ささやかな抵抗
前章では、陽生学園のオープンスクールに参加して、敦を含む野坂家に希望の光が見えてきました。大樹とひろみは、無理やり教室に入れることを諦めて、温かく見守ることにしました。そのとき、陽生学園第二高校から電話があり、学園祭に誘われました。
さらに、テレビを見ているときに、福井県にある不登校に手厚い指導をする南陵高校を知り、敦が連れて行ってほしいとせがみました。本章では、敦が陽生学園第二高校の学園祭へ行けるのか、また南陵高校のオープンスクールに参加できて敦の進路が変わるのかを描きたいと思います。
(1)新たな出発
10月31日(土)にオープンスクールで、陽生学園第二高校と第一高校の生徒や先生たちとの交流により、野坂家は少し余裕が出てきた。敦は、昼からしか登校せず、少しカウンセリングルームに顔を出す程度だったが、ひろみが休みのときは午前中から行くようになり、カウンセリングルームに行くだけで教室には入れなかった。
しかし、大樹もひろみも、敦を陽生学園への進学させてもいいと思っていたので、無理強いすることもなかった。一方、大樹は他にも良い受け入れ先があるかもしれないと思い、ホームページを確認すると、陽生学園は三重県に第一高校と第二高校があり、兵庫県に第三高校があることに気づき、敦に「陽生学園だが、兵庫県に第三高校があるけど見に行くか」と微笑みながら聞いてみた。敦が「嫌だ!!殺す気か!!」と強い口調で断ってきたので、大樹は「わかった」と答えた。
敦が、陽生学園第三高校を断った理由は、2009年の夏ごろに、転校したばかりの生徒が柔道の部活中に気分が悪くなりトイレに行ったが、その生徒が帰ってこないことを心配した関係者がトイレに見に行ったところ、倒れていたので病院に救急車で搬送したが亡くなったことが全国ニュースで報じられたからである。ただし、敦を含む大樹やひろみも、今後、陽生学園第三高校と関わりを持ち、敦の人生に大きな影響を与えることは知る由もなかった。
それ以降、大樹は福井科学技術大学との共同研究が本格化するとともに、福井への外勤も増え、敦賀では新しく上司になった阿南から多くの業務を押し付けられて、帰る時間も21時過ぎという状況になったが、ひとつ救いと言えば、土日祝日が休めるだけだったので、平日は敦と関わることが少なくなっていた。
11月5日(木)、21時過ぎ、大樹が帰宅した。3人は先に夕食を済ませて、居間でくつろいでいた。ひろみが、大樹の食事を居間に用意し、大樹が食事を始めたとき、ひろみが「今日、陽生学園第二高校から電話があって、11月14日(土)に陽生学園第二高校の文化祭が津市総合会館であり、見に来ませんかと聞かれたので、敦に聞いたところ、行くと言うので申し込んだ。でも、その日はパートなので連れて行ってくれない?」と言った。大樹は、疲れていたが、できることはやろうと決めて「わかった」と答え、文化祭に行くことが決まった。
11月14日(土)の朝、小雨交じりの肌寒い朝だった。7時過ぎ、野坂家の4人は朝食を食べて、車に乗り込み出発しようとしたとき、敦がいつものように「熱があるから、今日は行かない」と言った。大樹は特に無理させるつもりはなかったので黙っていた。一方、いつもは敦をかばっていたひろみが鬼になり、「あんたが行くと言ったのでしょう。今日は行きなさい」と怒鳴った。敦は「俺を殺す気か…」と大声で答えた。ひろみが「死にやしないよ…お前、もう少ししたら熱が下がるだろう。いいから行きなさい」と言い、車のドアを開けて敦を押し込み、ドアを閉め、大樹に「ロックして、発車して」とすごい剣幕で言った。大樹もひろみの勢いに押されて「お…お…」と言いながら、車を走らせた。
敦は「熱が38.5℃あるんだぞ…死んだらどうするんだ」と大樹に言ってきたので、大樹が苦笑いで「お前が倒れたときは、救急車呼んでやるから心配すんな」と答えた。敦は、しばらくは機嫌が悪かった。
約2時間で津市文化センターに着いた。大樹が「どうする?降りるか?」と聞くと、敦は機嫌悪そうに「わかったよ」と答えた。大樹が「今日は見るだけでいいんだから、心配すんな」と言うと、敦は「わかった」と答えた。
