第十章:【現】傾く夕日
-1-
「おはよ、紫苑。体調はどう?」
教室に入ると僕をみつけ野田がこちらへとやってきた。
「おはよ。
もうなんともないよ。心配かけちゃったね。」
自分の席までいくと机の上にカバンを置いた。
射川はまだ登校してきていないのを知ってほっとする。
「紫苑君、大丈夫?」
今朝も見事に咲き誇った美しい秋桜の花瓶を抱きながら待雪椿が聞いて来た。
「あ、おはよ。ほんと、全然なんともないよ。
それより、今日も相変わらず綺麗だね。癒されるよ」
秋桜の花びらにそっと手を当てて花を愛でる。
やっぱり花はいいなぁ…。
花…。
花といえば…
また今朝妙な夢をみたような気がする。
そう…、花だ…。
花の夢だ。
日向が…花をもって…僕の…ところへ…
日向…。
そう…日向だ。
あれは…日向だった。
日向が僕の所へやってきて…僕に、花を…。
「おい、紫苑やっぱり大丈夫か?具合悪そうだぞ?」
「え?」
僕が突然黙り込んで動きを止めたのでそれを見ながら野田が僕の顔を覗き込んだ。
「あ…ううん。なんでもないってば。さてと…今日は午前授業だし気が楽だなぁ…」
僕がニコリと微笑むと待雪もつられてニコリと微笑み、
花瓶を持って教卓のほうへと歩いて行った。
「そうだ…昨日電話有難う。」
「あ…いや…うん。その話しは放課後にしよう」
なんとなく野田の歯切れが悪い。
珍しいな。
いつも淡々とはっきり喋るのに…。
何かあったのだろうか…。
「紫苑君、おはよう。」
後ろから声が聞こえた。
一瞬また無視しようかと悩んだのだが…
ゆっくりと振り向く。
そして席から立ち上がりながら言った。
「おはよう、射川。ちょっといい?」
そういいながらコートのボタンをはずしていた射川の腕をひっぱり
また屋上に通じる階段に連れ込んだ。
「良かった。僕も君に話したいことがあったんだ。」
射川がにこりと微笑む。
「良かった、じゃないよ。
あれからずっと悩んでたんだ。
体調の事といい夢のことといい…。
射川が全く関係してないって考えるほうが無理が出てくるんだ…。
病院で検査したらなんともないって言われたのに
今朝、ちょっと走っただけでまた心臓が痛くなったんだ…。
こんなんじゃ何も出来ないよ!
頼むから茶化さないで本当のこと話してくれない?
いったい僕に何をしたの?
なにか薬を盛ったんでしょ?
それとも尿検査の結果をそのまま警察に伝えいたほうがいい?!
それから“イネ=ノ”って名前はどこから出てきたの?
この前満天星ホールで言った“キク=カ”が誰か分ったよ。
それ、僕のことだったんだね?」
つい興奮して弾丸のように一気に話したら息が切れてしまって
思わず呼吸が乱れる。
大丈夫かい?と少し心配そうな顔をしながら射川が僕の顔を覗き込んだが
それに頷くとゆっくり呼吸を整えて
射川の目をまっすぐに睨み付けた。
「僕の話し、やっと聞く気になってくれたんだ?嬉しいなぁ…」
射川が目を細めさらに笑顔を膨らませる。
「冗談じゃないよ、
早く本当のこと言って!!」
「分った…分ったからどうか落ち着いて…。でないと
また倒れてしまうよ。
それじゃまた話しが進まなくなってしまうだろ?」
なんとなくその言葉に納得して
意識的に呼吸をゆっくりしてみる。
「紫苑君が本気で話しを聞いてくれる気になってくれて嬉しいよ。
ただ話しが少し長くなりそうだ。
今日の放課後あいてるかい?」
「え?あ……」
そういえば野田が話しがあるって言ってたんだ。
どうしよう…。
明日…は日曜日だし…。
少し悩む。
「都合が悪いかな?」
「あ…うん…ちょっと用事が…」
「そう…じゃあ…ひとつだけいいかな。」
「なに?」
「日向君にはあまり近づかないほうがいい。」
「え?…何をいまさら…だれも好き好んであんな奴に近づいたりしないよ」
「いや…真面目な話しなんだよ。」
そこで狙ったかのようにホームルーム開始のチャイムがなる。
やばい!急いで戻らないと先生が来ちゃう!
