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第九話 影に潜む異形

 翌日、放課後になってカバンを残し再び消えた禍津。その間に現れたなぎさと他愛のない会話をし、帰ってきた禍津に意を決して声をかける。


「ねぇ、禍津くん」

「……あ?」

「今日一緒に帰ろうよ」

「……はぁ⁉︎」


 後ろでキャーキャー喚いているなぎさを無視して、自分と禍津のカバンを片手に、もう片手で禍津の腕を引いて教室を出る。


「っおい、待て、止まれ!」


 静止の声も聞かずに下駄箱までいけば、掴んでいた手を振り払われた。


「急に何すんだよ!」

「いいから靴履いて。早く」

「チッ、何なんだよ一体……」


 ぶつくさ言いながらも靴を履き替える禍津にカバンを押し付け、自分も靴を履き替える。

 それからは並んで同じ帰り道を辿った。特に喋ることもなく。そして、分かれ道。


「じゃあね、禍津くん」

「……マジで何なんだよお前……」


 困惑と不機嫌が混ざった表情を最後に後ろを向いた禍津。ここら辺は住宅街だ。家の影で禍津の影が隠れないその瞬間を狙って――今!

 予め蓋を開けておいた瓶の中身を禍津の影にぶちまける。少し離れた距離からだったせいでしっかりかかったかはわからなかった、が。




「……っ?」


 禍津の重かった足取りが急に軽くなったように感じた。恐らく成功したのだろう。首をひねりながらも歩き去っていく禍津の後に残されたのは、なんとも不気味な生き物だった。

 タコのようなイカのような頭を持ち、複数本の触手が蠢いている。その内の一本で細長いトランペットのような楽器を持ったその生き物は、禍津という宿主を突如失ったことで困惑しているのかその場でオロオロとしていた。

 わたしはそんな生き物に近付き、拳を振り上げ――。




 目の前で正座をしている不定形の生き物。「キモいから形を変えろ」と少し強めの口調で言ってみれば、小さなタコのような見た目に変わった。


「で、あんた何。なんで禍津くんの影に入ってたの。影の中で何してたの」

「ひぇぇ……」


 可愛らしいマスコットキャラと化した謎生物が怯えたように手を伸ばして頭を抱える。まるでわたしが一方的にいじめているような図で心底気に食わないが、どうにか理性を働かせて拳を抑え込む。

 はぁ。と溜め息を吐けば謎生物はびくりと全身を震わせる。


「口を割らないなら割らせるまでよ」

「話します! 全部話させてもらいますからやめてください!」


 さっきの拳が余程効いたのか、随分と素直に話してくれるようだ。

 謎生物はぴしりと姿勢を正すと、俯きがちに話し始めた。


「自分は……気が付いたら道の端っこに落ちてたんです。記憶もなにもなくなってて、唯一覚えてたのは誰かのために演奏しなきゃ、って思いだけで……」

「演奏?」

「はい……。それからはその場所で楽器を吹き続けました。でも誰も聞いてくれなくて……でも! あの男の子だけが足を止めてくれたんです! 自分、それが嬉しくて、気が付いたら男の子の影の中に入ってたんです。そこでずっと楽器を吹き続けて、あの子に聞いて欲しくて……」


 徐々に尻すぼみになっていく声と小さくなる姿を見ていると、どうにも可哀想な気がしてきた。確かに禍津を苦しめた元凶はこいつだけれど、誰にも見向きされず、ひたすらに音楽を奏でていた――そんな苦しみは、わたしにもわかるから。


「でも、自分の音色があの子を苦しめていたんですね……」


 消えてなくなってしまいそうなほど物理的に小さくなってしまった謎生物を見ると、さすがの私も良心が痛む。

 だからだろうか。気が付けば口にしていた。


「……聞かせてみなさいよ、あんたの音色」


 ぱぁっと顔を明るくする謎生物はそわそわと楽器――件の細長いトランペットのようなもの――を取り出し、意気揚々と吹き始めた。

 ……ああ、これは禍津も苦しむだろう。言葉では言い表せない、それはもう酷い音色だった。ガラスや黒板を爪で引っ掻いた音。生き物の悲鳴という悲鳴。幼子の泣き声。人間が不快に思うその全てを引っ括めて掛け算したような見事なまでの不協和音が奏でられていた。

 音量はそこまでだが、鼓膜が破れそうなほどの酷い音楽にわたしは耳を塞ぐのも忘れて聞き入っていた。というか半分気絶していた。


「ど、どうでしたか⁉︎」


 初めて会話できる人間に音色を聞いてもらえたのだ。喜ぶのも無理はない。ここは嘘でも褒めてあげるのが正解だろうか。いや、違う。音楽を生き甲斐にする人間が欲しい言葉は。――わたしが欲しい言葉は……。




「……最ッッッ悪!」

「ええぇッ⁉︎」

「あんたちょっとそこで聞いてなさい! 本物の音楽ってのを聞かせてやるわ!」


 部屋の隅に置かれているグランドピアノの元まで行き怒りに身を任せて椅子に腰掛ける。蓋を開け、鍵盤を優しく押した。選曲は『G線上のアリア』。本格的なクラシック音楽を弾くのは久しぶりだが、体は覚えていたようだ。