車を降りると、陽生学園第二高校の生徒が、一生懸命発声練習やダンスの練習をしていた。中に入り、受付を済ませて、決められた席に座る。周りには敦と同じ中学生と保護者の姿が多く見られた。
文化祭が始まり、吹奏楽部、コーラス部、各寮対抗のダンス大会、放送部等の催し物が繰り広げられた。敦も朝は具合が悪かったが、治ったみたいで食い入るように見ていた。さらに、休憩時間には美術部等の作品が飾られているところを見て回った。全てが終了して、久居の天下一品ラーメンで食事をしたとき、敦がポツリと「寮に入る必要がなかったら、俺、陽生学園第二高校に決めるのに」と言った。
これから、野坂家では高校進学という最高峰の壁に向かい、紆余曲折を経験するのであった。
2) ささやかな抵抗
12月に入り、福井県敦賀市にも冬の足音が近づき、空がどんよりと曇り、ときどき雨が降り、冷たい強風が吹く日も多くなった。敦は朝から中学に行くことが多いが、相変わらずカウンセリングルームに通っている。変わったことと言えば、カウンセリングルーム登校は全校で3人だったが、約10人に増えたことであった。
大樹がいつものように21時過ぎに家に帰り、夕食を食べていると、突然、ひろみと敦が、背筋を伸ばし、敦が恐る恐る「福井市にある南陵高校が不登校生徒を積極的に受け入れているみたいで、12月12日(土)にオープンスクールがあるので、連れて行って」とお願いしてきた。大樹は珍しいなと思いながら「別に良いけど、何時から?」と聞くと、敦がパソコンでホームページを見せてきた。
大樹がホームページを確認すると「9時開始、自家用車での参加はご遠慮ください」と記載されている。大樹は「当日は8時の電車で行かないと駄目だな。最寄りの駅はどこかな?」と聞くと、敦が「大土呂」と答えた。大樹が「お前、陽生学園みたいに私服では行けないから、制服に着替えないと行けないが、大丈夫か?」と聞くと、敦は「大丈夫だよ」と苦笑いで答えたので、大樹が「制服に着替えなかったら行かないからな。ところで、お前、陽生学園に行きたくないから言ってきたのか」と聞くと、敦は苦笑いをしながら頷いた。大樹が「わかったよ、連れて行く。ところで、ひろみ、学校に電話して南陵高校のオープンスクールに申し込むように頼んでね」と頼むと、ひろみは「わかった」と答えた。
大樹は、当日やその後の厳しさを予測していたが、本人が頼んできたことは無下にできないと思い了承した。ひろみは次の日に、上野へ連絡して、12月12日の南陵高校のオープンスクールに申し込んでもらうことをお願いした。
(3)理不尽な説教
12月12日(土)、どんよりとした曇り空で、強い風が吹き、雪が舞っている寒い朝だった。外の天気は、敦の悪あがきに対して、逆風が吹いているような感じであった。野坂家では朝食を取った後、敦が珍しくキビキビと支度を始め、既に制服に着替えて、大樹と夏帆に「はやく、行くよ!」と急かしていた。この様子を見て、敦に陽生学園への進学という現実が近づいているという危機感からの悲しい抵抗であると思えたが、大樹も夏帆も支度を終えて、ひろみに駅まで送ってもらった。
敦賀駅の5番ホームには食パン電車という古い電車が待っていたので、それに乗ると外の寒さが嘘のように暖房の暖かさが3人を包む。電車が発車すると、すぐに北陸トンネルを潜った。このトンネルは12kmと長いため、約20分は窓の外はコンクリートしか見えない。トンネルを出ると、雪が積もっており、吹雪が電車を叩きつける。これが、川端康成の「雪国」という小説での「トンネルから出ると雪国だった…」という景色であった。
電車は8時40分頃に大土呂駅に着いた。大土呂は小さな待合室がある無人駅で、駅前には何もない。同じく大土呂で降りた親子連れが何人かいたので、大樹と敦及び夏帆の3人は、ついて行った。道中、田んぼの中のあぜ道を通り、その先に白い校舎が見えたので、それが南陵高校であった。強い風の吹雪が3人に当たり、凄く辛かった。まさしく、敦の悪あがきの結末のようであった。
