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第三話 異世界と魔女

 翌日から放課後にはあの駄菓子屋に行くことを余儀なくされた。

 勿論昨日のうちに散らかした分の片付けは済ませたが、肝心の棚はすっからかん。そりゃそうだ。棚ごと倒れたのだから。運良く二つの棚がお互いにぶつかり合ってわたしとレインに被害はなかった――わたしの制服を除けばだが――が、レイン曰くあの棚にあったものは商売道具だという。どういう理由かはわからないがそれらの再調達はわたしにしかできないらしく、放課後返上で働く……雑用係的なことを任されることになったのだ。

 結局レインがわたしを呼び出した理由もわからず、その説明も今日に回された。彼が時々口にしていた「素質」やら「才能」やらの意味もわからないまま、重い足取りで昨日と同じ帰り道を歩く。今だけは賑やかな商店街が憎かった。




「いらっしゃ~い、あやめちゃん」


 ぶん殴りたいほどの良い笑顔をしたレインが、昨日と変わらずカウンターに頬杖をついて手を振っていた。


「さ、おいで。こっちだよ」


 昨日と同じ部屋に案内されたが、その光景に目を見開く。部屋のレイアウトが丸っきり変わっていたのだ。通路のようになっていた二つの棚は壁際に追いやられ、レインが使うらしい工房の机は中央に設置されていた。元々は部屋の一番奥に置かれていたものだが、こっちの方が使い勝手が良さそうだ。如何せん各辺が百五十センチもある正方形の机なんざ壁際に置く方がおかしいだろう。おかげで壁際にあった頃は手前半分しか使われていなかったようで、壁側の半分は埃の住処と化していたのだから。

 机の前に置かれた丸椅子に腰掛けるよう命じられ、素直に従う。この部屋の大半を占めるアンティーク調の家具には似つかない鉄パイプの折り畳み式の椅子だ。倒れそうになるスクールバッグを何度か支え直してなんとか床に置いたところで、レインも向かい側の椅子に座った。わたしの目の前にはいつの間にか上等なティーカップが置かれている。


「サービスの紅茶さ。ストレートで良かったかな?」

「……ミルクか砂糖入れないと飲めないんだけど」

「んっふ」

「笑うんじゃないわよ!」


 わたしの言葉に間髪入れず吹き出すレイン。こちとら中学に上がりたての十二歳だというのに。

 肩を震わせながらシュガーポットを持ってきたレインに渋々礼をすれば、まだ笑いが収まらないのか笑い混じりで「どういたしまして」と答える。自分が無糖で飲めるからって推定同い年の子供を笑うのは失礼じゃないか。

 徐々にわたしの機嫌が悪くなっていくのを感じたのか、レインはわざとらしく咳き込んで「さて」と場の空気を変えた。


「どこから話そうか」


 レインをまとう空気ががらりと変わったのを肌で感じる。角砂糖を三つ入れた紅茶を一口飲み、静かにソーサーへ戻す。その一挙一動をじっと、観察されていた。水分を摂取したばかりの喉は既に乾いていた。

 気になっていることは多々ある。けれど、特に聞きたいことと言えば――。


「ねぇ。あんたの言ってる“素質”とか“才能”ってどういう意味?」


 レインの碧眼を真っ直ぐ見つめながら、一番の疑問を口にした。


「ああ、そうだね。それから話そうか」


 すう、と細められた碧眼。獲物を見つけた捕食者のような目に、反射的に背筋が伸びる。その様子を見てくすりと笑みをこぼしたレインは、駄菓子屋のカウンターで客を待つときのように、頬杖をついて、加えてトントンと指先で机を叩く。しんと静まり返った空間に、爪が机に当たり奏でる音だけが響く。コツコツ、コツコツ、と。


「あやめちゃん。きみはね、魔女なんだよ」


 どんな言葉が放たれるかは全く想像もできなかった。しかし、その中でもより一層意味のわからない言葉。


「は? 魔女?」


 言葉の意味だけなら知っている。魔法、不思議な力を持つ女の人。でもそれだけの認識だ。昔から魔女を題材とした創作物が生まれている。昔、どこかの国では魔女狩りなんてこともあったと聞く。

 でも、それが、わたし?

