第四話 初めての召喚術
「いらっしゃい、あやめちゃん」
今日も今日とてカウンターの向こうから手を振るレインの元へ歩み寄る。流れるように案内された工房に入ると、机の上に置かれた一冊の本が目に入る。図鑑のように分厚いそれは年季が入っているのか、一部の表紙が剥がれていた。
促されるように机の前に立ち、その本を手渡される。表題は書かれていない。深緑色の表紙は若干ざらついており、質感だけでもこの本の価値が伝わってくるようだ。
「それを持ってついておいで」
……レインの言う「ついておいで」には良い思い出がない。
工房に存在する扉は三つある。そのうちの一つは駄菓子屋店内から繋がる、いつもわたしが出入りするもの。その他の一つの扉を開いたレインの後をついて、また新しい部屋へ入っていく。――そこは、一言で表すなら「異常な部屋」だった。
薄暗く、レインが入口近くの蝋燭に火をつければ明らかになる、床に書かれた魔法陣。円形のそれには意味のわからない言語のような、記号のような文字が羅列されている。
「今からきみに、ある生き物を召喚してもらう」
召喚? と首を傾げるわたしに、レインは手元の本を開いてペラペラとページを捲る。蝋燭の暖かな明かりに照らされた綺麗な顔が目の前に近付いてドキリと心臓が高鳴るのを感じた。
「きみも名前は知っているんじゃないかな」
その言葉につられて開かれたページを見下ろす。見出しには“ウンディーネ”と書かれていた。残念ながら知らない名前だ。眉を寄せたわたしに気がついたのか、レインはくすりと笑うと説明を始める。
「ウンディーネは水の精霊さ。水を司る四大精霊で、主に女性の姿をしているとされているね」
「詳しいことはその本に書かれているよ」と言われて読み進めていれば、見開きの右ページに詳しい説明が書かれていた。ちなみに左ページにはウンディーネの名前と手描きのイラスト、それから長ったらしい謎の文章。加えて友好度と危険度という項目。どちらも五段階評価で、ウンディーネの友好度は星五、危険度は星ゼロとなっている。
「ねえ、この友好度と危険度っていうのは?」
「うん? 見た通りだよ。召喚者に対する友好度と危険度……言わば、どれほど協力してくれる可能性が高いか、どれほど攻撃してくる可能性が高いかだ」
「こ、攻撃……?」
凄く嫌な言葉が聞こえた気がする。恐らく気のせいではない。サァ……っと顔から血の気が引いていくのを感じるが、レインは全く気にした様子もなく話を続けていく。
「中には凶暴な魔物もいるからね。その点、ウンディーネは友好度も最高で危険度も最低だ。初めて召喚するには最適さ」
……と、言われても。そもそも召喚ってなに? どうやってやるの?
今更だけど、わたし、すごく変なことに巻き込まれているのでは?
「ちょ、ちょっとまって。一旦、一旦整理していい?」
「もちろんだとも」
「わたしはあんたの、その、仕事に必要な素材? たちを木っ端微塵にしたからこうして手伝わされてるのよね?」
「そりゃもう、ひとつも使えるものなくめちゃくちゃにされたからね」
「うっ……そ、それで、その素材を集めるには、召喚ってのが必要ってこと……であってる?」
「うん。百点だね」
「でもわたし、召喚なんてしたことないわよ? そもそも、昨日わたしに魔法なんか使えないって言ってたじゃない。あと召喚ってなによ。なんとなく想像はつくけど、具体的にどういうことなの?」
「質問が多いな〜……ちょっと待って」
考えごとをするときに顎に指を添えるのはレインの癖なのだろう。数秒の沈黙の後、ようやく口を開いた。
「きみに魔力があることは言っただろう? その魔力の使い道は、現状だと魔法使いたちの暮らす魔界から、そこの魔法陣を通して魔物を連れてくる……召喚することしかできない」
「僕がきみに求めているのは、召喚した魔物から必要な素材を分けてもらうことだ。今回必要なのは“ウンディーネの涙”だね」
「分けてもらうって、どうやって?」
