第五十話 怪盗ルシッド
怪盗ルシッドとは、関東地方を中心に活動する怪盗である。現代に怪盗とは。アニメでしか見ない存在だというのに、現実にいると言われてもそう現実味は感じない。
しかしわたしは、実際に怪盗ルシッドの手によって大切なものを盗まれているのだ。
だからその存在は知っている。知っている、だけだ。
何故突然こんな話を始めたかというと。
「……ってわけでさぁ、うちにルシッドから予告状が来ちゃったんだよ〜! もーめんどくさい!」
こうして休み時間に一年生の教室に来ては項垂れている三年生、雷電のおかげだ。
雷電家といえば有名な財閥の一つだ。そこの子供であり、唯一の男子であることから跡取りが確定しているこいつ、雷電光次郎。
一学期のはじめに出会い頭で告白されたことが懐かしく感じるほどに濃い出会い方をしたこいつは、今、わたしを背後から抱きしめるようにして首筋に頭を埋めていた。
隣の席である禍都から痛いほどに視線を向けられているのに気付いているのかいないのか、雷電は足をバタつかせて子供のように喚いている。
本当にやめてほしい。隣どころか、教室中からの視線が痛い。
「そろそろ離してよ」
「ヤだ」
「子供じゃないんだから」
「義務教育中の子供だもん」
「……年上の『もん』とか、鳥肌が立つわ」
仕方なく月城さん――雷電特攻のストッパー――を呼ぼうとスマホを取り出した途端、雷電はぽつりと呟いた。
「あーあ、いっそこの機会でルシッドの野郎捕まえてやろうかな」
その言葉に手を止める。
ルシッドに借りがあることは、冒頭で説明した通りだ。
――せっかくなら、一枚噛ませてもらおうか。
「ねぇ雷電」
「なあに、かわいいあやめちゃん」
「キモイ。……じゃなくて、それ、協力させなさいよ」
「それって?」
「ルシッド、捕まえるんでしょ」
「えっ危ないよ⁉︎」
「家の方針で一通りの武術なら使えるの。今ここであんたを投げ飛ばしてもいいけど?」
「……うーん、でもなぁ……好きな子を危険に晒すわけには……」
「三、二、一で飛ぶわよ。はい、三――」
「わかった、わかったよ! 俺の護衛としてなら雇ってあげるから!」
「……」
「そんな不服そうな顔してもダメ! かわいいけど!」
不服そうな、でなく不服なのだ。そこを間違えられるのはいけない。
それを表現するために、雷電の足を抓った。いい悲鳴が上がった。
さて、そろそろ月城さんに連絡しようか。
今回ルシッドが狙ったのは、『アイリスの乙女』という絵画だ。雷電家の所有する美術品のひとつで、わたしたちの住む六之江町からそう遠くないところにある美術館で展示しているらしい。
アイリスの花束を抱えた黒髪の乙女が、草原の中でこちらを振り返る様子を描いた作品。
確かに、綺麗だ。
スーツに身を包んだわたしは雷電を隣に、『アイリスの乙女』を見上げた。縦六十センチ、横三十センチ程度の絵画。……こんな大きなものを盗むの?
「この絵画の人、あやめちゃんに似てるね」
「はぁ?」
突然の言葉に雷電の方を向けば、彼は酷く優しい顔で笑っていた。
「あやめちゃんが笑ったら、きっとこんな風に笑うんだろうな」
「――」
何を言ってるんだ、こいつは。
「わたしだって笑うわよ」
こんな風に絵画で描かれるほど、美しくは笑えないけれど。
そもそもこの人ともそんなに似てないし。
本当に。
「何、言ってるんだか……」
――そういえば、わたしって、いつからあまり笑わなくなったんだっけ。
予告時間は午後八時。
あと一時間だ。……と、いうところで。
「あ」
「あ」
何故か、月城さんを筆頭にした皇先輩、静島先輩、快野先輩と出会ってしまった。
人のいい笑顔で手を振って近寄ってくる月城さんの後ろを、二人は気まずそうに、一人はにこやかについてきた。
「部活ぶりだね、柿﨑さん」
「そうですね」
「どうしてこんなところに? スーツ似合ってるね」
「ありがとうございます。雷電の護衛でここにいます」
「……ああ、雷電か。アイツ、遂に家の力で囲い始めて……」
「違います。何を勘違いしてるかはわからないですけど多分そういうことじゃないです、月城さん。わたしが申し出たんです。今日ルシッドが来るので、その護衛にって」
「ルシッドって、あの怪盗ルシッド?」
あ、と声が漏れた。
これ、一般に公開されてない情報なんだっけ。
慌てて口を塞ぐが、そんなこと知ったこっちゃない、と快野先輩が口を挟んできた。
「えー? 柿﨑ってルシッドのファンだったりする?」
ファン?
「違いますよ。個人的に恨みがあるくらいです」
「……どんな恨み?」
「卍固めして締め落としたいくらいの恨みです」
「そういう意味で聞いたんじゃないけど、それは怖いからやめた方がいいんじゃない?」
これは遠回しに諭されているのだろうか。
「……じゃあ、卍固めまでにしておきます」
「いや、うん……まぁ、そうだね。そこまで恨みを買ってるなら、許されるかも」
どこか遠い目をしている快野先輩の様子に首を傾げ、二人と小声で雑談を繰り広げた。
一応ここは美術館なのだ。あまりうるさくしてはいけない。
皇先輩と静島先輩はといえば、静かに近くの美術品を鑑賞していた。形としては、四人一緒の行動を決めているのだろうか。
あまり引き留めてはいけない、と仕事に戻ることを伝えれば、月城さんと快野先輩は快く見送ってくれた。
それにしても意外だった。月城さんと皇先輩は何となく美術品を観るイメージがあったが、静島先輩と快野先輩もそうだったとは。
人は見た目で判断できないな、と思った一件だった。
そうこうしている間に、予告時間まであと五分になった。
わたしは最後に『アイリスの乙女』を一目見ようと、足を運んでいた。
「……本当、綺麗に笑ってる」
この乙女は、何を見てこんなに綺麗に笑っているのだろうか。
絵描き? それとも、別の何か?
残念ながらそこまでは読み取れない。
わからないからこそ、芸術的価値が生まれているのかもしれないな。
芸術とは奥が深い――そう思ってから、踵を返そうとした、その瞬間。
バチンッと館内の電気が落ちた。




