第五話 錬金術師
さらっと言いのけたレインに呆然とする。き、危害を、加える……?
「〜ッ! あ、あんた! そういうことは先に言いなさいよ!」
指を指しながら言ってやると、レインは右手の拳を頭に当てて、所謂てへぺろをしてみせる。先程とは違う意味で頭に血が上るのを感じていると、ひんやりとした手で優しく頭を撫でられた。
「落ち着いて、かわいい魔女ちゃん。これから気をつければいいんだから」
ウンディーネの声は自然とわたしの怒りを落ち着かせていく。
「それで、私を喚んでどうしたいの? かわいい魔女ちゃんの頼みなら、私なんでも聞いてあげるわ」
その言葉で本来の目的を思い出す。
「あ、えっと、ウンディーネ、さんの涙をいただきたくて……」
「涙?」
こてんと首を傾げるウンディーネに頷く。何故涙なのかはわたしも理由を知らないから、説明のしようがないのだけれど……。
ウンディーネはわたしの手に押し付けられたビーカーを受け取ると、「ここに落とせばいいのね」と了承を得る前に目を閉じてしまう。そして次の瞬間、ぽろり、とウンディーネの瞼の端から涙がこぼれた。
止まることを知らない涙は徐々にビーカーを満たしていき、上から二センチほどを残してようやく止まった。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう、ございます……あっハンカチ」
涙を拭こうとポケットに入れたはずのハンカチを片手で探していると、ウンディーネはまたくすくすと笑う。
「気にしないで。私は水の精霊だもの」
彼女の顔を見れば、涙を流したとは思えないほどのツヤのある綺麗な頬をしていた。確かに言われてみれば、ウンディーネの全身は水で構成されているから、拭く必要がないのか……。
「要件はこれだけかしら?」
「は、はい……たぶん……」
ちらっとレインを見れば、彼はにっこりと笑って頷いた。
「ありがとう、ウンディーネ。とても助かったよ」
「それならよかったわ。けれどね、あなた」
ウンディーネがずいっとレインに顔を近づける。
目の前で綺麗な顔と綺麗な顔がこんな至近距離で……。鼻先同士がくっつきそうなほどの距離感にドキドキしないわけがない。わたしだって年頃の女の子だもの。
しかしウンディーネの目は鋭いものだった。先程わたしに向けていた優しい彼女の面影はどこにもない。
「あなたにどんな事情があるかは知らないけれど、こんな無垢で幼い子を“使う”ならそれ相応の補助はしてあげなさい」
「……わかってるさ。今回は僕のミスだよ」
ひらりと手を振るレインの様子を見てどう思ったのかウンディーネは静かに目を伏せると、再びわたしに笑いかけてきた。
「それじゃあね、かわいい魔女さん。ぜひまた喚んでちょうだいな」
「は、はぁ……」
最後にわたしの頬に小さくリップ音を響かせた彼女は、きらりと煌めいて、次の瞬間には影すらも残っていなかった。
真っ暗な部屋の中。手の中に残されたビーカーに入っている“ウンディーネの涙”だけがぼんやりと光を放っていた。
「さぁて、初仕事お疲れさま!」
「あのねぇ……注意事項とかあるなら先に言いなさいよ!」
「ごめんってばぁ」
反省の色を全く見せないレインには呆れるばかりだ。しかしわたしも過ぎたものをどうするつもりもない。
工房に戻ってレインにビーカーを手渡せば、彼はそれをじっと眺めた後に机の上に置く。それから駄菓子屋ともさっきの魔法陣が描かれた部屋とも違う、また別の扉の奥に行ったかと思えば、大きなダンボールを持って戻ってきた。それを机に置き、中からごちゃごちゃと色々なものを取り出す。フラスコ、ガラス棒、駒込ピペット。大きなものだと蒸留器等々。
何をするのかと思いきや、それらを手際よく机に並べていく。フラスコにはダンボールの奥底から取り出したシャーレからは翡翠のような謎の石を入れて、例の魔法のティーポットで水を注ぐ。そこに“ウンディーネの涙”を一滴垂らしして――。
