第三十九話 変われないもの
「そっちにいたかい⁉︎」
「いません!」
「くそ、二階も全て探し終えた……三階に行くぞ!」
「っ、はい!」
あれから一階、二階としらみ潰しに探したが、カーバンクルはいなかった。……タコ助も。
一体どこに行ってしまったのだろう。本当に、わたしのところから居なくなってしまうのだろうか。
……考えても仕方ない。とにかく今は、足を動かして少しでも手がかりを――。
「っ月城さん! あっち! 露天風呂の方に何か見えました!」
「ナイスだ柿﨑さん!」
月城さんと一緒に露天風呂の方へ走る。
わたしたちが一緒に行動しているのには訳がある。まず目が増える。利点だ。次に、わたし一人ではカーバンクルを捕まえられる可能性が著しく低いからだ。カーバンクルはあの小さな体躯ですばしっこく動き回る。到底人の力では捕えられないと判断した月城さんと行動を共にすることを命じられた。
月城さんにはあの蔓を出す魔法がある。責任を全て押し付けてしまうのは申し訳ないが、こればかりは仕方ない。
だからわたしは目を皿のようにして、必死に探すのだ。
脱衣所にはいない。露天風呂の扉をガラリと開けば、その中央にカーバンクルはいた。
しかしわたしたちの姿を目にすると、すぐさま逃げる姿勢に入ってしまう。
月城さんはまた髪と目の色を変えて蔓を出すが、その全てを潜り抜け、カーバンクルはこちらへ走ってくる。
何とか捕まえようとカーバンクルを目で捉えるが、一歩、遅かった。
カーバンクルの柔らかい毛が手のひらを撫でて、するりと通り抜けていく。
「っすみません、月城さん! 逃しました!」
「気にするな! 見つけただけ上々だ! 今度は見失わないように食らいつくぞ!」
「はい!」
カーバンクルを追って階段を下りる。三階から二階へ、二階から一階へ。そしてエントランスを突き抜けて外へ。
無意識だった。その最中、右手で指輪の嵌められた左中指をぎゅっと握っていた。
タコ助、タコ助。返事して。
今こんなに大変なの、手伝ってよ。
そう伝えても、返事はない。
冷たい指輪は、熱を持たない。
ああ、どうしてあの時ちゃんと言えなかったのだろう。
タコ助はかわいくても、かわいくなくても、どちらでもいいのだと。
後悔ばかりが募っていく。
苦しい、苦しい、苦しい。
この息苦しさ、一昨日の夜に花園先輩に音楽を聞かせた時にも感じたな――なんて、どうでもいいことを考えて。
――ふと、視界の端に、白いものが映った。
自分は所詮、師匠に拾われただけの魔物に過ぎない。
苦しくて苦しくて仕方がない時に、禍都さんの影に入り込んだ。あそこは心地が良くて、ずっと音楽を奏でていた。
けれどそれがダメだと知ったのは、師匠のおかげだった。
自分の下手な演奏が、却って禍都さんを苦しめていたのだと。立ち止まって自分の演奏を聞いてくれたお返しに、彼の中に入って演奏していたのが、ダメだったのだと。
申し訳なくなった。どうしてあんなことしてしまったんだろうって、自己嫌悪にも陥った。
けれどそんな自分を、暗い暗い闇の底から掬い上げてくれたのが、師匠だった。
こんなどうしようもない自分に音楽を教えてくれると胸を張って、既にたくさんの楽器を使えるのに、自分のために、って今まで触れたことのない管楽器に手を伸ばしてくれた。
――これは全部、嫉妬だ。
師匠の手によって喚び出されて、かわいいかわいいと、愛を囁かれている獣に対する。
自分が得られなかったものを全て持っていった、あの小さな生き物が、羨ましかった。
だから、逃げた。
こんな未熟な異形より、かわいらしくて、賢い獣の方が、師匠に似合っていた。
音楽は、やめる。
“演奏をしなければならない”。その意識は捨てられないけれど。でもそれは、“上手な音楽”でなくてもいいはずだ。
だから、捨てる。綺麗な音色は、音楽は。
トランペットを取り出す。
口をつけて、息を吹き込んだ。
プァ、と、綺麗な音が鳴った。
「……音楽って、どうやって捨てたらいいんですか」
師匠と出会うまでに吹いていたような醜い音色は、もう出なかった。
「教えてくださいよ、師匠」
そうして自分は、いつもの場所に腰掛けた。
「月城さん、先に行っててください!」
「なっ、柿﨑さん⁉︎」
「お願いします! 今タコ助を見失うと、もう本当に、会えなくなる気がするんです!」
「……っ、ああもう、困った後輩だな全く!」
そう言い残して、月城さんはカーバンクルを追いかけに行った。
わたしはタコ助を追いかけて走る、走る。
タコ助が居たのは、毎晩一緒に楽器の練習をする石畳だった。そこに小さく座り込んで、ひとりで細長いトランペットを吹いている。
その音はまるで泣いているようで、居てもたってもいられなかったわたしは、タコ助に向かってスライディングをするように抱きついた。
