第二十話 紗良と三人の幸せな一か月
「紗良さん、今日のあれはどうだったっすか?」
居間に入って来た紗良にカイルが笑顔で尋ねた。彼は、テーブルにパンを並べている。
「おはよう、カイル。今日もしっかり出たわ。順調よ。あなたの薬草の配合完璧だわ」
紗良は、笑顔で答えた。テーブルに近づきカイルに手伝うわと言って紗良は、お盆の上から人数分のスプーンを手に取った。
「――殿下、今日は、番様のおクソ時間、長くなかったですよー。うんうん唸ってなかったし、くっさいお屁も今朝はなかったですよー。さわやかな朝でしたよー」
ジョバンニはサークルの中に手を伸ばしながら、楽しそうにヴォルフに話しかけた。
ジョバンニの太い人差し指をむんぎゅっと掴んだ赤ちゃんヴォルフは、きゃっきゃといいながらジョバンニの指を振り回している。
「あなた、朝から何てこと! なんでも『お』をつければいいってもんじゃないのよ!」
紗良は、声を荒げながら目を吊り上げている。カイルは、眉尻を下げながらも手を休めることなくスープの配膳を続けていた。
「なんだよ、カイルも俺も、お前の腹の具合を心配してるだけだろうが。言葉遣いくらい――ったく、朝からガミガミ、面倒臭えな」
ジョバンニは口を尖らせながら紗良を横目で見た。紗良は、ジョバンニの言葉に戸惑った様子を見せながら、
「ほ、本当に私のことが心配なら、カイルみたいにちょっとは隠しなさいよ。さりげなく、あれとか、それとか――あなたは単に私を揶揄っているだけじゃない。
あなた、私のお腹事情を話している時、心底楽しそうに笑顔なのよ。一体それのどこが心配しているって――」
「さ、朝ごはんできたっす! みんなで食べるっす。ジョバンニさん、ヴォルフ殿下を連れてきてくださいっす」
二人の不穏な空気を察したカイルが、パンと手を叩いて笑顔を見せた。
「――はぁ。やっぱり朝は、味噌汁よね。この芋も私の世界のジャガイモとほぼほぼ一緒。あつあつのジャガイモのお味噌汁を朝から食べられるなんて、ああ、私、幸せ者だわ!」
紗良は、両手で深皿を持ちながら恍惚な笑みを浮かべた。彼女を横目で見ながら、今度はジョバンニが納得のいかない表情を浮かべている。
「お前、ほんっと感情がころころ変わるよな。さっきまであんなに目を吊り上げて怒ってたくせに」
ジョバンニは「まったく、おかしな番様ですね」とヴォルフに言いながら彼の口許へとスプーンを運んだ。
ヴォルフは、パクっとスプーンにかぶりつくと「だぁー」と口を開けて手をバタバタとさせた。口からはみ出た赤い汁を、紗良は、あらあらと言って拭き取った。
ジョバンニと紗良の間に座っているヴォルフの周りは、ふかふかのクッションで囲われている。
紗良は、ヴォルフの口を拭った布をテーブルに置きながら、
「やめてよ。人を情緒不安定みたいに。おばちゃんはね、気持ちの切り替えが早いのよ。いつまでも怒ったり泣いていたりしている暇なんてないの。
落ち込んだって、泣いたって、こんなばばあ、誰も慰めてくれないんだもの。
何か言われたら自分で自分を慰めて、一晩くらいじゃ忘れられないくらいに嫌なことを言われても、とりあえずそれを隅に追いやる。
自分に都合のいい事だけ、好きな事だけをしっかり覚えて、それで頭を溢れさせて余計なことを考えないようにする。
そうやって、あっちの世界を生きてきたのよ。おばちゃんの精神力は、最強なのよ。
それに、あなたの生意気さなんて、そりゃあむかつくけど、可愛いもんよ。秒で処理できる案件。だから、このお味噌汁だって美味しく頂けるのよ。
あっちの世界のみなさんは、ニコニコしながら、もっとどろっどろで、でゅろっでゅろの言葉を容赦なくばばあに突き刺してくるんだから――」
「なんだよ。どろどろのでゅろでゅろって――」
ジョバンニは、眉を顰めた。カイルも困惑した様子で紗良を見ている。
紗良は、なんともないといった様子で、芋を頬張りながら、
「むぐ。ん。まあ、あっちの世界のことは、置いといて――私にとっては、ヴォルフも、カイルも、ジョバンニもみんな息子のようなもんよ。
年齢だって私とあなたたちとじゃあ、親子ほども離れているんだし――ジョバンニ、あなたは、反抗期の息子ってところね。
どんなにあなたが私に噛みつこうとも、かすり傷一つ負わないわよ。かわいいもん。
母ちゃんが、世間からのストレスフリーで、島でのんびり三人の子育てをしてるって、そんな感覚よ。ま、私、母親になったことないからわかんないけど――」
「結局わかんないのかよ。なんなんだよ」
「お、俺は、母ちゃん、嬉しいっす。ヴォルフ殿下が弟で、ジョバンニさんが、え、えっと、兄っす」
カイルが恥ずかしそうにジョバンニを見上げた。紗良は、カイルの表情を見ながら嬉しそうに眉尻を下げた。
ジョバンニは「な、なんだよ。急に――」顔をふいと背けた。彼の耳がほんのりと色付いている。
「ふふふ。照れちゃって――。ヴォルフ、ジョバンニ兄ちゃんは、案外ツンデレかもしれないわね」
紗良は、ヴォルフを抱き上げた。彼のお腹に顔を埋めながら、
「ヴォルフ、カイル、ジョバンニ、みんな私と一緒に暮らしてくれてありがとう。私、ずっと一人暮らしだったから、一人でやってきたから、ここで初めて家族ができて、今、私、本当に幸せだわ」
「お前まで――。どうしたんだよ、変だぞ? 今日は、ブッとか、ぐうううとかないのかよ」
「ふふふ。今日は、無いわ。それにね。こういうことは、恥ずかしくてもすぐにちゃんと伝えるもんなのよ。あなたたちも、言いたいことは躊躇せずにすぐに話すのよ。そうしないと――絶対に後悔するから」
「な、なんだよ――め、面倒くえせぇな」
戸惑いを隠せないジョバンニ。彼をちらりと盗み見た紗良は、ふふふと笑みを浮かべると、ヴォルフのお腹に頬ずりをした。
彼のお腹にもう一度顔を埋めた紗良は、深く息を吸った。
彼女が震えながら吐く息に、ヴォルフは、くすぐったそうにキャッキャと笑いながら手足をバタバタと動かした。
――ほんと、幸せだわ
紗良が異世界に転移して一か月が経った――。




