第二十二話 紗良と後悔先に立たず
「うう。言い過ぎてしまったわ。どうしよう――」
紗良は、居間の床にうずくまっていた。古びた毛布を頭からかぶっている。
「もしかしたら、アレックスも、のっぴきならない事情で、泣く泣くヴォルフを手放したかもしれないのに――」
一体どうしたらいいのと、紗良は、頭を抱えてうずくまった。
「あ、でも、もしのっぴきならない事情なら、せめてヴォルフに何か仕送りとかそういうのをするわよね?
私だったらどんなに時間がなくてもそうするわ。それに、侯爵くらいならたくさんの人を雇っているわけだし? そのなかから数人を島に派遣するくらいできるんじゃない?
あ、でも、ご両親が亡くなって――。はぁ。でも、それにしたって、ヴォルフに服の一枚も送ってこないなんて――そうよね。あそこで怒り狂っても良かったわよね。大丈夫よね」
顔を上げた紗良は、少し表情を明るくした。しかし、すぐに俯いて、
「――でも、あそこまで言う必要はあったかしら。もっと優しく相手の話を聞いて、そして、当たり障りのないやさしめの口調で、波風を立てないように相手を諭すってこともできたんじゃない?」
うううと項垂れる紗良。
彼女の横でジョバンニが、
「言ったもんは、仕方ないだろ。それにしてもお前、面白かったな。侯爵相手に、一方的に怒り狂って。それで、『私が、三人を幸せにするわ』って宣言して、だんだんって部屋を出て――」
クククと肩を揺らしながら、
「それで、お前、部屋を出てすぐに正気に戻ったろ? 『あ、ここ、私の部屋だった』って呟いてたよな。それから、しばらく部屋の前でうろうろして、それで、トボトボと居間におりた――」
ジョバンニは、「俺も耳が良いんだよ」と小ぶりな細長い耳をぴょこんと出して見せた。
「ううう。後悔先に立たず、後に立たずだっけ? もう、どっちでもいいわ。とにかく、もう、あとの祭りね。でも、やっぱり――あんなにきつく言わなきゃ良かったぁあああ」
紗良の叫び声にうるさいなと耳をしまったジョバンニは、呆れた様子で言った。
「お前、嫌なことは隅に追いやるんじゃなかったのか? 一晩で何とか自分を慰めるって言ってただろ。もう言っちまったもんは、仕方ないんだし、さっさと昨日のことは、隅っこに追いやれ」
ジョバンニの言葉に、紗良は俯きながら首を振って、
「ダメよ。私、他人に言われたことはすぐ隅に追いやれるけど――。
他人に言ったことは、全然追いやれないのよ。
あっちの世界でも何度時間を巻き戻したいと思ったか。
今もし時間を巻き戻せるなら、アレックスが来る前に戻って、寝室でもんもんとしている過去の自分を速攻で拉致するわ」
「だったら言わなきゃよかったろ? お前、よく俺に言い返すけど今回、侯爵様は何も言ってなかったろう。すぐにあいつに噛みついたのはお前だろ?」
「だって、一回目の満月の時にアレックスが来てから、私、ずっと彼が来るのを待っていたんだもの。
あんなに簡単に壁をよじ登って、窓から入って、ぴょいって簡単に帰ることができるなら、彼、当然毎日ヴォルフに会いに来るだろうなって思ってて。
それなのに、次の日に来ない、数日たっても全然来ない、一週間経っても、全然音沙汰無し。段々と腹が立ってきてたのよ。
だって、アレックス、ヴォルフの寝返りすら見てないのよ」
紗良は、ヴォルフを見遣った。ヴォルフは、紗良が作ったクッションに囲まれて楽しそうに手を動かしていた。クッションをポンポンと叩きながらキャッキャと体を上下させている。
そこへ、眉尻を下げながらカイルがお盆を手に居間に入って来た。
「紗良さん、大丈夫っす。侯爵様の事情は俺らにはわからないっすけど、俺のことは、間違ってないっす。俺、結構嬉しかったっす。俺、家族に捨てられて、じいじが突然島からいなくなって、本当に悲しかったっす。だから――」
カイルの言葉にジョバンニが同意しながら、
「俺も、結構スッキリしたぞ。フランツ殿下が俺に嘘ついて俺をここに送ったこと。俺も結構むかついていたし、だから、お前がそのことを侯爵に告げ口してくれて嬉しかったしな。ま、言い方はあったのかも知れんけど、俺には、わからん」