 生まれてこの方魔女どころか超常現象とすら出会ってきたことのないわたしが魔女だなんて、冗談が過ぎる。レインを見る視線に徐々に冷たさが混ざっていくのを感じていると、彼は至極真剣な顔をしてわたしの目を見つめ直した。


「嘘じゃない。まあ、きみが魔女というのは語弊があるけれど」


 どっちなんだよ。口から飛び出しそうになった言葉をなんとか飲み込む。


「具体的にはきみのひいおばあさんが魔女だったんだ。で、きみはその血を引く、魔女の“可能性”を秘めた少女さ」

「ひいおばあちゃんが、魔女……」


 記憶にないひいおばあちゃんの姿を頭の中で探る。写真でしか見たことのない、わたしの先祖。――優しい笑みを浮かべて、幼いわたしの母を抱く、綺麗な女性のことを思い出した。祖母にも、母にも、わたしにも引き継がれなかった、薄桃色の髪に真っ赤な目。明らかに日本人ではない。いや、今思えば地毛なはずがない。薄桃色なんて創作でしか見たことがないのに。

 そういえば、不気味なほどに老けない人なんだ、と母が笑って語っていた気がする。

 思い出せば思い出すほどにカチリ、とピースがはまっていく。


「きみのひいおばあさんの名前は、百花仙子。極めて優秀な魔女だった」


「まあ、こっちの世界では桃子と名乗っていたようだけれどね」。そう付け加えたレインを前に、わたしは口の中でひいおばあちゃんの名前を反芻する。百花仙子。百花仙子。それが、ひいおばあちゃんの本当の名前。

 魔女といえば、洋風の名前が思い浮かぶ。だって、創作上では大体がそうだから。百花仙子なんてまるで日本語みたいな……いや、日本よりも中国語っぽい、まるで仙人のような名前じゃないか。


「ここでは彼女の意思を尊重して、桃子と呼ばせてもらおうか。……桃子はこことは別の世界、“魔界”で暮らす魔女だった。しかし魔界で起こったある戦争によって大勢の魔法使いが命を落とす。桃子は戦争の起こった土地から逃れるために複数人の魔法使いと協力して、こっちの世界へとやってきた……というわけさ」

「その後、桃子を含む魔法使いはこの世界の各地に散らばり、この世界の住人として過ごしてきた。そしてきみは、そんな魔法使いの末裔なんだよ」

「ここまで、理解できたかな?」


 にこりと笑うレイン。わたしの中ではまたいくつもの疑問が浮かんでいた。魔界とはなんなのか。ひいおばあちゃん以外に魔女が、魔法使いがいるなら、彼女たちはまだ生きているのか。わたしが魔女の末裔だとして、なにができるのか。

 ぐるぐると頭の中で渦巻く数々の疑問たち。頭痛すら感じてきた頃に、ようやくレインが口を開く。


「その様子だと受け入れるのに時間がかかりそうだね」


 立ち上がったレインは手元の紅茶を飲み干すと、そばに置いていたティーポットを手に取った。


「これは桃子が僕に残してくれた唯一の形見さ。持ち主の意思に応じて中身が変わる、洗浄不要、中身も減らない魔法のティーポット」


 ポットを傾け、カップに注ぐ。流線を描いて注がれていくそれは、赤色のストレートティーとは似ても似つかない、漆黒のコーヒーだった。


「ね?」


 嬉しそうに微笑むレイン。自慢気なその表情に、わたしはなんの反論もできなかった。きっと彼にとって桃子さんは大切な人だったのだろう。そこまで踏み込む勇気はないが、自分のひいおばあちゃんが褒められて嬉しくならないわけがない。本当にそのティーポットに魔法が込められているのなら、ひいおばあちゃんが魔法をかけたなら、わたしにも、それができるのだろうか。

 物思いに耽っていた頃、「ああそうだ」とレインが付け加える。


「きみに魔女の可能性があるとは言ったけど、桃子のようにこうやって魔法が使えるわけではないからね」

「えっ」


 まさかの言葉だった。魔法が使えないのなら、魔女の存在意義とは?


「きみには確かに魔女の素質がある。でも僕が言ってる“素質”っていうのは、きみに眠る“魔力”の存在のことを指しているんだ。魔界で育っていない、ましてや魔法の存在を今の今まで知らなかった少女が成れるようなものではないんだ」

「……じゃあ、わたしにはなにができるの?」


 その言葉を待っていたかのようにレインがニヤリと笑う。


「あやめちゃんには、僕のために“素材集め”をしてもらうよ」

「素材……?」


 レインは立ち上がり、空っぽの棚をコンコンと手の甲で叩く。あまりのスッキリ具合に反射的に顔を背けてしまった。


「ふふふ。確かにきみのおかげで僕の“もう一つの仕事”は再起不能にまでなってしまったけど、この状況をどうにかできるのもきみだけなんだ」

「でも今日は遅いから、また明日だね」


 その言葉を皮切りに、わたしは椅子から立ち上がった。すっかり冷めてしまった紅茶を流し込み、スクールバッグを持つ。


「じゃあね、あやめちゃん」


 駄菓子屋の店先まで見送りに来たレインを後ろに、わたしは帰路についた。

 魔女、魔界、魔法、そしてレインの言う“素材”。自分のひいおばあちゃんが異世界の魔女だったことも含めて、わからないことだらけだ。……今夜は眠れるだろうか。

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