約10分位歩き、門を通り、体育館の受付に到着した。大樹が「敦賀南中学の野坂です」と言うが、名簿に名前が無かった。しかし、受付の女性が「オープンスクールに参加してもいいですよ、3年1組の教室に入れ」と言われて、3人は教室に向かった。大樹は心の中で「上野の野郎、申込み、忘れたな…」と腹を立てていた。3年1組の教室に入ると、暖房が程よく効いており、3人はほっとして空いている席に座った。
教室では教師らしき30歳の女性が、中学時代に不登校等の厳しい経験をした生徒が南陵高校での生活を経験し、進学や就職のした経験等の説明を行うとともに、学校行事や予定を説明していた。大樹は、この学校が不登校だった生徒に手厚く指導できるのであれば、陽生学園のような高い月謝を負担しなくてよいのにと淡い期待を抱いた。しかし、敦も陽生学園に入学すると寮に入らないといけないので、しがみつこうとしていたが、2人の期待はもろくも崩れるのであった。
説明を終えた後、体育館に移動して席に座ると、校長らしき50代位の先生が、入学金や月謝等の説明を行い、個人面談に移った。大樹は、夏帆に席で待つように伝え、事前に渡されたアンケートを記入して50歳位の背の高い先生のところに座った。
その先生は「今日は、どのような思いで参加されたのですか」と聞いてきたので、大樹が「うちの子は、現在、学校に行ったり行かなかったりを繰り返し、学校では別室登校しており、教室には入っていません。ここで、この学校が不登校だった生徒に手厚いと聞いて来ました。そこで、正直にお聞きします。不登校経験者に対し、どのようなフォローをしていますか、例えば、無断欠席のときは迎えにきたりするのですか」と聞いた。すると、その教師は「そんなことするはずないでしょう。ここは義務教育ではないのですよ、学校に行きたくないなら高校なんか行かなくていいのですよ。わかってる。まあ、福井市で近ければ迎えに行きますよ。しかし、敦賀でしょう。そんなことしません」と言った。
大樹は、この学校は期待できないし、ただ行くだけの学校だな…と思いながら「この学校、不登校に対して手厚く指導しているとホームページに書いていますが、何を指導しているのですか」と聞いた。教師は「それはですね、まずは登校してもらうことですよ。学校に来ないと指導もできないでしょう。そこでだ、敦君、近くの中学にも行けない子が、電車に乗ってこれるか?それと、中学みたいな別室登校はここにはないよ。だから、ここに行きたいなら、明日からでも教室に入らないと、高校なんか通えないよ」と答えた。
大樹は、もうこれ以上は無理だと判断して、「わかりました。ありがとうございます」と言い、南陵高校を後にした。
駅までの帰り道、吹雪と向かい風がこれからの厳しい現実を突きつける。大樹は「敦、わかっただろ。ここに行っても、お前は通えなくなると思う。それでも、お前がどうしても南陵高校に行きたいならば、月曜日から教室に入ることだな。それが無理なら、もう、陽生しかないぞ」と言った。敦は、頭が整理できず、どう答えればいいか分からず「わかった」としか答えられなかった。
(4)ささやかな抵抗
帰宅後、大樹はひろみに「南陵高校最悪だったよ。いきなり説教されたよ。その内容も南中の先生と同じようなことだし、教室復帰させることができるなら、苦労するか…あんな学校、絶対行かせない」と声を荒げて報告すると、ひろみが「そうなの」と顔をしかめて答えた。大樹が「それでも、敦は南陵にしがみついているので、来週の月曜日から学校に行き、教室に入ることを約束した。それが駄目なら陽生かな!」と言うと、ひろみが「わかった」と答えた。
12月14日(月)、敦は制服までは着替えたが、38℃の発熱で学校に行けず、それ以降も行くことができなかった。12月15日(火)の21時頃、大樹が自宅に帰ってきて、1人でご飯を食べているとき、ひろみが進路希望表を渡してきて「22日(火)に三者面談があり、第1希望~第5希望を書いて持っていかないといけないけど、どうすればいいかわからないので、相談したい」と言うと、大樹が「敦、お前のことだ、ちょっと座って」と寝転んでテレビを見ていた敦に言うと、面倒くさそうに起き上がり「何?」と答えた。
