第二話 偶然か、作為か
祖母の葬式から一週間。徐々に両親にも日常が戻ってきた頃、そういえばと思い出した駄菓子屋の存在。場所を調べれば意外と家から近く、何故今まで気が付かなかったのだろうと不思議なほど。少し遠回りをすれば学校帰りにでも寄れそうな距離だったため、今日の放課後にでも足を運んでみようか。
ぼんやりと外を眺めながら考えていた昼休み。あと三分で五時間目のチャイムが鳴ることに気が付いて、慌てて教科書を取り出したのだった。
ホームルームが終わってそそくさと廊下に出る。今日は“なぎさ”もいないし、誰かと話すこともない。そもそも中学に入ってからまだ二週間しか経ってないのに友達なんかできるわけがない。周りは既にグループができているのに、いつも妙に浮いてしまう。忌引きとはいえ、入学早々さっそく欠席したことも影響しているのだろうか。……なんて、自分の性格が一番の理由だというのはわかりきっているのに。
嫌なことを考えている間に靴を履き替えて校庭に出る。本格的に授業が始まり、徐々に春の姿がすぎていって、太陽の傾きもより一層のものになった。
カバンからスマホを取り出し、マップアプリの検索欄に『駄菓子屋しゑる』と入力する。案内に従って歩みを進めればいつの間にか商店街に入っていた。家とは反対方向のため来ることは少なかったが、母親が時折買い出しのお土産に、と肉屋のコロッケを渡してくれたことを不意に思い出した。あのコロッケ、美味しかったな。
溢れる笑顔と賑やかさに新鮮さを覚えながら再びスマホに目を落とす。目的地までは数分もなかった。
どうやら『駄菓子屋しゑる』は商店街の路地裏にあるらしい。次の角を曲がり、人通りのない道へ足を踏み入れる。途端に騒々しさが一気に消えたように感じた。気のせいだろうか。振り返れば商店街の温かさが目に映る。道とは、不思議なものだ。
最近では珍しい、木の看板が屋根に取り付けられた一戸建ての店舗。外観は古臭いが、嫌悪感は感じない。むしろ懐かしさすら感じるほどだ。ここには来たこともないのに。
横開きの取っ手に手をかけて開く。随分と重いその扉はガダガダと音を立てて店内を晒け出した。
駄菓子屋の名の通り、所狭しと懐かしの駄菓子が売られている。昔大好きだった舐めるとパチパチとはじける飴を見つけて更に懐かしい気持ちになった。帰る時に買ってみようか、などと考えていると、チン、と軽やかなベルの音が店の奥から聞こえてきた。
音の方向に視線を向ければ、レジスターの乗せられたダークブラウンのカウンターの奥に、先日の少年の姿が。
「やあ、ようやく来てくれたね」
頬杖をつきながら笑顔でひらりと手を振る彼は、ワインレッドのエプロンを纏ってのお出迎え。年齢に似合わず黒のワイシャツの白のスラックスを着ている彼はどこか大人びて見えた。幼い顔立ちと身長は相変わらずだと言うのに、服装だけでここまで別人に見えるものなのか。
「いらっしゃい。『駄菓子屋しゑる』へ」
天使のような微笑みに釣られて店の奥へと足を進めていくと、カウンターの横にある冷凍ショーケースも見えてきた。木造特有の暖かさがじんわりと身に沁みていくのを感じていたが、突如、氷のような冷たさが背筋を走る。振り返れば、気付かずに通り過ぎていた木製の扉があった。名状しがたい違和感から目を離せず、視線は銀のノブに釘付けになる。見つめていた時間はどのくらいだっただろうか。体感時間では数十分も経った感覚だった。
しかし背後からかけられた声によって、わたしは謎の違和感からようやく逃れることができたのだ。
「さすがだね。その扉の“異常性”に気が付くなんて」
反射的に振り返れば、彼は変わらずの可憐な笑みを携えていた。