「えっ、師匠⁉︎ は、離してください!」
「嫌!」
「も、もう自分は師匠と一緒にいることをやめるんです! 契約も、なかったことにするんです!」
「しない!」
バタバタと暴れるタコ助を二つしかない腕で押さえ込むようにして、タコ助を抱き締める。
「っ……し、しょうは、どうして……自分なんかに、構うんですか……あの、へんなのを、追いかけてるんじゃないんですか……」
「あっちは月城さんに任せたの」
「でもずっと、月城さんと一緒にへんなのを追いかけてたじゃないですか」
「……見てたの?」
「あっ……えっと……三階に上ったとき、までは」
「そう……」
ようやく落ち着いたタコ助を解放して、向かい合うように膝の上に乗せる。
体の前面に砂がついているが、そんなことどうでもいい。
「タコ助、よく聞いて」
「……聞く必要なんて、ないです。師匠は自分との契約を破棄して、あのへんなのと契約すればいいんです」
「聞きなさい!」
思わず大声を上げたわたしに、タコ助は体をビクつかせた。
「カーバンクルがあんたよりかわいいのは事実。それは訂正しないわ」
「……なら、やっぱり……」
「でも!」
「でも……わたしと一緒に音楽をやるって決めたのは、一緒に成長してくれるって言ったのは、あなたなのよ。タコ助」
視界が歪む。冷たいものが頬を伝った。
「……師匠」
「わたしはカーバンクルと契約したいなんて言ってない。わたしの契約相手は、あなたじゃないとダメなの。あなたが素敵な音楽を奏でるようになるまで見守る相手は、わたしじゃないといけないの」
「っ、師匠……」
一度流れたものは止まらない。
塞き止められていたものが、次から次へと溢れていく。涙も、言葉も。
「あなたがいいの。あなただから、わたしは心を開けたの。……だって、誰かの前で泣くなんて、情けないじゃない」
嘲笑が混ざったその言葉に、タコ助は目を見開いた。
そしてゆっくりと、一本の触手がわたしの目元を拭う。随分と優しいそれは、小さく震えていた。
「……自分で、いいんですか」
「何度も言わせないで」
「……自分が、いいんですか」
「だからそう言ってるでしょ」
「……師匠、師匠っ……! 師匠っ!」
タコ助は大きな目から大粒の涙を流して、わたしに抱き着いてきた。
わたしはタコ助を抱き締め返して、まるでひとつになってしまうほど、お互いを掻き抱いたのだ。
――いつの間にか、指輪は元の輝きを取り戻していた。
白濁色の宝石は、優しくも儚い、ぼんやりとした淡い光を放っていた。
「……さて、カーバンクル捜索に戻るわよ、タコ助!」
「ぐすっ……はい、師匠!」
タコ助を頭に乗せ、走って月城さんが駆けた方へ向かう。
着いた先は宿舎の裏にある小さな小道。一昨日、水森と星元と共に散歩に来たあの場所だ。
カーバンクルと月城さんは向かい合っていた。
月城さんの出す青白い蔓を華麗に避けては逃げ出す隙を見計らっているカーバンクルと、そんなカーバンクルを捕まえるためにひたすら蔓を動かし続ける月城さん。
どこか蔓の動きが遅くなっているように思うのは、月城さんにも疲労が溜まっているからだろう。わたしの足ですら既に鉛のように重たいのだ。いくら運動部といえど、魔法まで使っている月城さんが疲れていないわけがない。
「月城さん!」
「! 柿﨑さん!」
そう声をかけたのが不味かった。
月城さんの意識がこちらに向いた一瞬、カーバンクルが動いた。蔓の網を抜け、月城さんの脇を通り、わたしの方へ向かってくる。
捕まえなきゃ。
そう思うよりも早く、体が動いていた。
タコ助を捕まえたときのように、スライディングに近い形でカーバンクルに向かって突進する。
指先に毛が触れた。
しかしやはり、その素早さには敵わない。
手を握るよりも早く、カーバンクルは駆ける。
――だが、今回は二人ではない。
「っ、師匠! へんなの、捕まえましたー!」
タコ助の安堵の声が、鼓膜を揺さぶった。
自慢の触手をにゅるんと伸ばして、二本の腕でカーバンクルをぐるぐる巻きにしている。
「よくやった。タコ助、柿﨑さん」
月城さんの声で、ようやく張り詰めた糸が緩むように、力が抜けたのだった。
「ご苦労さま、二人とも」
「月城さんも、お疲れ様でした。……ご迷惑を、おかけしました」
「あはは。気にしないでいいよ。結果よければ全てよし、さ」
カーバンクルを魔界に返し、管理人室で膝を合わせる。
「きみたちが仲直りしたかは聞かないよ。……けれどどうして、柿﨑さんは砂だらけなんだい? 膝から血も出てるじゃないか」
「これは……勲章? みたいな」
「ふふ。どんな勲章だい、それ」
二人で笑い合う。
指輪の中にいるタコ助も笑っているのか、左の中指がじんわりと温かくなった。




