葉に曖昧に頷きながら紗良は、彼に丸椅子を差し出した。アレックスが椅子に座ったのを確認した紗良は、自身もベッドに腰を下ろした。
後ろ手にヴォルフが寝入っているのを確認した紗良は、表情を硬くしながらアレックスを見据えた。
「どうした?」
彼の言葉に、紗良は膝の上で拳を握りながら、
「この一か月、色々なことがあったわ。この島の管理をしているカイルのお陰で、ヴォルフと何とか生活して、ジョバンニっていうこの子の執事も島に来て、彼にも色々なことを教えてもらったの」
紗良は、黙って彼女の話を聞いているアレックスに視線を交わさないまま話し続けた。
「ヴォルフのお母様――あなたの妹さん。三番目の側妃様なんですってね。
この国では、正妃様が一人に、側妃様が二人。それで合計六人の子どもを産む。
召喚士が今まで一世代で番を召喚した最大人数が五人だったから、最大にその恩恵を受けることができるように、五人の子をもうける。残りの一人は、スペア。
正妃様と側妃様、権力が偏ることなく、公平に侯爵以上の身分の者から選ばれる」
紗良はそこで言葉を切った。二人の間に少しの沈黙が流れる。黙り続けるアレックスのそれを肯定と取った紗良は、俯いたまま話を再開した。
「あなたの家も侯爵だそうね。それで、あなたの妹さんは正妃として陛下に嫁ぐ予定だった。でも――ご両親が馬車の事故で亡くなった。」
「そうだ」
アレックスは、ギリと奥歯を噛みしめた。
「当時俺は、学生だった。両親の死後、俺が父の代替わりをしたが、貴族らは未熟な俺を見て――」
悔しそうに顔を歪めるアレックスの眉間の皺が、月明りでより深くなっている。
「そんな時だった。当時学生だった今の正妃が、俺の妹に言いがかりをつけてきたんだ。もちろん、妹は無実だったが、この世界では権力が正義だ。
当時勢いのあった公爵家の令嬢だった正妃の主張に、誰も異を唱えることなんてできなかった。両親を失って求心力を失った俺ら侯爵家にできることは何もなかった――陛下と妹との婚約は、解消するしかなかった」
アレックスは言い終えて顔を上げた。縋るような眼差しで紗良を見た彼は、
「でも、陛下と妹は確かに愛し合っていたんだ。婚約者として長年築いてきた二人の絆は、誰にも断つことはできなかった。――陛下は、アーサーは、何年もかけて、国王としての義務を果たした。六人の子どもをもうけて、慣例に従った。それで、ようやく、妹を彼の第三の側妃として迎えたんだ」
「そう。あなたの妹さんは、ようやく好きな人と結ばれたのね」
紗良の冷たい声音に、アレックスは眉を顰めた。紗良は、彼の様子など気にも留めずに、鋭い視線を彼に向けながら尋ねた。
「――でも、だったらどうして、それで終わらなかったの?」
黙って紗良を見つめるアレックスに、紗良は、冷ややかな視線を投げた。
「なぜ、あなたの妹さんは、ヴォルフを身籠ったのかと聞いているのよ。国王の寵妃が身籠ったら、正妃や側妃がどんな反応を示すのか、私でも容易に想像がつくもの。あなたたちだって分かっていたことだわ。確実にヴォルフは狙われる。彼が権力を得ないように影に追いやられる。今のようにね。
アーサーと妹さんは、ちゃんとそこまで考えてこの子を産んだのかって聞いているのよ。
正妃や側妃たちの悪意からこの子を守る覚悟があなた達には、充分にあったのかと聞いているの」
アレックスは、顔を真っ赤にしながら声を荒げた。
「お前に何がわかる! 黙って聞いていれば偉そうに。じゃあ、なんだ、君は、妹が、レイラが、ヴォルフを産まなければ良かったといっているのか?! あいつは、自分の命を犠牲にしてヴォルフを産んだんだぞ!」
「違うわ! 産んだのなら、産むことを許したのなら、なぜ、血のつながっているあなた達が責任を持って、この子を育てないのかと言っているのよ!
妹さんが亡くなったのはとても悲しいことだけれど、じゃあなぜ、ヴォルフは、島に追いやられたの?
アーサーの最愛の人の忘れ形見として、なぜ城で大切に育てられなかったの? あんなになるまでやせ細って、あなた、この子の姿を見て泣いていたわよね?
なら、なぜあなたがヴォルフを引き取って育てなかったの? 誰にもこの子が懐かなかったから? 私が、運命の番だから?
一生誰にも懐かない子なんていないし、番なんて、召喚しなければただの異世界に住む他人なのよ!」
俯きながら拳を握り黙り込んでいる彼の頭上に、紗良は、話し続けた。
「カイルもそうよ。あの子一人にこの島を任せて。あの子、読み書きもできないのよ。知識はすべてじいじから。必死でじいじに聞いてこの島で生きる術を覚えたの。じいじ、じいじ、って彼を慕って。そんなに慕っていたじいじだって、あの子を置いてあっさりと島を去ってしまったし――。
あんな素直で優しい子、双子で瞳が濁っているというだけで――ひどすぎるわ。
ジョバンニもそう。彼、第三王子が番を得られなかった腹いせでこの島に流されたのよ。ぼろぼろのボートに乗せられて。それに彼、いつも自分の角の形を気にしているのよ、彼もきっとカイルのように家族に何か言われたんだわ。
そんな理不尽な仕打ちを受けている子どもたちがこの島にいるのに、なぜ、あっちの人たちは無関心なの? あんな穏やかな海、なぜ一人も彼らのことを心配をして渡ってこないの? なぜ、彼らは、こんな辺鄙な所に幸せそうに留まっているの?」
紗良の言葉を聞いたアレックスがわずかに目を見開いた。困惑した表情を浮かべている。
「なに? あなた、何も知らなかったの?」
紗良は、蔑むような目つきで大きくため息を吐いた。
「ようやくわかった気がするわ。なぜ、あの召喚士がわざわざ無能な私をここに召喚したのか。
召喚士はね――自分のことしか考えない、子どもを道具としか考えていない、自分勝手な考えのあなたたちに愛想が尽きたのよ。
家族を大切にしないで、クソみたいな理由で平気で子どもを捨てて、番の恩恵ばかりを欲するクソみたいな人たちの国、そんな国を発展させようなんて、女神様も召喚士も、誰も思わなくなったのよ」
言い終えた紗良は、後ろを振り返った。すやすやと寝ているヴォルフを抱き上げた彼女は、
「三人は、何が起きても私が大切に育てるわ」
立ち上がった彼女は、アレックスを振り返ることなく寝室を後にした。
満月の光を背に受けたアレックスの顔が悲しく影を帯びた。




