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花咲く歌を夜明けにつなぐ。  作者: 津森太壱。
【歌う花に幸あれ。】
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07 : 歌う花に幸あれ。

*前半ネフィス視点、後半アーシェ視点となっています。





「心を漸く得ましたか」


 庭園で、侍女と一緒に庭師の説明を聞きながら微笑むアーシェの後ろ姿を眺めていると、そろそろ時間だろうとばかりに現われたラトウィックにそう言われた。


「今さら欲しいとも思っていなかったがね。どう思われていようとも、あれはわたしのものだ」

「求めないなんて、まるで聖人君子だ」

「本当にそう思うかい?」

「まさか。ひどい人だと思いますよ。妃殿下は可哀想です。こんな人に愛されてしまうなんて」

「わたしは皇太子だ。国のためにあらねばならない。そのための、アーシェだよ。一つくらい許されるものがあってもいいだろう。でなければ、あまりにも、悲しいばかりだ」


 今は微笑んでいるアーシェ、明日も笑っていてくれるだろうか。ありのまま、変わらない愛をくれるだろうか。


「妃殿下はお心が広い」

「わたしの妻だ。当然だろう」

「あなたには最高のお方でしょうね」


 ふっと微笑むラトウィックの眼差しは柔らかく、遠くを見つめる姿勢は穏やかだ。

 本当なら、ラトウィックのような好青年に、アーシェは望まれるべきだっただろう。それを壊したのはほかでもない、ネフィスだ。これでよかったのだろうかと、今でも思わないことはない。だが、もう遅いこともわかっている。

 ネフィスはアーシェをただただ愛する自由を願った。


「アーシェに言うべきだろうか」

「なにを?」

「きみの婚約者は今も目の前にいる、と」


 きょとん、としたラトウィックに、ネフィスは少し苦い思いを抱く。


「わたしの許にいては、アーシェは望んだ幸せを得られないだろうからね」

「今さらですか」

「ずっと考えている。アーシェのことはわたしの我儘だ。だがアーシェは? わたしはアーシェの心を無視している。これからも、考えてはやれない」

「そう言いながら妃殿下を手放すことは考えておられない。ならば、僕にその話をするべきではありません」

「やはりおまえに嫁がせるべきだったかという、わたしの僅かな懺悔だよ」


 肩を竦めると、ラトウィックが笑う気配がした。


「僕を気遣ってのお言葉でしたか」

「おまえなら許せたかもしれない」

「無理ですね。アトナは死にました。今ここにいるのは、殿下の忠臣たるラトウィック・サイレです。僕はもうアトナではありませんよ」

「ラトウィックとして、アーシェを望んでもよかった」

「そうですね……僕にもそれくらいの熱情があればよかったんでしょうが、生憎と、僕には殿下以上の人がいないものですから」

「わたしに恩義を感じる必要はないのだよ?」

「救われたかったのは確かです。そして救われたのです。その事実だけは、これからも変わりません」


 穏やかに笑うラトウィックに、一時期は恐怖を感じさせた狂気はもう存在しない。そこにあるのはただ緩やかな、優しい心だけだ。


「いいのかい?」


 確認するように訊ねても、ラトウィックの笑みは変わらない。


「僕はあなたの《天地の騎士》です」


 真っ直ぐに向けられる忠誠は心地いい。


「……そうか」


 この命を救うことができてよかったと、心から安堵した。


「おまえが生き残ることを選んでくれて、よかった」

「残念でしたね。自分が惚れた女を嗾けてまで、僕を揺さ振ろうとしたのに」

「無駄なことをしたとは思わない。アーシェが欲しかった、おまえを失いたくなかった、あの頃のわたしはそれしか考えていなかったからね。同時に得られている今が、わたしには奇跡のように思えてならない」

「だから不安に?」

「なにが正しさかなんて、わたしにはわからないからね」


 間違いは許されない立場にある。だから、いつも判断は慎重になる。それでも、なにが正しいのかわからなくなるときはあるのだ。たとえば今、こんな話をラトウィックとしていていいのか、なにも知らないアーシェにすべて話すべきか、答えは決まっているのにネフィスは迷う。


「これだけは言えますよ、ネフ」


 久しぶりに愛称で呼ばれて、今は自由を得た友を無言で見つめた。


「僕もアーシェも、今は幸せです」


 聞くことができた言葉に、予想以上に、安心した。


「ありがとう、ラトウィック」











 一国の主が挙式するとなると、大変な行事になる。まず準備期間は長く、招待する人も多く、日程の調整は日々行わなければならず、いろいろと忙しく目まぐるしい。

 皇太子妃であるアーシェのときも、例外ではなかった。しかし、まるで随分と前から予定されていたかのようにとんとん拍子で進められ、問題が起きなかったのは、そこはやはりネフィスが綿密かつ大胆であった行動ゆえだろう。ネフィスがアーシェを迎えることは、アーシェが伯爵の婚約者となったときからすでに決まっていたことだったらしい。