「……ねぇ、何やってるの?」
「うん? 見てわからないかい?」
「わからないから聞いてんのよ」
ぽんぽんと会話のキャッチボールを続けながらその手は止まらない。
駄菓子屋とは別の仕事が関係しているのだろうか。
「うーん。そろそろネタばらししてもいいかなぁ」
「ネタばらし?」
あっという間に理科の実験で見るような蒸留器のセットが完了していた。アルコールランプに火をつけて、冷却器を通して別のフラスコにポタポタと溜まっていく青白い液体。仄かに発光しているようにも見える。
そこまでの準備を終えると、彼はようやく顔を上げてこちらを見た。
「改めて、僕はこの『駄菓子屋しゑる』の店主、レイン・カエルレウム。……というのは仮の姿。本当の僕はこうして“素材”からまた新しいものを造り上げる、『錬金術師』さ」
……最早、受け入れるのも簡単だった。そもそも自分が魔女だと言われ、別世界からの生命の召喚をわたししかできない時点で、レインが同じ魔法使いだとは思っていなかった。そして彼が口にする“素材”という言葉。魔界の何かしらがないとできないことをやり遂げる、そんな役割を持った存在。いわば諦めに近かったのかもしれない。魔法があるなら錬金術もあるだろ、といったように。
「ああ、そう……」
「意外と驚かないんだね?」
「まあ……」
そうこうしている間に完成したのか、レインはアルコールランプに蓋をして火を消し、三角フラスコに溜まった青白い液体を光にかざした。やはりぼんやりと発光しているそれは、どこか優しい光をしていた。
満足そうに笑ったレインは液体を試験管に移すと蓋をする。
「いやあ、本当に助かったよ。ありがとう、あやめちゃん」
嬉しそうなレインを見ると思わずこちらも笑みがこぼれてしまう。元はと言えばわたしが引き寄せた災害ではあったが、ひいおばあちゃんのことを知れて、わたしにしかできないことを知れたこの機会に、わたしも意外と満足しているのかもしれない。
「それはそれとして、この棚がいっぱいに戻るまできみには付き合ってもらうからね」
「…………」
「ね」
「……はい」
訂正。わたしの苦難はきっとこれからなのだろう。
「じゃあまた明日ね、あやめちゃん」
「わかってるわよ……」
レインに見送られながら帰り道を歩く。裏道から商店街へ。賑やかな声を耳にタイル模様のコンクリートを踏みしめていると、曲がり角から飛び出してきた人影と激突してしまった。弾き飛ばされた勢いで尻もちをついてしまう。
「いったぁ……!」
顔を上げると同い年くらいの少年がいた。
流石に謝罪の言葉のひとつは出てくるかと思いきや、口を開いた彼からは信じられない言葉が。
「どこ見て歩いてんだよブス!」
「……はぁッ⁉︎」
ぶつかっておきながら人をブス呼ばわりした少年――クソガキは、イラついたように舌打ちをして走り去っていく。
「ちょっ、待ちなさいよ!」
何とか立ち上がるが、同じ曲がり角から飛び出してきたモヤのような黒い影に驚いてまたバランスを崩してしまう。しかし、今度は尻もちをつくことはなかった。
「大丈夫かい?」
背後からわたしを支えたのは、綺麗な銀髪をした男の人だった。と言っても、わたしと同じ制服を着ていることから中学生ではあるのだろう。
「あ、ありがとうございます……」
「怪我はしてないかい?」
「だ、大丈夫です」
これまた整った顔をした美人だ。肩を支えられているおかげで必然的に距離が近くなり、顔に熱が集まっていくのを感じる。
はっとしてバランスを取り戻し、彼に向き直った。
「助けてくれてありがとうございました! じゃあ!」
顔が赤くなったのを見られないように、スクールバッグを抱えて猛ダッシュして家へ向かう。
だからこそ、気が付かなかった。
「ふむ……彼女、“視えて”いたな」
そう呟いた彼の右薬指の指輪に嵌められた赤石が、キラリと輝いたことに。




