第七話 帰り道に視たもの
学校の敷地から出て、さてと駄菓子屋に向かうその瞬間だった。スクールバッグの外ポケットに入れていたスマホが揺れる。画面を開くとメッセージアプリからの通知だった。差出人はレイン。
そういえば昨日連絡先を交換したんだっけ……。すっかり忘れていた記憶を掘り起こしてアプリを開く。そこには『急用が入っちゃったから今日はお仕事なし! ごめんね☆』と、デフォルメされたカエルがてへぺろをしているスタンプ付きで送られてきていた。
……まだ学校出たばかりでよかった。仮に商店街まで行っていたら、このままスマホを握りつぶしていたかもしれない。もちろんそんな力はないのだけれど。
はあ、と溜め息をついて、久々に真っ直ぐ家路を辿る。数日間帰り道として使っていなかっただけなのに、まさかこんなにも懐かしい気持ちになるとは。
それはそれとして、月城さんが禍津を見てくれって言っていたのはどうしてなんだろう。あんなクソガキ、顔すら見たくないっていうのに。二人は前から知り合いだったとか? まさか。あんな変なツンツンメッシュヘアーの口悪クソガキと人気者の月城さんが知り合いだなんて思えない。いや、思いたくない。
「あ」
考え事をしながら歩いていたせいだろうか。今一番会いたくない人物と曲がり角で再会してしまった。
お互い考えていることは同じなのか、同時に顔を背けて帰り道を歩く。……が。
「なんで着いてくんのよ」
「てめぇが着いて来てんだろ」
「帰り道こっちなの」
「チッ」
最悪なことに帰り道が同じらしい。早めに別れることを心底願いながら歩き続ける。少しでも距離を開けようと歩く速度を緩めようとも思ったが、それはそれで負けた気持ちになるのでやめる。こんなクソガキを優位に立たせるなんてどれほど小さなことでもしたくない。
意図せず並んで歩くこと十分弱。
「……どこまで着いてくんだよ」
「悪かったわね。家がこっちで」
「クソ……」
運が悪い。悪すぎる。朝からこんなヤツに会うし、隣の席になったし、その上生徒会長にはこいつの面倒を見るように言われるし……。
あれ、そういえば。
「……ねぇあんた、生徒会長と知り合いなの」
「あ? ンなわけねぇだろ」
「あっそ。……ならどうして、あんなこと頼まれたのかしら」
どうやら月城さんが一方的に禍津のことを知っているらしい。拭えない違和感と疑問を抱きながらまた数分歩いていれば、ようやく禍津が道を曲がった。わたしの家もそろそろだ。随分と近いところに住んでいるのだと嫌な気持ちになりながら、真っ直ぐに歩き続ける。――しかし、視界の端に映った“なにか”がわたしの歩みを止めた。
ソレは形のない、黒いモヤのようなものだった。昨日、禍津とぶつかったあとに飛び出してきたものに似ている。モヤは禍津の後を追うように浮いていたが、不意にすぅっと禍津の影の中に溶け込んだ。
途端、禍津がその場に崩れ落ちる。
「ちょっ、大丈夫⁉︎」
禍津は顔を青くして、荒れた呼吸を整えようとしているのか心臓部分をぎゅっと握っていた。
「あああ、えっと、ほ、ほらっ、水筒! わたしのだけど、水だから! 変なの入ってないから! 飲んで!」
「はぁッ、はあッ、い、らねぇ…ッ」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 飲みなさい!」
蓋を開けて無理やり口元に押し付ければ、禍津はようやく水を飲んでくれた。しばらく背中をさすっていれば、禍津はようやく息を整えられたのか、ふらりと立ち上がる。
「も、もう大丈夫なの?」
「……あぁ……」
どこか心ここに在らずといった様子の禍津。覚束無い足取りで歩き出すものだから、思わずその肩を掴んでしまう。
「待ちなさいよ。家まで送っていくから」
「いらねぇ……」
「そんなわけにはいかないでしょ! こんなふらふらでっ……」
ぱしん。手を叩かれたのだと気がついたのは少ししてからだった。
禍津は顔を顰めて、一瞬だけわたしに目を合わせて、「……悪い」と一言だけ呟いてからふらふらと歩いていってしまった。