 招かれたセムコンシャス王国の客室で、アーシェはあちらこちらから聞こえてくる音に耳を傾けながら、華やかな外景を眺めた。トワイライ帝国皇太子妃というより、婿入りする義弟の義姉としてここにいる気持ちのほうが強いアーシェは、虚弱な義弟がこの華やかさに負けやしないかと少し心配だ。


「アーシェ? 疲れたのかい?」

「……ネフィス殿下」

「ネフ、だよ」

「……ネフさま」

「うん。疲れたかい? 移動に少し手間取ってしまったからね」


 隣に並んで立ったネフィスを見上げ、差し出された手のひらに、アーシェは迷いなく己れの手のひらを重ねて身を委ねた。


「わたしは平気です。遅くに到着してしまったことが申し訳ないだけで」

「それは仕方ない。車が途中で故障するなんて、さすがにわたしも予想していなかったからね。ラトウィックに天恵で飛んでもらってもよかったけれど、疲れて飛びたくないと文句を言われてしまったし……悪かったね、アーシェ」

「気になさならないでください。ですが、挨拶は明日ですね」

「そのことだがね、どうもクロネイは、案の定というか、昂揚状態にあるようでね。悪いがつき合ってくれるかい、アーシェ」

「まあ……だいじょうぶなのですか?」

「今回はまあ、一時的だろうけれど」


 行こうか、と促されて、お祝いの行事中ゆえに夜でも明るく照らされているセムコンシャス城内へと、一歩踏み出る。廊下のそこかしこは飾られ、しかしその中を忙しく行き交う人は、夜でもたくさんいた。


「どうも今日の昼頃から熱が下がらないようでね。夕食を前にしてついに動けなくなったらしい。ファルム医師が宥めて、まあそのときに明日のことでいろいろと知識を授けたようなのだけれど……あのクロネイだからねぇ」


 心配しているのも確かだろうけれども、ネフィスの口調はどこか呆れていた。


「なにかと不安なのでしょうね……そんなところにわたしなどが行っても、だいじょうぶなのですか?」

「今は人恋しいだろうよ。王女は忙しくて、どうやらかまってやっていないようだから」


 あれはかまわれたがりだから、と肩を竦めてネフィスは笑う。


「抱きついてくるだろうけれど、わたしではないからといって、遠慮することはないよ。あれは本当に、純粋に、アーシェを慕う弟だからね」

「わたしが抱きつかれてもよいと?」

「わたしは心が広いからね」


 少しは「わたしのものだ」と思って欲しいところだが、ネフィスはそんなアーシェの反応すら楽しむくらいに愛してくれていると、今のアーシェは知っている。笑い合ってそんな会話ができるくらいには、漸くアーシェも自分の心に素直に向き合えるようになっていた。


 廊下を進み、途中でクロネイの世話をしているという老文官に案内をしてもらい、クロネイの私室へと赴く。挙式に備えてものものしく警備されているだろうなと思っていたが、それほどでもなく、部屋の前に騎士がひとり、中の扉の近くにまた騎士がひとりと、警備の状況に問題がありそうな感じがしたが、クロネイについたふたりの護衛騎士はかなりの強者であるらしい。

 部屋に入るとすぐに、アイルアート・ファルム医師に挨拶をし、クロネイの状態を簡単に説明してもらったが、ネフィスが言っていたことそのままだった。


「いわば興奮状態ですね。今は落ち着いていますが、心のほうはそうでもないでしょう」

「まったく余計な知識を授けてくれたものだね、ファルム医師」

「必要なことでしょう」

「まあね。さて……逢えるかな」

「それはだいじょうぶでしょう。むしろ眠ってくれませんので、促してくださいませんか」

「そこはアーシェに任せようかな」


 いったいなんの「知識」についてネフィスやアイルアートが語っているのか、アーシェにはわからなかったが、隣り合っている寝室に失礼してすぐ、その話題は忘れた。


「ほらクロネイ、アーシェだよ」


 ネフィスがそう、寝台に丸く山を作っていた塊に声をかけたとたん、塊から久しぶりの末皇子クロネイが飛び出してきたからだ。


「シェイ義姉さん!」


 抱きつかれるだろう、とネフィスが予想していたが、そのとおりになった。しっかりと抱きつかれ、少し驚く。動けるくらいには回復しているらしいが、その身体は衣装越しでも熱く感じられ、アーシェを慕って見上げてくる瞳は潤んでいる。


