第四十五話 アラクネ
召喚室で魔導書を持ちながら、魔法陣の前に立つ。
合宿で使ったカーペットタイプとは違い、ちゃんと(?)床に描いてあるタイプの魔法陣だ。
今回喚び出すのは『アラクネ』。魔導書の説明によれば、織物を織るのがとても上手な女性が、女神様に対してどちらの作るタペストリーの方がより良いものかを競い合い、その出来栄えに嫉妬した女神様が女性の作り上げたものを壊し、そのショックで自殺してしまったのだとか。それを悲しんだ他の神様が蜘蛛として生き返らせた……という。
どうしてそこで蜘蛛をチョイスしたのかは疑問だが、レインに聞けば「神話なんてこんなもの」なのだと言う。
アラクネがギリシャ神話の生き物というのは初めて知ったが……そもそも、どうして神話上の生き物がこうして召喚できるのだろうか。
何故神話の生き物が、魔界で生きて暮らしているのだろう。
――考えても仕方ない、か。
魔法陣に手をかざす。
「――魔女あやめが告げる」
風が巻き起こり、スカートをはためかせる。
「終わりのない糸を紡ぐ乙女よ。哀れみの雫を授かりし蜘蛛よ。傲慢の心を持つ罪深き非礼な織り手。その御手でこの声を掬い給え。神々の威光を潜り抜け、銀糸を辿り、此処へ至れ」
魔法陣が淡く光った。
「異界の生命よ。我が声に応えよ。今ここに顕現せん。アラクネ――!」
現れたのは上半身が女性、下半身が蜘蛛の姿をした妖艶な女の人。濡れたような黒髪が柳の葉のようにしなだれている。
魔導書によれば、アラクネの友好度は星三。危険度は星二。比較的友好的だが安全なわけではない……そんな評価だ。
そもそもこの評価は誰が付けているのだろう。
友好度に、危険度とは? 魔導書を作った本人は、これに載っている全ての魔物と出会ったのだろうか。
――そしてこの魔導書を作った人物とは、誰なのか。
ああ、今日は余計な思考が多い日だ。
そんな風に考えていたからか、目の前に美しい顔があることに気が付かなかった。
「小さな魔女ちゃ〜ん。聞こえてるかしら?」
「うわぁっ!」
「あら。驚かせちゃった?」
くすくすと笑うアラクネは、まるで獲物を見る捕食者の顔をしている。
きっと文字通り、彼女にはわたしのことが蜘蛛の巣に掛かった蝶くらいにしか見えていないのだろう。
魔法陣のおかげでこちらから立ち入らない限り、向こうから触れられることはない。が、それでも目の前に顔があったことには驚いた。
「こんにちは、可愛らしい魔女ちゃん」
「こ、こんにちは。アラクネさん」
「あら、お返事してくれるなんていい子ね」
うふふ。と笑うアラクネ。
まるで年上の親戚を相手にしているようで、どことなく居心地の悪さを感じる。
ところで、と口を開いたのはアラクネ。
「アタクシを喚んだ理由を聞いてもいい?」
そう聞いてきたアラクネに要件を伝えた。
「あなたの糸をいくつかと、織った何かが欲しい」と。
「もちろんいいけれど……織った何かって、具体的には?」
「さぁ……わたしも友人……知り合い? 仕事仲間? に言われただけなので」
「へぇ、そうなの」
アラクネは下半身のお腹の先から糸を出すと、手慣れた様子で束を作っていく。そしてそれを渡してくれた。
「あ、ありがとうございます。早いんですね」
「こんなもので驚かれちゃたまらないわ。ねぇあなた、そのお仕事仲間のことを聞かせてくれない?」
「え、どうしてですか?」
「聞かせてくれないと何も作る気がしないわ〜」
「う……わかりました」
アラクネの作ってくれた椅子――糸なのにいくら力をかけても壊れない。すごい――に腰かけ、隣で何かを織り上げるアラクネの手の速さに目を見開く。
「は、速い……」
「ふふ。これが仕事だったもの。それより、話の続きを聞かせてちょうだいな」
「ああ、はい……えっと、レインとの出会いは話しましたよね」
「それから何度もこうして魔物を召喚させられて、ある日には一日に何十回も、というところもね」
「あれは本当に大変でした……途中に休憩を挟んではいたんですけど、一度でもどっと疲労感が押し寄せるのに、あいつったら……」
「うふふ。その彼はあなたのことを余程信頼しているのね」
「信頼?」
「でないと、こうして自分のテリトリーに招いて手の内を明かしたりしないでしょう?」
「そうですかね……少なくともレインは自分の利益になることのためなら、ある程度さらけ出しそうですけど」
「あらあら。あなたが言うならそうなのかもしれないわね。なんたって、もう半年は一緒にいるのでしょう?」
「……まぁ、気が付いたら、ですけど」
「それでもよ。あなただって、逃げようと思えば逃げられたじゃない」
そう言われて気が付いた。
確かに、わたしはどうして逃げようとしなかったのだろうか。
そりゃあ、罪悪感はあった。彼の商売道具を滅茶苦茶にしてしまったワケだし。だとしてもそもそもはレインの管理不足で、わたしはそれに巻き込まれただけだ。
だからといって、『わたしにしかできない』と言われて軽々しく受け取るような、そんな優しい人間だっただろうか?
……何にせよ、ここまで巻き込まれてしまったのだから、もう後戻りはできない。
それに、何より。
「……何だかんだで、後悔はしてませんから」
そう言えばアラクネは少し驚いたような顔をして、優しく笑った。
最初、ここに現れたときとは違う、子供を見る優しい顔だった。
「そう。ならいいわ」
アラクネは手を止めると、糸を切る。
そして手に持っていたそれを、わたしの首に優しく巻いた。
薄桃色と白のグラデーションに銀糸の刺繍が入った、綺麗なストールだった。
「これは、あなたへのプレゼント。素敵なお話を聞かせてもらったもの」
手触りのやわらかいストールはまるでわたしの肌に吸い付くようで、簡単には緩まないようになっている。
何より、この出来栄えはどこからどう見ても高級品だ。
「こんな素敵なもの……本当に貰っていいんですか?」
「あなたのために作ったのだから、貰ってもらわないとアタクシ困ってしまうわ」
「なら……遠慮なく、いただきます」
アラクネは優しく笑った。