「あいつ……」
見事にわたしの神経の隅から隅まで逆撫でするような性格をしたクソガキだが、それはそれ。あからさまに体調の悪いクラスメイトを見て胸がざわつかないわけがない。
禍津が崩れ落ちたのは、あの変な黒いモヤが彼の影に入り込んでから。原因は明らかにあのモヤだろう。
「……どうしたらいいの」
見たことのないモノ、目の前で起きたことの処理が未だに追いつかないまま、わたしは後ろ髪が引かれる思いで再び帰路についたのだった。
次の日、教室に行けば学ランに身を包んだ禍津がいた。ようやく制服が届いたのだろう。
わたしは自席にカバンを置いて、少しの緊張をしながら禍津に話しかけてみる。
「……ねぇ、昨日あの後大丈夫だった?」
「…………あぁ」
随分と長い沈黙の後、なんとか答えてくれた。意外と意思疎通はできるのかもしれない。
「昨日は何があったの? わたしから見たら、その、急に膝をついたように見えたんだけど」
黒いモヤのことは、なんとなく伏せてしまった。もしかしたらわたしの幻覚かもしれないし、禍津がアレの存在を知らないなら変な女だと思われてしまうかもしれない。
「……うるせぇ。俺に構うな」
返ってきた返事にぴきりと青筋が浮かぶのがわかった。が、ここで詰めすぎるのも良くないと考え直し、禍津との会話はここで終わる。
それでも心配する気持ちは変わらない。
月城さんは、このことを知っていたのだろうか――?
なぎさ曰く、みんなから信頼される文武両道眉目秀麗の生徒会長。けれどわたしには、どこか妖しいものを抱える恐ろしい人にしか思えなかった。
長い一日が終わり、あっという間に放課後になる。
禍津はトイレにでも行っているのか、カバンはそのままに姿が見えない。昨日のこともあったし、偶然を装って一緒に帰った方がいいのかな。レインには申し訳ないけど、今日は行けないことを連絡して……。
「あーやめっ」
「うわっ! な、なぎさ!」
昨日と同じように上から覗き込んできたなぎさに驚いて手に持っていたスマホを滑り落としそうになる。
「あっぶな……!」
「ありゃ、ごめんごめーん」
「あのねぇ……」
なぎさの驚かし癖は今に始まったことではない。はぁ、と溜め息をついて一度スマホをカバンに戻した。
「あっ、転校生くんってまだ帰ってない?」
「ああ、うん。カバンあるから、トイレとかじゃない?」
「ほんと⁉︎ 噂のイケメンくん見たかったんだよね〜!」
きゃっきゃと一人で盛り上がるなぎさを見ながら苦笑を浮かべる。騒がしいのは好きではないが、なぎさの笑顔はこちらの不安を拭い去ってしまうのだから、不思議なものだ。
そうこうしていると禍津が戻ってくる。どこか顔色の悪い禍津は机の上に置きっぱなしにしていたカバンを手にするとさっさと踵を返してしまう。
「っあ、ねえ、ちょっと!」
わたしの声にも反応せず、そそくさと教室を出ていってしまった。
「はぁ……また昨日みたいなことが起こったらどうするんだか……」
最近は特に溜め息が多い気がする。
ふと隣を見れば、なぎさは顔を青くして固まっていた。
「なぎさ?」
声をかければ、はっとした様子でこちらを見る。
「な、なに?」
「顔青いけど、どうしたの?」
「う、ううん。なんでもないよ! それよりほんとにイケメンじゃん! 名前なんて言うの?」
「禍津……なんだっけ」
「もー! ほんと他人に興味ないんだから!」
いつもの調子を取り戻したなぎさは力任せに肩を揺らしてくる。さっきの様子が気になったが、なぎさの様子を見ているとそれを口にするのも憚られ、結局なにも聞けずにその日は別れてしまった。
そもそも帰り道が別だからなぎさと話すことができるのは放課後だけなのだが、最近はレインのおかげで商店街に行くことが日課になっているため余計に話す機会が減っている。どこか寂しい思いを抱きながら、駄菓子屋への道を急いだ。……結局禍津は一人で帰っちゃったし、今更追いかけるのも変だしね。




