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第五十一話 邂逅

「っ、なに⁉︎」


 真っ暗闇の中で声を荒らげる。

 美術館の閉館時間は午後八時。ルシッドが盗みに入る時間と同じだ。

 そして『アイリスの乙女』は美術館の奥にある。そのため、この時間になると周辺に客はいなくなるのだが……。


 ――暗闇の中から、足音がひとつ。


「誰……? 雷電? それとも警備員の誰か? もしくは――」




「――こんばんは。かわいらしいお嬢さん」




 聞いたことのない声だった。

 若い少年のようで、幾つか歳を重ねた青年のようにも聞こえる。

 明らかなのは、声変わりはしているだろうということだけだった。


 わたしは暗闇に向かって声を張る。


「あんた……ルシッド?」


 人物――ルシッドは、くすりと笑って答える。


「そう。俺が怪盗ルシッドだ」

「っ……」


 その言葉に息が詰まる。

 こいつがわたしの、家族の大切なものを……そして、『アイリスの乙女』を、盗みに来たのだ。


 わたしは慌てて『アイリスの乙女』の前に立ち塞がる。離れていなくてよかった。心からそう思った。


「そこ、邪魔だな。退いてくれる?」

「イヤ、と言ったら?」

「……実力行使、かな」


 ヒュンっと、風が起きた。

 わたしは咄嗟に飛び上がり、ルシッドの足払いを避ける。


「わお、これ避けるんだ」

「あんたが実力行使するって先に言ったんでしょ」

「そっか。言わなかったら受け入れてくれたってことだね」

「そうとは限らないけれどね」

「はは、食えないなぁ」

「こっちのセリフっ」


 ルシッドに組み付くように片手を伸ばす。当然避けられた。


 なら、次。

 今度はルシッドの足を狙い、右足を伸ばしてその左足に引っ掛ける。


「おっと」


 抜け出そうと足を振り上げたルシッド。その瞬間を狙って、体を捻った。

 背中を狙って左拳を叩き込む。


 しかしルシッドは器用にも抜け出して、飛ぶように拳を避けてしまった。


「ちっ」

「おお……本当に、思った以上に動けるんだ、きみ」

「“以上に”は余計よ!」


 ルシッドを追うように、飛びかかる。

 ……それがいけなかった。


 自身のマントを使ってわたしの視界を塞いだルシッドは、そのままわたしの背後に――『アイリスの乙女』の前に立つ。

 情けなく顔面から地面に着地したわたしは、慌てて立ち上がってルシッドの方を向くが、そこは変わらず暗闇。本当に、暗闇に目が慣れるのが遅い。


「ごめんな、もう八時なんだ。仕事の時間だから許してくれよ」

「誰が許すか! 早くそこから退いて、お縄につきなさい!」


 駆け出して、『アイリスの乙女』の元へ辿り着く。

 本来はいけないが、手を伸ばして絵画の有無を確認する。……が、そこにあるはずのものがなかった。


 まさか、この一瞬で取り外したっていうの?