慌てて教室に戻ろうと射川を促す。
「とにかくそれだけはお願いだよ」
そういいながら射川も足早に階段を降りた。
その瞬間また微かに胸が痛むのが分った。
手で押さえなんとか自分をごまかす。
-2-
「射川と何話してたの?」
移動教室へ移動するとき野田がぼそりと聞いて来た。
「ああ…いや…別に大したことじゃ…」
「嘘つけ。紫苑、お前…射川が転校してきてから変だぞ。」
「え?」
確かに…
射川がやってきてからというもの得体の知れないものに束縛されている感じがずっとある。
そう。…だから…、
考えてみたら射川の言っていることにまともに向き合っていない自分がいた。
もし…射川の言っていることが本当だとしたらどうなる?
満天星ホールからの出来事をゆっくり思い返してみる。
あれが始まりだった。
僕と出会ったことが運命だと言っていた。
あそこで口にした“キク=カ”の意味…。
あの後倒れて…その後また倒れ掛かったところを外人と一緒に車で連れて行かれ…
僕の心臓を封印したとか言っていた。
たしか…邪悪な何かを封じるためだと…。
それから、次の日に射川は”イネ=ノ“と初めてそこで名乗った。
あのときもっとゆっくり話しを聞いていたら少しはなにか事態が変わっていたのだろうか。
だが…いきなりあのような話しを振られたら誰だって自分が馬鹿にされてるとしか思わないだろう。
けれど…
病院で検査しても何も引っかからない。
射川の名前と夢の中の人物の名前のリンク、
満天星ホールで最初に倒れたときに一緒にいたのは…射川。
薬どうこうの話しではないのだろうか…。
信じがたい…。
だがしかし、信じまいと思うほどどうしても信じざるを得ないルートに
思考回路が入り込んでしまう。
「紫苑?」
僕が黙り込んでしまったのを野田は少し不安そうな表情を作って聞いた。
「あ…ごめん。なんでもない…
いや…射川がね、日向にはあまり近づくなって言ったんだよ」
「ああ…なるほどね。確かに。お前ら二人揃うとろくなことないからな」
野田が苦笑いしながら両手を大げさに広げて見せた。
-3-
土曜日は午前授業で終わりだ。
全ての授業が終わり、僕と野田は食堂へとやってきた。
いつも午前授業のときはそのまま家に帰って昼食をとるのだが
今日は野田の誘いがあったので親に弁当を作ってもらった。
僕の大好きな芋の煮っ転がしとインゲンの煮物、プチトマトに砂糖の卵焼き、
それからサツマイモご飯だ♪
あとは食堂でホットココアを注文する。
完璧だ☆
野田は食堂で魚のフライのランチを頼んだ。
「いっただっきまぁ~す♪」
手を合わせた。
「うまそうじゃん」
フライを一口、口に入れながら野田が僕の弁当を眺めた。
「ふふ…♪煮物大好きなんだぁ♪よかったら一口どう?」
サンキューといいながらサトイモを一つ箸でとり口に放り込んだ。
「うん!おいしい!!」
「お前ら新婚夫婦みてぇできもちわりぃぞ!」
僕らの様子を見ていた日向が流し見るように言った。
日向と同じくらい背の高い男子生徒が後ろに二人立っている。
「これから部活?」
野田が眼鏡のブリッジを上げながら言った。
「そ。じゃな」
そういいながらトレーをもって他の生徒と一緒に離れたテーブルのほうへ行ってしまった。
「ところでさ、紫苑の家の近所に報妙寺って寺あるじゃん?」
すると冷たくも真顔で日向を目で追った紫苑の表情を捉えた。
野田の質問には答えずただただじっと日向を見つめ続けている。
その視線があまりにも凍てついていて思わずぞっとする。
「…紫苑…どうした?」
「え?」
やっとのことで野田の声に反応する。
「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてたみたい。何だっけ?」
「いや…、えっと…なんだっけ…そうそう。
寺!