「お久しぶりです、シェイ義姉さん」

「お久しゅうございます、クロネイ殿下」


 クロネイは、アーシェのことを「シェイ」と呼ぶ。いったいどうしてそんな愛称とつけられたのか不明だが、弟として慕ってくるクロネイのことは、純粋に可愛い。最後に逢ったときは憔悴していた姿だったので痛ましかったが、今も憔悴しているようだが、声は元気そうで安心だ。


「来てくれるなんて、嬉しいです。逢いたかったです」

「お元気そう……ではないですけれど、殿下のそのお顔を見られて嬉しいです」

「気持ちは元気ですよ。身体が言うことをきかなくて……」


 ぶぅ、と頬を膨らませる愛らしさに、笑みがこぼれる。本当に気持ちだけは元気なようだ。だが立ちっぱなしというのもクロネイの身体には悪いので、寝台に戻ってもらう。ついでのようにアーシェまで寝台に腰かけることになったのは、ネフィスが言っていたとおり人恋しさのせいだろう。


「妻を得たというのに、いつまでも甘えただねえ」

「シェイ義姉さんは特別です。だってネフの奥さんで、おれの義姉さんですから」

「まったく……だがね、クロネイ、今夜が最後だよ。わたしもアーシェも、おまえの兄で姉であることは永遠だけれど、そばにいることはできない。その甘えも、今日までのことだよ」

「寂しいことを言わないでくださいよ……」


 寝台に腰かけたアーシェの膝に、クロネイは懐いてくる。そのクロネイを挟むようにしてアーシェの向かいにネフィスが腰掛けて、クロネイの頭をゆっくりと撫でた。末の弟を溺愛する、まさに兄の顔をしていた。


「本当に、今日が最後だ、クロネイ。わたしとアーシェは、トワイライを背負ってく宿世にある。おまえはシャルナユグ王女と、セムコンシャスを背負っておくのだからね」

「……わかっていますよ」


 少し寂しいなぁ、と呟きながらクロネイはアーシェの膝に顔を埋め、撫でるネフィスの手のひらを捕まえると胸に抱き込んだ。こんな器用な甘え方ができるのはクロネイだけだろう。いやむしろ、クロネイだからこんなふうに甘える。この甘えがもうないというのはアーシェも、そしてネフィスも寂しいと思うが、互いに国を背負っていく立場だ。いつまでもただの甘えたではいられない。


「今ばかりは、ね」


 にっこり笑って甘えを許すと、クロネイは安堵したように相好を崩し、今まで逢えなかった日々を払拭させるかのようなさまざまな話を、おもにセムコンシャスの王女の話をアーシェに聞かせ、次第にゆっくりと意識を手放した。あっというまだったと思うのは、たぶん気のせいではない。


「漸く眠ったか……こんなに興奮して、明日はだいじょうぶかね」


 少し呆れた様子のネフィスは、しかしクロネイの話にしっかりと耳を傾け、ときには茶化して揶揄していた。弟を可愛がるのは今日で最後だと、ネフィス自身も別れを決めたのだろう。


「とても、愛されているのですね。クロネイさまも、シャルナユグさまも」

「相性がよかったのだろうね。これは可愛がられることに慣れているから、どうすれば愛されるかもわかっている。王女の攻略には手間取っただろうが、なに、そこはわたしの弟だ。わたしがアーシェを捕まえられたように、クロネイだって捕まえられる」


 心配は要らない、と微笑むネフィスは穏やかだ。その穏やかさにはアーシェも安心させられる。


「さて、わたしたちもそろそろ休もう。クロネイの都合で式典は短縮されるそうだが、わたしたちの帰路は馬だからね。疲れる旅程が待っている」


 抱きついていたクロネイを、ネフィスにそっと静かに寝台に戻してもらい、布団をかけると最後に可愛らしい寝顔を見つめ、アーシェはネフィスとクロネイの寝室をあとにした。


「アーシェ」

「はい」

「どこに行きたいか、決まったかい?」

「……あなたとなら、どこでも」

「そんなことを言うと、本当にどこまでも連れ回してしまうよ」


 ふふ、と笑った。


「かまいません」


 ネフィスとなら、どうにでもなれる。そう思いながら、傍らを歩くネフィスの腕に、自身の腕を絡ませた。


「あなたが素敵だと思う場所に、わたしを連れて行ってください」

「きみは……本当にどこまでも、わたしを愛してくれているね」


 くすくすと笑うネフィスに、それが本心だから、と頷いた。

 立ち止まったネフィスに両手を握られる。


「歌う花に幸あれ」


 指先への口づけに、アーシェは幸せを想った。







これにて終幕となります。

完結までに時間を置いてしまい、申し訳ありませんでした(汗)。

楽しんでいただけたら幸いです。

ここまで読んでくださった皆さま、お気に入りにしてくださっている皆さま、ありがとうございます。

また番外編を描くことがありましたら、そのときもまた、よろしくお願いいたします。


津森太壱。


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