 ゆったりとした音色に身を任せて、指を踊らせる。少しの余韻も逃さない。弾いていたのはたったの三、四分。けれどどうやら、あの謎生物の心には響いたようだった。


「す……すごい! すごいです!」

「お褒めの言葉どーも。で、わかった? わたしが言ってる本物の音楽はこれ。あんたのは、ただの不協和音!」


 ビシッと指を差しながら言ってやれば、謎生物は「不協和音……」と絶望した顔でその場で溶けてしまった。比喩ではない。本当に溶けた。まるでスライムのように。

 しかしすぐに形を取り戻すと、どこか決心した顔でわたしを見上げてくる。そしてその小さな体をぺたんと折り曲げて、部屋に響き渡る大声で言った。


「お願いです! 自分に“本当の音楽”を教えてください! 師匠!」

「はぁ⁉︎ ちょ、やめてよ! 師匠って、わたしそんなガラじゃないから!」

「自分、思い出したんです! ここに来る前、あの道に落ちる前、仲間から出来損ないって言われてたこと!」


 その顔は悲痛に歪んでいた。ビーズのような小さな目に大粒の涙を溜めて、“悔しい”と、語っていた。


「師匠の音を聞いて思ったんです。これが、自分のやりたい本当の音楽なんだって!」

「あんた……」

「だから、お願いします! どうか自分に、音楽を教えてください!」


 ぺたりと頭を床にくっ付けて真摯に乞うてくる小さな生き物を前に、さすがのわたしも鬼畜では居られなかった。


「あーもう、わかったわよ! お生憎様、トランペットはやったことないけど……多少のアドバイスなら、できると思うから」

「ほ、本当ですか!」

「わ、わたしもそろそろ新しい楽器にチャレンジしたかったところだし、ほら、初心者同士、高めあっていきましょうよ」

「師匠……! はい!」

「ああもう、こんなことで泣くんじゃないわよ」


 ぼろぼろと涙をこぼしながら笑う謎生物を見ていると、何故だかこっちまで嬉しくなってくる……そんな気がした。

 さて、わたしはどの楽器を始めようか。




 週が明けて月曜日。教室に入れば既に禍津がいた。相変わらず無愛想ではあったけれど、どこか憑き物が落ちたような表情をしていた。実際憑いていたものが落ちたわけだし。


 少し日は遡って土曜日。わたしは母と謎生物を連れて最寄りの楽器屋にやって来ていた。この生き物はわたし以外には見えないようで、こそこそと小声で話しながら買う楽器を決める。謎生物の使う楽器を真似てトランペットにしても良かったのだけれど、同じ楽器だとどこか芸がないように感じて、場所も取らない、けれど同じ管楽器であるフルートに決めた。謎生物の「あれ綺麗ですよ!」やら「あのおっきな楽器かっこいいですね!」やらの参考にもならない意見は全て無視した。最終的に手に取ったのは、ちょっと特別感のある、金色のフルートだ。謎生物の持つ楽器を見せてもらったが、金管よりは木管に近い形状をしていたのだ。実際木管も金管もやったことがなかったから、しっかり教えられるか不安だったし……というのが一番の本音である。

 やるなら徹底的に。謎生物の音楽技術向上を最終目標に設定し、自分も再び楽器に触れることにした。母は久しぶりにわたしが楽器に触れることを決めたのに驚いていたが、目を潤ませて喜んでいたのを覚えている。それもそうだろう。だってわたしは、最悪な形で一度音楽を辞めてしまったのだから。


 日曜日は部屋に籠って教本と睨めっこしながら謎生物と共に楽器の練習に費やした。母が差し入れと称して持ってきてくれたクッキーを半分こしながら、休憩が終わったらまた楽器と向き合う。幸い、わたしの“才能”は鈍っていなかったらしい。未だに不協和音しか奏でられない謎生物と異なってある程度の音色は出るようになった。が、管楽器に必要な肺活量が圧倒的に足りない。

 翌日からわたしは今までより一時間早く起きて近くの土手を走り込むことを決めた。

 おかげで今日、月曜日は朝からくたくたである。カバンを置いて椅子に腰掛ける。一気に力が抜けるのを感じていれば、隣から声をかけられた。


「お前、なにかしたんだろ」

「え……何が?」


 話が全く見えてこない。突然なにかしたかと言われても、思い当たるのは金曜日一緒に下校して、謎生物を影から引きずり出したことで……あ。


「あ、あー……」

「あれ以来妙に体が軽いんだよ」

「そ、そう。それはよかったわね」

「……ありがとな」

「えっ?」


 まさか禍津から出ると思ってなかった言葉に動きが止まる。今なんて? と聞き返せば、禍津は少しの沈黙の後……。


「……うるせぇブス」

「誰がブスですって⁉︎」


 やっぱりさっきの言葉は聞き間違いだったに違いない。そうに決まってる。

 カバンから顔を出した謎生物がどこか嬉しそうに笑っていたのをわたしは知る由もなかった。

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