報妙寺って寺が近くにあるだろ?」
「ん?ああ…あるよ。最近近くにカフェができてさ…凄い賑わいなんだ」
「そうそう、それそれ。親が行きたがっててさ…聞いたら紫苑の家の近くだっていうから」
「そうなんだよぉ。カフェが出来てからバスが観光客で混んじゃって。
今まではそうでもなかったから座れない日とか出てきて大変。
あ、よかったら今度一緒に行って見ない?僕も気になってたんだよ!」
「ええっ?!いや…おれ…カフェとかそういう雰囲気苦手。
てか甘いものそんな好きじゃないし…。
そういえば…お前さ…なんでココアに砂糖入れてんの?
そのうち糖尿病になるぞ?」
「これがいいんじゃん!とろけそうに甘くて最高だよ」
「げぇ。」
野田がまずそうに舌を出して見せた。
「あ…そうそう。ねぇ、話しってなに?
ほら、昨日電話で話があるっていってたでしょ?」
食べ終わった弁当箱を巾着につつみながら言った。
「ああ…。ここじゃちょっとな。場所変えようか。」
そう言って野田も食べ終わったプレートを持ち上げて席を立った。
-4-
僕がよく小説を読みにくる裏庭へとやってきた。
土曜日の午後。
一般生徒は下校してしまっていて
部活動の生徒も今は食事中。
まわりはいつも以上に穏やかに静まり返っていた。
風がざわめく。
今日は天気が特によく空が真っ青に透き通っている。
ベンチに座るとカバンからイチゴチョコを取り出した。
「食べる?」
そう言って野田に袋の口を向けたが野田は手でそれを遮って
僕の隣に腰を下ろした。
「あのさ…射川に聞いたんだけど…」
「え?」
「ほら…変な薬かがされて車で拉致られそうになったって言っただろ。
その事を射川に直接きいたんだよ」
「ええ?!」
野田の大胆な行動に思わず声をあげて驚いた。
「ストレートだなぁ…。で?射川はなんて?」
「俺には…到底言っていることが信じられなかったよ。」
「だろうね…僕だって信じられないよ。
けれど…信じてみないと辻褄が合わなくなってくるっていうか…。
病院の検査だって何も引っかからなかったし…」
「そうじゃなくて…」
「え?」
「そうじゃないんだよ…。紫苑、お前…」
突然野田が僕の目を真っ直ぐに見つめた。
野田と真正面からこんなに見つめ合ったのって生まれて初めてだ。
野田のめがねのレンズの奥で茶色の瞳がきらきらと揺れている。
野田らしくない。
「どうしたんだよ…
ねぇ、教えて。
射川にどんな風に話しを聞いたの?」
すると野田はうつむいて黙り込んでしまった。
「野田?」
「いや…。ああ…でも…。」
何を言おうとしているのかは分らないが
かなり迷っているようだ。
きっと、あの電話のときからずっとそうなのかもしれない。
こんな野田を僕は今まで見たことがなかった。
いつもストレートで淡々としていて
動きに無駄がなくて…。
そんな野田を悩ますなんて…。
射川の奴、一体野田に何を話したんだろう…。
すると野田は何かを決心したように
一人コクンと頷いてみせた。
「あのさ…日向に近づくなって射川に言われたんだろ?」
「え?…そうだけど…」
「じゃあ…同じように射川にも近づかないほうがいい。
むしろ日向より射川のほうが危険度高い気がするぜ」
「…ああ…。うん。確かに。」
「射川の話しだってあんなの全部作り話だろ、どうせ。
紫苑は信じることないんだよ。
お前犯罪に巻き込まれかけたんだぞ?