頭の後ろで手を組んだジョバンニは、そのまま仰向けになった。
「ま、俺らはそんな文句、侯爵相手に言ったら速攻罰が下るから一生言えないけど――、お前は、番様だからな。言いたいこと言っても大丈夫だろ。陛下ですらお前を処罰することは出来ないからな」
「え? そんなに番様ってすごいの?」
紗良は、すっぽりとかぶっていた毛布から顔を出した。
「まあ、女神様の力で異世界から召喚された神聖な番様だからな。誰も、お前に手出しをしたり、傷つけることはできないんだ。だから、たとえお前が陛下に同じように文句を言ったとしても、お前が不敬で首を刎ねられるなんてことは起きない」
「え? じゃあ、陛下がここに来たら私、あいつにも文句を言っても全然平気ってこと?」
紗良の嬉々とした表情にジョバンニは、ため息を吐きながら、
「お前、言い過ぎたって反省してたんじゃないのかよ。不敬で処刑されなきゃいいのかよ? さっきのあれは何だったんだ?」
「いえ、違うのよ。アレックスへの言い方はまずかったわ。反省しているの。でも、あいつらに不満が無いかって言ったら、あるわよ。
あの人たち、私たちに、食糧と最低限の物資しか送ってくれないじゃない? まあ、送ってくれるだけ良いのかもしれないけど、ありがたいと思わないといけないんだけれど。
でも、ヴォルフの身の周りものって私がすべて夜なべして作ってるし、母ちゃんが夜なべよ? どこの時代って感じよね。
ヴォルフが本当に不憫で――。つい、腹立たしくって――。あ、でも、だめ、だめ、働きもしないで食糧を頂いている身でそんな偉そうよね。ダメだわ」
「紗良さん――」
朝食をテーブルに並べ終えたカイルが、ヴォルフの前に座りながら紗良を呼んだ。
紗良は、顔を上げてカイルを見た。
「どうしたの?」
「ヴォルフ殿下に、もう朝ご飯あげたっすか? ヴォルフ殿下の歯茎に白い――」
カイルは、指に布を巻きつけた。そっとヴォルフの下唇に布を近づけたカイルは、布でトントンとヴォルフの下の歯茎を叩いた。
「あっ。硬い。これって――」
「え? うそ!? ヴォルフもしかして」
紗良は、バサッと毛布を後ろに投げて素早くカイルの隣に移動した。ジョバンニも体を起こして、四つん這いでヴォルフの目の前まで来た。
三人でヴォルフの口を凝視する。
「これって――」
「歯じゃない!? ヴォルフ、歯が生えてきたんだわ!」
紗良は、目に涙を浮かべながら歓喜した。嬉しそうにヴォルフの口を覗き込む。カイルとジョバンニも嬉しそうに笑顔を見せながらヴォルフの小さな口を眺めている。
「これから、どんどん歯が生えてきて、いろんなものが食べられるようになるわね。一本生えたら、後はあっという間よ。野菜畑も大きくしないと――」
ジョバンニは、ヴォルフの口元に人差し指を近づけながら、
「野菜畑って、まだ、早いだろ。一本ちょこっと白いのが見えてきただけで、大げさだな。――でも、これ可愛いな。結構しっかり硬いぞ」
「ちょっと、ジョバンニ、手は洗った? そんなに触って取れたらどうするのよ」
慌ててやめなさいよと紗良は、ジョバンニの腕を掴んだ。もうと、頬を膨らませる。
「とれるはずないだろ。あ、そうだ、お前、ヴォルフの歯が生えたから恒例のあれか? ちんぴらパーティ――」
嬉しそうに尋ねるジョバンニに、カイルが暗い表情を見せた。
「ん? カイルどうしたの?」
紗良が首を傾げた。
カイルは、俯きながら、
「ちんぴらパーティは、当分なしっす」
「なんでだよ。あんなに大葉生い茂ってたぞ。それに、野菜だって、芋だって充分あるだろう?」
ジョバンニが腕を組みながら尋ねた。
「冬の準備を始めなきゃいけないっす」
「冬の準備?」
「そうっす。冬は、島に、荷物が届かなくなるっす。それに、今年は四人でこの島でひと冬を過ごすことになるっす。だから、食糧も、薪も、全部今までの二倍っす。そろそろ節約するっす」
カイルの言葉で、紗良は初めてテーブルの上を見た。テーブルにはいつもの半分の量になったパンとスープが置かれていた――。