「やっぱりきみには才能があるみたいだ」
「それって、どういう……」
無意識に口から出ていた言葉に答えるかのように、彼は「ついておいで」と告げてカウンターから出てその扉を開いた。外から覗く限り、目ぼしいものは見つからない――否、何も見えない。異常なほどに部屋が暗すぎるのだ。深淵に足を踏み入れる、そんな表現が似合うこの状況。後々考えてみれば、あながち間違いでもなかったのだが。
暗闇に消えた彼を恐る恐る追いかける。背後から差し込む、扉の向こうからの光が唯一の頼りだった。部屋に入ってから感じる謎の圧迫感、加えて極めて狭い視界がわたしの精神を擦り減らしていく。小刻みに震える両手を押さえるようにお腹の前で強く握り締める。
「ああ、あまり奥の方までついて来ないでね。そろそろ電気を付けられるから」
着いて来いと言いながら奥までは着いて来るなと。放たれた矛盾にほんの少しだけイラつきを覚えながら足を止めた。
「ッぎゃあ!」
いや、止めようとした。立ち止まるために前へと引き寄せた右足に何かが絡みつき、わたしは、そう。盛大にすっ転んでしまったのだ。途端に響き渡る数々の物が倒れる音、割れる音。見事に顔から床へダイブしたわたしの頭の上には粘性のある液体が降り注ぎ、わたしの中で更に混乱を呼んだ。
「ぎゃああ! なにこれッ、なにこれぇえッ!」
頭のそれを引っぺがそうと暴れることで余計に惨事が広がっていく。ふとパチン、とスイッチを切り替える音が聞こえた。途端に開ける視界。どうやらわたしは棚と棚の間を通らされていたようだ。右足には黒いコードが絡まっており、頭部から垂れているのは半透明の液体だった。例えるならスライムだろうか。その他にも制服には謎の羽根や粉が付いている。向こうではガラスや植木鉢が割れていたりと、それはもう、自分がやったとは受け入れたくない光景が広がっていた。
「あーあ、派手にやってくれたねぇ」
悠々とわたしの前にしゃがみ込む彼は、変わらずの笑顔でわたしを見下ろしている。
「コードに引っかかっちゃったのか。うーん、これは僕の管理不足と言っても過言ではないけど……」
周囲を見渡しながら細い指先で顎をなぞる彼。その姿すら様になるのだから、顔が良いって本当にずるい。しばらく悩んだように考えていた彼が不意に視線を落とした。ばちりと目が合う。同時に三日月の形に弧が描かれる目と口。
「ここは僕の大事な、だーいじな工房だったんだ。で、棚に並んでいたのはその材料たち。いやあ、いくらしたっけなぁ。貴重なものもたくさんあったからなぁ。現状じゃもう手に入らないものもあったなぁ」
わざとらしく、それでいてどこか楽しそうに語る彼の表情は「愉悦」だった。
あ、コイツ性格悪い。そう気が付いても、状況は既に手遅れだ。
「きみ、名前は?」
さわやかな笑顔に早変わりした彼に、震えた声で答える。
「あやめ……柿﨑あやめ、です……」
「あやめちゃん、良い名前だね。僕はレイン・カエルレウム。よろしくね?」
差し出された手をじっと見つめていれば、彼――レインはまたもやわざとらしく「あれえ?」などと声を漏らす。
「この部屋、どうしてこんなことになっちゃったんだっけぇ。あやめちゃん、覚えてる?」
「……わたしが、転んだから、です……」
「ああそうだった! あやめちゃんは記憶力が良いねぇ!」
レインの笑顔は変わらず爽やかなものだ。けれど言葉にはどことなく棘がある。
「で、この手、取ってくれるよね?」
……当然、わたしに拒否権はない。
わたしと同じくらいのサイズをしたレインの手を握り返し、わたしは過去の自分を心の底から殴りたくなったのだった。