大樹が「お前の進路の話なので、お前主体で書くしかないよね。ところで、学校に行き、教室に入っているのか?」と聞くと、敦は怯えた顔で答えようとしないので、大樹が「行ってないだろ」と聞くと、敦は「行ってない」と答えた。大樹は平静に「わかった」と答えた。大樹が「これ、どのように書く?」と聞くと、敦は答えないので、大樹が「第一希望は陽生学園第二高校でいいよね?」と聞くが、敦は涙目で首を振った。
大樹が「お前、南陵も筑産も学校に行く約束だから、これらは無理だよね。だけど、第2希望や第3希望に書けばいいと思うよ。ところで、なんで陽生を拒む?何か理由があるのか?」と聞くと、敦は「寮だ。寮が不安だ」と答えたので、大樹が「全ての寮を見せてもらえば、安心するか?」と聞くと、敦が「そうだ!」と答えた。
大樹が「わかった。1月9日に陽生学園第二高校のオープンスクールがあるので、それで全ての寮を見せてもらおう。それでいいか?」と聞くと、敦は「それでいい」と答えた。
大樹と敦及びひろみは、進路希望表を次のように記載した。
第一希望:陽生学園第二高校 普通科
第二希望:筑紫野産業高校 機械科
第三希望:南陵高校 普通科
第四希望:美浜高校 食物科
第五希望:敦賀技術高校 機械科
大樹は「第4と第5希望は、どうせ行けることはないので、適当に書いとけ」と言い、進路希望調査票を書き終えた。その夜、大樹は陽生学園第二高校のオープンスクールを申し込み、備考欄に「私服参加と全ての寮の見学を希望します」と記載した。
12月22日(火)、ひろみと敦が三者面談に行くと、案の定、上野から「第一希望と第二希望は知らないが、第三希望以下は厳しいです。家から歩いて約10分のところに通えないので、電車等で通うこれらの学校に行けないでしょう。ところで、陽生学園第二高校とはどのようなところですか?」と聞かれたので、ひろみが「不登校経験者に対して手厚い指導をする三重県の全寮制高校です」と答えた。
上野が「お母さん、現実わかっていますか?たかが10分の学校に行けない子が、寮生活できると思いますか?」と言われ、ひろみは反論することもできず、具体的な指導もなく帰宅したのだった。
大樹が帰ったときにこれらのことを報告すると「彼らは何も知らないだろう。俺らはこの目で見に行って選んでいるんだ。否定するなら他の案もアドバイスするのが彼らの仕事だろ。まあ、いい。俺は7月から彼らを頼りにしていないから、願書さえ書いてもらえばいいから、何も言わなくていいよ」と声を荒げて答えた。大樹とひろみは、敦が上野の言葉にどう感じているかこのときはわからなかったが、中学卒業後に上野を黙らせることになるのは、誰もが予想していなかった。
ついに、2009年の激動の1年は締めくくられることになるが、2010年の当初、陽生学園第二高校に再度オープンスクールに行き、予想もできない対応に大樹もひろみも度肝を抜かれ、敦が腹をくくる姿を次章で描きたいと思います。
陽生学園のオープンスクール後、敦は学校には行くが、カウンセリングルームに通い、教室には入ることができなかった。大樹とひろみは無理やり教室に入れることをやめて見守ることにした。そのとき、陽生学園第二高校から電話で学園祭に誘われ、見に行くことになった。
学園祭当日、敦はいつものように発熱してぐずったが、ひろみが鬼になり、敦を車に放り込み、見に行くことになった。敦は元気よく一生懸命な陽生学園第二高校の生徒を見て「寮でなかったら、この学校に行くのに」とポツリと言った。
その後、テレビで福井県で不登校教育で評判がいいと聞いた南陵高校のオープンスクールに連れて行ってほしいと大樹に懇願し、行くことになったが、そこで先生から説教をくらった。敦は、どうしてもしがみつきたかった。
そのときに、三者面談の話があり、敦は大樹に「陽生学園第二高校は、寮に不安がある」と打ち明けたことで、再度オープンスクールに参加することになった。三者面談では、上野から南陵を含む福井の高校へは通えないと言われ、陽生学園第二高校では学校に通えない子が寮は無理だと答えられただけで、アドバイスは一切なかった。こうして、激動の2009年は幕を閉じることになった。
次章では、2010年1月9日に陽生学園第二高校のオープンスクールに参加し、学校の対応に度肝を抜かれ、敦が決断するまでを描きたいと思います。