あいつの意図がなんなのかは分らないけれど
とにかくあいつには関わるな。
それが言いたかったんだ。」
「そう……。有難う。
そう言ってもらえてやっと安心できたような気がするよ。
だって最初相談したとき野田、つめたい事言うからさ…」
「ああ…ごめんごめん。お前が冗談言ってるかと思ってたんだよ。
でも射川本人がそうだって言ったんだから間違いない。」
「射川…なんて言ってたの?」
「射川?お前がなんか危険な状態にあるから助けたいって言うんだけどさ、
訳分らないだろ。
射川のほうがある意味危険だぜ。」
野田のその言葉を聞いてなんだか凄く安心した。
無意識に大きなため息が出る。
やっと今回の件で仲間を得たような気がしたからだ。
それまではたった一人で得体の知れないものを前に
どう進むべきがずっと悩んでいた。
今、この瞬間に野田が隣に立って手を取ってくれた。
それだけで一気に不安は小さくなる。
一度は不安を感じながらも射川の言葉を信じてみようかと思い始めた自分がいた。
だがしかし野田の客観的な意見で目が覚めたように思う。
やはり射川が言っている事は普通じゃない。
ここは毅然とした態度で接したほうがいいのかもしれない。
「次から射川と会っても、無視とまではいかなくても
挨拶以上の事はしないほうがいい。
もし待ち伏せされたら上手くスルーしろよ?
絶対二人になるな。
分ったな?」
野田はまるで小さな子供に言い聞かせるように僕の目を真っ直ぐに見た。
それに素直に頷いてみせる。
よし!と言うと野田はベンチから立ち上がり
大きく伸びをした。
「あ、俺さこの後図書委員の仕事あるんで一緒に帰れないんだけど
大丈夫か?」
「うん、平気平気。一人で帰れるよ。
野田と話して凄くすっきりしたよ。有難う」
そういうとカバンを肩に引っ掛けた。
「あ、そうそう。」
野田がめがねのブリッジを上げて見せる。
「この前さぁ、図書室で借りた小説、どうだった?」
「え?ああ…そういえばまだ読んでないんだった。教室に置きっぱなしだ。
取ってこないとね。」
じゃ、と手を振ると一度教室へ戻った。
机の中に例の小説がしまってある。
射川の話しを聞いてからすっかりファンタジー小説なんて
読む気をなくしていたのだが
もう大丈夫そうだ。
やっぱりファンタジーは小説で読むに限る。
ああ…なんだろう、
なんだか凄く心が軽くなったよな気がする。
今はあれだけ悩んでいたのが馬鹿みたいだ。
階段を上り3階の教室までたどり着くと
教室から楽器の音色が聞こえてくるのが分った。
ゆっくりと教室を覗き込むと、
射川とクラスメイト3名がバイオリンで合奏しているところだった。
思わずわぁと声を上げてしまった。
その声に皆が気づきこちらを振り向く。
「あれ、紫苑君帰ったんじゃなかったの?」
射川が小首をかしげる。
「あ…うん。ちょっと忘れ物。」
そう言って机の中から小説を取り出す。
が、目の前でバイオリンを見る機会があまりなかったもので
ついつい彼らの楽器を見てしまう。
「紫苑君、何かリクエストない?」
「え?」
女子生徒の一人が聞いてきた。
「今クリスマス会の曲決めてるんだけど、
もしなにかいい案があるならほしいな」
「うーん…曲ねぇ…。クリスマスソングじゃだめなの?」
「もちろんやるわよ。でもそれだけじゃつまらないかなって。」
机の上にたくさん広げられた楽譜をぱらぱらめくりながら言う。
「うーん…今すぐにはぱっと出てこないなぁ…。
今はなんの曲の練習してたの?」
「“きよしこの夜”をアンサンブルパートに分けて練習してたの」
「おお…なんか分らないけど凄そう。
ね、それ聞きたいな」
そういいながらウィンクして手を合わせてみせた。
「いいわよ。じゃ」
そう言うと皆バイオリオンを構える。
射川が皆に合図を送ると同時に合奏が始まった。
バイオリンの滑らかな音色が折り重なり、そして混ざり合う。
なんて美しいんだろう。
こんな近くで複数のバイオリンの演奏を聴く機会ってあまりない。
おもわず目をキラキラさせながらその音色に酔っていた。
やがて曲が終わると僕は思い切り拍手をしていた。
「すごい!!すごいよ!!かっこいい!!
僕思わず聞き惚れちゃった!!
