第十話 生き物の正体
授業が終わり、カバンを持って廊下に出る。なぎさは家の用事で休みのため、真っ先に駄菓子屋へ向かうことを決めた。というのも、この謎生物の存在をどうにかして早く明かしたかったのだ。本人が記憶を失っている状況で、得体の知れないこいつが本当はとんでもないバケモノでしたーなんてことになったら笑い話にもならない。
「師匠、どこに向かってるんです?」
「寄り道よ。あんたの正体を明かすためにね」
感極まった様子で「そんなに自分のこと思ってくれてるんですか……!」と嬉しそうにしている謎生物のことは置いといて、気持ち早足になりながら駄菓子屋への道を急ぐ。
商店街に入り、いつもの裏路地へ入り、駄菓子屋の前へ。三日ぶりだというのに、何故だか妙に懐かしく感じた。
横開きのガラス戸を引き、店内へ入る。
「いらっしゃ〜い、あやめちゃん」
むず痒いレインの声すら懐かしいと感じてしまうのだから、わたしはどこかおかしくなってしまったのだろうか。
「例の液体は上手く作用したかな?」
「おかげさまでね。出てきたのがコレ」
カウンターにカバンを置き、中から謎生物を取り出す。レインの碧眼にじっと見つめられている謎生物は居心地が悪いのか、わたしの手の中で手足を蠢かせている。というのもわたしの持ち方が謎生物の頭を鷲掴みにしてレインの眼前に持っていっているのだから、逃げようにも逃げられないのだ。
「うーん、これは僕も見たことがないなぁ。ちょっと調べてみようか」
そう言って工房へ向かうレインの後を追って謎生物を連れていく。謎生物を机の上に置き、わたしはティーポットとカップの位置を聞いた。既に例の本に向き合っているレインは「事務所にあるよ」と言ってから、今まで唯一入ったことのない扉を指差した。
扉を開けて中に入ると、確かにそこは事務所になっている。が、レインの性格が出ているのか何もかもがごちゃごちゃだ。よくわからない紙が何枚も床に散らばっている。なんとか足の踏み場を見つけてトレイにティーポットとカップを三人分乗せて工房へと戻った。
どうやら作業は難航しているらしい。何度も首を捻っては謎生物をじーっと眺めて、また本に目を落とすのを繰り返している。
白地に青の月桂樹の葉が、飲み口を囲むようにプリントされたレインのカップと、同じく白地に桃色のアイリスが底部から咲くようにプリントされたわたしのカップには紅茶を注ぐ。最後に、何の柄もプリントされていない真っ白なカップにはオレンジジュースを注いでそれぞれの前に置いた。
「ありがとう、あやめちゃん」
「いいえ。それで、どう?」
「それがさっぱり」
白い湯気の立つ紅茶を飲んだあと、ぐぅーっと伸びをするレインを見ると、余程手がかりがないことがわかる。
……あ、そういえば。
「ねぇあんた。禍津くんの影から出てきたときの姿に戻れない?」
「え? あっ、戻れますけど……」
今の謎生物の姿はわたしがもっとマトモな姿になれと命じて成っている姿なのだった。
机から降りた謎生物はぐにゃりと姿を歪めて、あの時と同じ、タコのようなイカのような軟体類の頭部に複数本の触手の生えた姿に戻る。
「うっ……わぁお……これはなんとも……SAN値が減りそうな見た目……」
さすがのレインも引き気味で、けれどその姿を見て何か天啓でも得たのかぱらぱらとページを捲る速度が早くなる。そして謎生物と談笑しながら待つこと数分。「あった!」と嬉しそうな声が工房に響いた。
レインが見せてきたページには、確かに今隣にいる謎生物と似た姿のイラストが。名前は、『外なる神の従者』。
「変な名前」
「ですね」
「きみがそれを言うんだ」
気が付けば謎生物、基、『外なる神の従者』はわたしが命じた小さなタコの姿に戻っていた。
「名前が長いわね。呼ぶのがダルいわ」
「師匠の好きに呼んでください。どちらにせよ自分は記憶がないので」
「そう言われても、わたしネーミングセンスないから……」
「師匠に名付けてほしいんです!」
「……タコ助、とか」
「ぶふっ」
吹き出したレインに振りかぶろうとした拳を何とか収める。わかってる。わかってるのよ、ネーミングセンスがないことくらい。
問題の『外なる神の従者』といえば、口の中でわたしが言ったセンスの欠片もない名前を反芻して、徐々に目を輝かせていく。まさか、気に入ったなんて言うわけじゃないわよね。……まさかね。
「タコ助……自分、気に入りました! 自分は今日からタコ助です!」
「うそぉ⁉︎」
「あはっ、あははっ! な、なんで名付け親のあやめちゃんが驚いてるのっ? あはははっ! はーっ、お腹痛い!」
「あんたは笑いすぎなのよ!」
「あいでっ!」
ゴンッ。と音を立ててレインの頭にできたタンコブを見て震える『外なる神の従者』、基、タコ助はわたしと出会った時のことを思い出しているのか、小さな腕を伸ばして頭を押さえていた。
兎にも角にも、タコ助の正体と名前が決まったことでここにはもう用がない。帰ろうとカバンを手に取ったところで、レインから「待った」の声がかかった。
「もしかして、そのままタコ助と、んふっ、過ごすつもりかい?」
「今笑った?」
「笑ってないです」
「……まぁいいわ。過ごす……そうね。一緒に暮らすつもりよ。約束もしたし」
そう言ってタコ助に視線を寄越す。タコ助もはっとして満面の笑みを浮かべた。
「はい! 自分、師匠から音楽を教えてもらうんです!」
しかしレインの表情は曇ってしまう。なにか考えているようだが、わたしにはわからない。
――ふと、レインの目がわたしの手に止まった。
「ねぇあやめちゃん。その指輪、なに?」
「え?」
それは、月城さんからもらった指輪だった。無色透明の石が嵌められた、少しお洒落な装飾のされた指輪。
「ちょっと見せてもらっていい?」
「あ、うん」
指輪を外し、レインに手渡す。彼は至極真剣にその指輪を見ていた。
「どうしたんでしょう?」
「さぁ? でもレインなら、あの指輪がなにかわかるかも」
「師匠もなにかわからないんですか?」
「うん。うちの生徒会長にプレゼントされたものだから……ただの装飾品だと思ってたけど、レインの様子を見る限り只物じゃなさそうね」
どうやら今日はすぐに帰れそうにない。そう思っていた矢先、レインが一日だけこの指輪を預かりたいと申し出てきた。
「一日で調べ切れるかわからないけど、気になることがあるんだ」
真剣な顔をしたレインの頼みを断れるわけもなく、その日は指輪をレインに預けたまま帰宅することになった。
あの指輪にどんな効力があるのか、一抹の疑問を抱えたまま家に帰る。帰って夕食と入浴を済ませたあとは、タコ助との練習だ。未だに不協和音しか奏でられないタコ助の様子に溜め息をつけば「見捨てないでくださいぃ〜!」と涙目でしがみつかれた。今更見捨てるわけもないのに。
「……『外なる神の従者』、か。まさか神格の一角と接触しちゃうとはね……」
レインは一人、駄菓子屋のカウンターで本を広げたまま小さく呟く。
「ま、彼女ならなんとかなるか」
本の右ページに書かれた『外なる神の従者』の詳細。そこに書かれた文言から目を逸らすように、静かに本を閉じた。