「それはきみの交渉次第さ」
ばちんっ。とウィンクをしてキメ顔をするレイン。思わず握った拳をなんとか諌めて、再び手元の本に視線を落とす。
交渉、ねぇ……。いくら友好的だとしても、初対面の人間から涙を分けてください、なんて不躾にもほどがあるだろう。
不安が隠せていなかったのか、レインの手が肩に置かれる。
「そう気張らなくてもいいさ。最初は怖いだろうけれど、回数をこなすことで慣れてくるからさ」
「……遠回しに何度もこき使うことを暴露したわね」
「あれれ」
わざとらしく舌を控えめに出すレインを見ていると不安よりも呆れが勝ってくる。……おかげで肩の力が抜けたのは、内緒にしておこう。
「さて、召喚の手順を説明するよ」
立たされたのは魔法陣の目の前。隣に立ったレインが左ページの長ったらしい意味不明な文章を指差しながら説明を始める。
「と言っても、やり方は簡単さ。魔法陣の前でこの文章を読み上げればいいだけだからね」
「ああ、途中で噛むと失敗するから」と付け加えたレインの目は愉快そうに歪められていた。その言葉で失敗するととんでもないことが起こるのだろうと察する。が、今のわたしにはこれを断る術など存在しない。
はぁ、と口から出た溜め息を隠さず、また長ったらしい文章を眺める。長いばかりで、内容自体は簡単だ。
「じゃあやろうか!」
「えっ、も、もう?」
「早くしないと日が暮れちゃうよ」
と言われても、まだ心の準備が――。
「ほらほら、始めるよー!」
そそくさと離れていったレインが部屋の電気を消す。これじゃ文字が読めないじゃない! そう声を荒らげようとしたが、不意に気がつく。あの文章が光って見えるのだ。
これならなんとか読める。あとは、気持ちを落ち着けるだけ。
深呼吸をして、本を構えて、震える唇を動かした。
「……魔女、あやめが告げる」
ぼぅ。魔法陣が妖しく光る。
「生命の神秘。四大精霊の一角を担いし水の女王。命の母よ、命の還る道よ。愛しき我が子の声を聞き給え。悲恋の道を辿り、魂を失い、迷える前に。嗚呼、美しき水の精霊」
どこからともなく風が吹く。スカートが翻ることも気にせず、手元の本にだけ視線を落として……。
「異界の生命よ。我が声に応えよ。今ここに顕現せん。ウンディーネ――!」
魔法陣が勢いよく光り、思わず目を瞑る。
いつの間にか風が収まり、酷く眩しい光が落ち着いてきた頃、ようやくゆっくりと目を開いた。
「――私を喚んだのはあなた?」
そこには、とても綺麗な女性がいた。
彼女の周囲には水の泡のようなものが浮かんでおり、人のできることではないと一目でわかる。
そして何より、彼女の体は水のように透き通っている。本当に、人間ではないのだ。
わたしは、レインの言う“召喚”を成功させたのだと、思い知らされた。
「……あ、えっと、その……」
確か、必要なのはウンディーネの涙。でもどう頼めば……。
「ふふ、緊張しているの? 可愛らしい魔女さんね」
いつの間にか目の前に綺麗な顔があった。ぼっと顔に熱が集まるのを感じると、ウンディーネはくすくすと笑ってわたしの頬に触れる。
「あら? あなた、こうして誰かを喚ぶのは初めて?」
冷たい手に心地良さを覚えながら頷くと、ウンディーネは目を細めた。
「ダメよ。召喚者がこうして魔物に触れられるなんて……」
ウンディーネの甘い声が耳元で聞こえる。ぞわぞわと背筋を走る何かを感じながらうるさい心臓を服の上から押さえつけていると、背後からまた別の声が聞こえてきた。
「ああ〜ごめんよあやめちゃん。言い忘れてた」
「え、レイン……?」
ウンディーネと自分でわたしを挟むように隣に立ったレインが、片手に持ったビーカーを押し付けてくる。
「今回のウンディーネは特に友好的な個体だからよかったけれど、本当は召喚した魔物に触れられちゃいけないんだ。喚んだ魔物は余程のことがない限り召喚陣から出ることはできないけれど、召喚者に危害を加えないとは限らないからね」
例え危険度がゼロの種族でもね。




