第五十六話 告白と持論
「わたし、あの合宿以降スランプになっちゃったんです」
「どうしても……皇先輩が言った、わたしのせいでピアノを辞めたって言葉が、胸の奥の方に、小骨みたいに刺さって」
「それからずっと気持ちが引き摺られちゃって、楽器に向かうのも失礼な気がしてきて」
「……だから、悩んでます。音楽がやりたいのに、できなくて」
そこまで、皇先輩は静かに聞いてくれていた。
途中で言葉を挟むこともなく、わたしを叱ることも、変に慰めることもしない。
この人に吐き出してよかった。
無駄に肯定しない皇先輩だからこそ、吐き出せたのかもしれない。
どちらにせよ、少し、気持ちがスッキリした。
「皇先輩、ありがとうございました。話を聞いてくれて、気持ちがスッキリしまし――」
「……違うだろ」
「え?」
顔を上げれば、皇先輩はどこか苦しそうな、それでいて怒っているような顔をしていた。
あれ、おかしいな。この人はわたしが嫌いで、興味がないはずで――。
「お前はそんな、ヤワな人間じゃない」
「俺みたいな凡人に何か言われた程度で、折れるような人間じゃない」
「お前が、そんな普通の人間なら……」
「普通の人間に負けた俺の気持ちは、どうなるんだッ!」
――それはまるで、慟哭だった。
わたしを責めるようで、責めていない。
わたしを見ているようで、見ていない。
彼が見ているのはきっと、過去の自分と、過去のわたしだ。
「いいか、よく聞け柿﨑」
「え、あ、はい……」
皇先輩は、真っ直ぐとわたしの目を見た。
それは、“今のわたし”を見ていた。
「今から語るのは俺の持論だ」
「そもそも、お前は人間の皮を被った化け物だ」
「お前は音楽の天才なんかじゃない。周りの大人はそう言うが、お前みたいなのを人間の器に抑え込む周りの奴らが馬鹿なんだ」
「化け物だからどうだって話じゃない。ただ俺はお前を人間だと思ってないってだけだ」
「それで俺を負かした化け物が、今度は人間らしく悩んでるって? それは、俺に対する冒涜か?」
「無様に音楽から逃げて、サッカーに逃げ込んだ俺への当て付けか?」
「そんなこと思ってません! わたしだって、あの時の一件で音楽を辞めて――」
「口を挟むなと言ったはずだ!」
「お前が音楽を辞めてようが続けてようが、心底どーーーでもいい!」
「だがな」
「一度でも俺を負かした奴が、俺のせいで好きだったことから離れることになったってことに、めっっちゃくちゃ腹が立つ!」
「お前にじゃない、俺にだ!」
「後輩を、お前をそんな腑抜けにした俺自身に腹が立ってる!」
「わかってるか、柿﨑!」
「お前は俺を気にするな。気にする必要なんてない。だってお前は、人間じゃないんだからな!」
スッと、皇先輩の言葉が腑に落ちた。
ああそうか、わたしは、人間じゃないのだ。
確かに生まれも育ちも人間だ。
魔女の血が流れてる、という異物はあれど、周りの環境は今まで全て、人間によるものだった。
ならわたしのあの突出した音楽の才能は、音楽の化け物が、わたしの身を借りて降りてきただけだったのだ。
そう考えたら、何故だか、安心した。
だって“わたし”が皇先輩を傷付けたわけじゃないのだから。
人を傷付けた音楽なんて、やるべきじゃないと思っていた。
けれど音楽をする“わたし”が化け物なら、話は別だ。
あれはわたしであって、わたしでないのだ。
何を言っているのか、自分でもわからなくなってきた。
けれど、きっとそれでいいのだと思う。
わからないからこそ、人間は人間たり得るのだろうから。
「――皇先輩、ありがとうございます」
「中身のない感謝はいらな――」
「いえ、ちゃんと中身がある感謝です。先輩のおかげで、わたし、また……楽器と向き合えそうです」
「……」
視界が滲む。口角が上がっているのを感じる。
皇先輩の居心地の悪そうな顔を見ていると、何故だか、より一層笑いが込み上げていた。
「あは……あはははっ……」
「な……なんで笑うんだ! な、泣くのか笑うのか、どっちかにしろ、馬鹿!」
おろおろとする皇先輩に向かって笑いかける。
「先輩、勉強、教えてくれませんか」
「は?」
「わたし、音楽の面では化け物級に上手くても、勉強は人並みなんです。だから、わからないところがあって」
ポンポン、と自分の隣を叩く。
「だから教えてください。先輩」
皇先輩は少し迷った後、わたしの隣に腰掛けて、一緒に教科書を覗き込んでくれた。
いつの間にか、涙は止んでいた。
流石二年生と言うべきか、わたしがわからないところを噛み砕いて、丁寧に教えてくれた。
水森はこれをキツくて厳しいと言っていたのだろうか。一体どこをどう受け取ればそう思うのやら。
「……もう、行ってもいいか」
影から二人の様子を見守っていた星元は、コンビニから戻ってくる水森を横目に、ゆっくりと歩き始めた。
ほんのりと結露が浮き始めた水の入ったペットボトルを片手に。
「はぁーっ⁉︎ どうして皇先輩が柿﨑さんと座ってるんですか⁉︎」
「おかえり、水森」
「水森お前、柿﨑の飲み込みの良さを真似した方がいいぞ」
「じゃなくて! なんで柿﨑さんと横並びで座ってるかを聞いてるんです! 距離も近いし!」
「勉強を教えてるんだから当然だろ」
「だから、そうじゃなくて! もぉーッ!」
頭をワシワシと掻き毟る水森を見ながら、わたしは星元から貰った水を手に、苦笑いを浮かべた。
「水森、柿﨑さんが困ってるからそこまでにしておけ。皇先輩も、そろそろ行きましょう」
星元の鶴の一声で、二人は動き始めた。
それに倣って、わたしも教科書をまとめて立ち上がる。
そして別れを告げたその直後。
「そうだ、柿﨑」
「なんですか?」
皇先輩に引き留められた。
彼は意地悪く笑うと、言う。
「この俺がマンツーマンで教えてやったんだから、取れよ、テッペン」
その言葉に、わたしは微笑み返した。
「もちろんです」
――後日、中間テストの返却日兼、順位発表当日。
わたしとなぎさ、出雲は、踊り場からすぐ側の廊下に張り出された順位表にある自分の名前を探していた。
と言っても、わたしのはすぐに見つかったが。
「うわーっ! あやめ、学年一位⁉︎」
「ま、負けましたわ……! というか、一位ってどういうことですの⁉︎ あなた、そんなに勉強できまして⁉︎」
「今回は運がよかったよ。あとは……」
丁度、上の階から降りてきた皇先輩を横目に、二人に微笑みかける。
「すっごい優しい先輩がマンツーマンで教えてくれたから、かな」
ポカン、と口を開けている二人が面白くて思わず笑ってしまった。
「やればできるじゃないか」
そう呟いた皇の視線は、順位表の前に立つ柿﨑に向けられていた。
隣を歩いていた静島は怪訝そうに眉を顰めると、固い声色で問いかける。
「柿﨑のことは嫌っていたんじゃないのか」
その言葉に皇はハッと鼻を鳴らす。
「嫌いだよ。今も、昔も」
しかし静島は見た。
その顔が、決して苦々しいものではなかったことを。
……そろそろ自分も、彼女に対する見方を変えるべきか。
そう思いながら、静島は皇の隣を歩き、共に下駄箱を目指した。




