第六十四話 影のように降り立つ
その放課後、怪盗ルシッドの予告当日。
予告時間の八時まで、あと三十分。
エントランスから廊下まで顔見知りの使用人で揃えられており、どこにルシッドが紛れてもわかるようにした。
母はリビングで特に腕に長けた使用人に守られながら食後の紅茶を楽しんでいるし、わたしは自室でただただ、時間が過ぎるのを待っていた。
本当はわたしも警備に混ざりたかったのだが、少し前にあった美術館でのやり取りをどこかから聞いたのか、顔を真っ青にした母に止められてしまったのだ。
ついでに武蔵と伊織も「危険だからダメです」と言って味方はゼロ人。
仕方なく部屋で不貞腐れていた、というわけだ。
「だからといって、缶詰状態は流石に酷いわよね。あんたもそう思うでしょ? タコ助」
「そうですね〜」
そんなわたしは、床に寝そべって、タコ助と将棋の山崩しをしていた。
こんな荒んだ心で楽器に触れるわけにはいかないし、だからといって何もしないのも気に食わない。
だから適当に引っ張りだした将棋でタコ助と山崩しをして遊んでいたのだが……。
「……あ! 師匠、今おっきい音鳴りましたよ!」
「くぁ〜! またぁ⁉︎」
「じゃあ自分の番ですね!」
どうやらわたしは、とんでもなく山崩しが下手らしい。始まって半分以上も駒が減っているのに、わたしの手元には三つだけ。
わたしが滅茶苦茶下手なことと合わせて、タコ助がとんでもなく上手かった。こいつ、音もなくスッ……と将棋を取りやがる。
「あんたがルシッドに拾われてたら、とんでもない大怪盗になりそうね」
「えぇ〜? えへへ、そうですかあ〜?」
「はぁ。早く全部持ってって、次の試合にしましょ」
「もう四試合目ですよ? まだやるんですか?」
「勝つまで辞めないわよ。それに、今回は三回も取れたんだから! 成長してるのよ!」
「ええー……まぁいいですけどぉ……」
ぶつくさ言うタコ助が一本の触手で、まとめて山を持っていく。重なっていた駒たちは一切崩れることも、音を立てることもなく、タコ助の元に収まった。
そうしてまた山を立てた。……その時だった。
――コンコンコン。
音の先を見る。部屋の扉からじゃない、ベランダからだ。
わたしはタコ助をそのままに、ゆっくり窓へ近付く。そして勢いよく、カーテンを開いた。
「っ……!」
そこには、ルシッドがいた。
部屋の光に照らされて、以前美術館で会った時よりもハッキリとその容姿が見られる。
黒い髪に黒い目。全身を黒で染め上げており、シルクハットとマント、マスカレードマスクは標準装備なのだろう。
彼は右手を振った。挨拶するように。
きらりと、小指に嵌められた金の指輪が光った。
「やあ、この間ぶりだね」
窓越しに籠った声が聞こえる。
わたしは警戒しながら窓のロックを外し、窓を開けた。
「……何しに来たの」
「何って、【仙桃の簪】を盗みに来たのさ」
「それはもうあなたが盗んだでしょ。二年前、うちから!」
「違う。俺はまだ【仙桃の簪】を盗めていない」
「は?」
気でも狂ったのかと問えば、ルシッドは首を振る。
どうやら正気らしい。
ならば、何故?
ルシッドは両手を広げて、問いかけてきた。
「柿﨑あやめちゃん。きみにとって、家族とは?」
それはまるで教師が生徒に諭すように、親が子供を諌めるように、ひどく優しい声色だった。
だからだろうか。
わたしの口は、自然と開いていた。
「母は……すごく、優しい人。以前にあんたとやり合ったって聞いただけで怪我があるかどうかも気にせず、もう危ない想いはさせないって約束してくれた」
「そっか。それはとても優しい人だね」
「父は、あまり顔を合わせない。海外で仕事をしてるから……でも、大切なとき……わたしが出るコンクールとか、誕生日とかは帰ってきてくれる」
「すごく娘想いのお父さんなんだね」
「祖父は、いない。お母さんが若い頃に離婚したから。祖母は、すごく、すごく優しい人だった。優しくて、怖かった」
「怖かった? どうして?」
「優しいから、怖かった。一度もわたしを叱らなかった。そして、わたしを通して、別の誰かを見てた――」
「それは……」
ハッと意識が戻ってくる。
わたしは今、何を言っていた?
「おかえり、柿﨑あやめちゃん」
「……あんた、わたしに何したの」
「何もしてないよ? きみがぼーっとしてただけだ。俺に見惚れてたのかな?」
「それはない」
「そんな即答しなくても……」
どこか悲しそうに眉尻を下げるルシッド。
しかし次の瞬間にはいつものように薄笑いを浮かべた。
「じゃあ最後に」
ルシッドは言った。
曾おばあちゃんはどんな人? と。