アンコール!アンコール!!」
そういいながら拍手の手をやめない。
「そこまで喜んでくれるなんてうれしいわ」
女子生徒がちょっとテレながらニコニコと笑って見せた。
「じゃあアンコールにお答えしてもう一曲」
そして始まったのは
“もろびとこぞりて”。
それも僕が知っているしっとりとした曲調とは違い
少しポップな感じがして楽しい。
その楽しい演奏に僕は満面の笑顔を作って喜んだ。
「ビオラとチェロが入るともう少しメリハリが付いていいんだけどね」
と射川が微笑んで見せた。
「いやいや、十分凄いよ!!
これは本番が凄く楽しみだね!!」
とチャイムが鳴る。
「おっと、部室行かなくっちゃ」
そういって皆がバイオリンをケースに仕舞い、散らかった譜面などを
片付け始めた。
その傍らですっかり心満たされた僕は笑顔で彼らを見守っていた。
「じゃ、またね」
皆がバイオリンケースを引っ掛けて教室から出て行った。
もちろん射川も。
今までの楽しい空間が教室の中にまだぬくもりとして残っている。
一人椅子に腰を下ろして小さなため息をついた。
「いやー…面白かったなぁ…。」
無意識に独り言を呟いていた。
射川も普通に接する分には全然良い奴なんだろうけどなぁ…。
手にしていた小説をそっとめくった。
少しだけ読んで帰ろう。
-5-
橙色の光が教室いっぱいに差し込み
柔らかな光りの筋がきらきらと差し込んでいた。
グランドからは部活動を行う元気な生徒たちの掛け声が聞こえ
廊下の向こうからは吹奏楽部の楽器の音色や時折楽しげにおしゃべりする
生徒たちの声が通り過ぎて行った。
時間が止まりそうでとまらない。
こんな空間が僕は大好きだった。
気がつくと小説を半分以上読み進めていることに気がついた。
「あれ?紫苑何してんの?」
僕が小説にしおりを差し込もうとしたところで
日向が教室に入ってきた。
制服姿で大きなスポーツバックを肩に引っ掛けている。
「あれ?日向こそ。」
「俺?忘れ物。てかお前こんな時間まで一人でどうしたの?
誰か待ってんの?」
「あ…いやそうじゃないんだけど
小説に夢中になってて…。
…あ、もうこんな時間なんだ。
僕も帰らないと」
小説をカバンにしまいこんだ。
日向も机の中から教科書やらノートを取り出している。
日向の真っ白なスーツがオレンジ色に染まって見えた。
後姿がどことなく切ない。
「っれ~。おっかしいなぁ…」
何かをぶつぶつ呟きながら日向は机の中をあさっている。
なんて…赤い…。
夕焼けの色に染まって、日向のスーツが、背中が
真っ赤だ。
真っ赤…。
なんて…、
なんて赤い…
無意識だった。
気がつくとそれを手にしていて
日向めがけて振り下ろそうとしていたところで
はっとして我に帰る。
「……くっ…」
なんとかしてそれを理性で押さえ込む。
僕の気配に気づき日向が後ろを振り向いた。
「え?ど…どうした紫苑?!」
僕が胸を押さえて倒れているのに気がつきこちらに駆け寄ってきた。
「な…んでもない。ちょっと胸が痛んだだけ~」
そう言って無邪気な笑顔を無理やり作って見せるが
あまりの痛みにそれがゆがむ。
「おいおい…なんともない訳ないだろ…保健室行くか?」
日向が僕の肩にそっと手を掛けた。
「や…やめて…これ以上は…」
胸がさらに痛む。
これ以上は…
これ以上は…
まずい…
これ以上は…
なんとかゆっくりと呼吸を整える。
「本当、大丈夫だよ。思春期特有の痛みみたいだよ?医者もそう言ってたし」
「え…?そんな話し聞いたことねぇぞ?その医者大丈夫か?」
「大丈夫だって!」
ゆっくりと立ち上がるとカバンを肩に引っ掛け
じゃ、と言って教室を出た。
が…正直立っているのがやっとだった。
近くのトイレに入ると鍵をかけ個室内に倒れこんだ。
胸を押さえながら痛みになんとかして耐える。
なんだったんだ…いまのは…。
もう片方の手に隠し持っていたカッターナイフが手から音を立てて零れ落ちた。