 ようやく目が慣れてきた。

 目を瞬かせながら、暗闇に目を凝らす。そこに立っていたのは、少年くらいの体躯をしたルシッドだった。


「……あんたが、ルシッド?」

「ん? そうだよ。俺が怪盗ルシッド。……まさか、今まで見えてなかったの?」

「お生憎様、暗いところは慣れるのに時間がいるの」

「それにしても余程時間がかかるね、きみの目は」


「真っ暗闇であの体の動き……恐ろしいな」なんて呟いていたルシッドの傍らには、シルクの袋に入れられた『アイリスの乙女』が見えた。見えたというのも、額縁だけだが。

 けれどあれは、確実に『アイリスの乙女』だろう。


 暗闇に溶けるような黒いシルクハットに、黒いマント。黒いマスカレードマスクをしたルシッド。


 少しでも足止めをして、増援を望まないと。

 きっと暗闇を異常事態だと感知した警備隊が来るはず。


「ねぇ、ルシッド。わたし、あんたに聞きたいことがあるの」

「うん? なに?」


「あんた、どうして怪盗なんてやってるの?」


 その言葉に、ルシッドは黙り込んだ。

 顎の下に指をやって、悩み込んでいるようだった。


 暫くすると、ルシッドは口を開く。


「さぁ、どうしてだろうね。もう忘れてしまった」


 その声は悲しそうでも、嬉しそうでもない、“無”の声色だった。




 ……その時、遠くから光と、幾つかの足音が聞こえてきた。

 どうやら増援が来たらしい。


 ほっと胸を撫で下ろす暇もなく、ルシッドはシルクの袋を背に担ぐ。


「時間だ。俺は行くよ」

「……」

「止めないんだ?」

「止めたって行くでしょ。それに向こうから警備隊が来てる。わたしより腕の立つ人たちよ」

「それを抜けられる手段があると言ったら?」

「……なんなの、あんた。わたしに止められたいの?」

「いや、ただ気になってね。きみがそこまでして俺に執着してる理由が、さ」

「そんなの……」


「そんなの、理由なんてひとつしかないじゃない」




「わたしの大切なものが、曾おばあちゃんの形見が、あんたに盗まれたのよ」




 その言葉に、ルシッドがはじめて表情を崩した。目をぱちりと見開いたそれは、驚いたような――。


「そもそも、怪盗に執着するなんて、余程のファンか被害者しかいないでしょうに」

「ファンじゃなかったんだ。残念だね」

「全く傷付いてないくせに」


 ルシッドはくすりと笑うと、今度こそ「それじゃあ」と言って自ら警備隊に向かっていった。




 その後、駆け付けた警備隊に「怪盗は⁉︎」と聞かれたが、さっき起きたことをそのまま話せば解放された。

 それでいいのか、警備隊。せめてもっと事情聴取とかそれに準じたような聞き込みを――。


「――あやめちゃんっ!」

「うわっ⁉︎」


 背後から抱きついてきたデカいのは、雷電だった。

 腕の中から出ようともがいてみるが、男の子の力に敵うわけもなく。


 わたしはただ、うごうごと動くだけだった。


「ちょっと、苦しい……っ」


 そう言えば、ほんの少しだけ腕の力が緩む。本当にほんの少しだが。

 ルシッドを捕らえられなかったのが悔しいのは滅茶苦茶に理解できるが、だからと言ってわたしに鬱憤をぶつけるのは違うだろう。

 そう思ってまた口を開こうとすれば、雷電は呟くように言った。


「無事で、よかったっ……!」


 ピタリ、と動きを止めた。

 無事でよかった? わたしが?

 ここはルシッドを捕らえられなかったわたしを叱る場面ではないのか?


 そう思って雷電に問えば、彼は急に恐ろしい顔をして、今度こそわたしを叱った。


「叱る? そんなわけないだろ! 好きな子がよくわかんない輩とやり合ったって聞いたんだよ? 心配するに決まってるだろッ!」


 目を瞬かせた。ぱちくり。

 ……え? それは、雇用主としてどうなんだ?


「確かにね、あやめちゃん、きみが言う通り雇用主としては最悪かもしれない。目の前でみすみす敵を逃した従業員を叱る権利は俺にある。でもね、叱らない権利も俺にはあるんだ。そして心配する権利も。わかる?」

「わ、わかるけど、わかんない……」

「ッもー! なぁんであやめちゃんは自分のことになるとポンコツになるの⁉︎」

「ぽ、ポンコツ⁉︎」


 心外だ、という顔で見れば、雷電は呆れたような顔でわたしの頭を撫でた。


「これは俺の落ち度。確かにきみは強いけど、俺の後輩でもある。護衛として雇っておきながら、側にいさせなかった俺のせいだ」

「でも、『アイリスの乙女』が盗まれるとき、一番近くにいたのはわたしで……」

「はいもうその言い訳おしまい! 終わり! 自己嫌悪しない! 雇い主命令!」

「えぇ……」


 凄まじいトンデモ理論だ。

 だが、何となく理解できた。これは、雷電なりの優しさだ。わたしが必要以上に自分を追い詰めないための。


 またわたしをギュウギュウと抱き締め始めた雷電の手を制して、わたしは小さく微笑んだ。


「心配、してくれてありがとう。雷電」


 すると雷電はピシリと固まる。


「あ、あやめちゃん、わ、わらっ……」

「わら?」

「い、いやっ……うん、うん! やっぱりあやめちゃんは、『アイリスの乙女』そっくりだ!」


 そう言って笑った雷電は、空が晴れたような、いい笑顔をしていた。


 だが、そろそろ。


「離してくれない? 周りからの目があるから」

「ヤだッ! お前ら、こっち見るな!」

「何言ってんのよ……あの、周りの皆さんも、素直に言うこと聞かないでいいので。お願いですからこのデカいのをどうにかしてください。あの、あの」


 いくら声をかけても、誰も手を貸してくれない。

 これが雇用主と雇用先の違いか。くそう。

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