第三十八話 毒と“かわいい”
次に喚ぶのはバジリスク。例の毒の息を吐くらしい魔物だ。
月城さん曰く、何故か持って来ていたらしいガスマスクを装着して、文字列に目を通す。
魔導書によれば、バジリスクとは毒を吐く蛇のことらしい。その毒は自分を殺した人間すら間接的に殺してしまうほど強力なのだとか。……これ、ガスマスクでどうにかなるのだろうか。
死ぬにはまだ若すぎるし、やりたいことだって、やらなきゃいけないことだってまだまだある。月城さんはわたしを殺したいのだろうか? そうでない、と、いいけれど。
魔法陣の前に立ち、手をかざす。
「――魔女あやめが告げる」
ぼぅ。魔法陣が淡く光る。
「トサカを持つ蛇の王。毒の息を持つ悪魔よ。死をもたらす凶悪で恐ろしき獣。草木を枯らし、石を砕き、全てを侵し、殺し尽くす生物の猛者よ。我が命を糧にして、道ある者を殺せ」
風が吹き、スカートがはためく。
友好度は星ゼロ。危険度は星四。召喚の呪文も危険な言葉が並んでいる。
「異界の生命よ。我が声に応えよ。今ここに顕現せん。バジリスク――!」
強い光が放たれる。ガスマスクのおかげで少し視界が暗くなっているからか、バジリスクが現れる様子がぼんやりと見えた。
魔法陣を這うように、ずるりとトサカのある蛇の頭が出てきた。引き摺るように下半身も出てきて、魔法陣の真ん中に収まる。
「――私を喚んだのは貴様か」
渋いバリトンボイスだった。
思わず胸が高鳴るのを抑えて、早速交渉に移る。
「バジリスクさん。あなたの毒の息? をください」
そう言えばバジリスクは暫し思案した後、頷く。
「良かろう。して、どこに息を吐けばよい」
「えっと……」
キョロキョロと辺りを見渡して、サイドテーブルに置いてあった大きめの瓶を手に取る。
「これに入れられますか?」
「……やってみよう」
蓋を開けてバジリスクの口元に寄せる。するとその口から紫の煙のようなもの――毒の息が出て、瓶の底に溜まっていく。そうしていっぱいになるまで吐き終えたあと、バジリスクは口を閉じた。
わたしは瓶の蓋を固く閉めて、バジリスクに向き直る。
「ありがとうございました」
バジリスクは少し黙ったあと、また口を開く。
「二度と喚ぶな、人間」
そう言って、バジリスクは消えた。
友好度星ゼロという評価は伊達じゃないらしい。そもそも、素直に要求を受け入れてくれただけ奇跡なのかもしれない。
どちらにせよ、荷物がいっぱいだ。一度月城さんに渡しに行こう。
……そういえば、また、『人間』って呼ばれたな。
月城さんに荷物を渡したあと――バジリスクの毒の息の入った瓶に関しては、月城さんが上から更に強く閉めていた。わたしが開けようとしてもビクともしなかった――、わたしはまた地下室に戻って魔導書を捲っていた。
次はラスト。カーバンクルだ。
正直もうヘトヘトである。少し休憩したい。といっても部屋に座れるような場所はなく、床も埃っぽい。
仕方なくカーバンクルのページを開いて、魔法陣と向き合った。
カーバンクルは友好度星五。危険度星一。今日召喚した魔物たちの中で、最も安全な魔物である。
これなら怖くないし、早く終わりそうだな。そう考えて、魔法陣に手をかざした。
「――魔女あやめが告げる」
ぼぅ。魔法陣が淡く光る。
「煌めく宝石を額に持つ愛らしき獣よ。黄金を身に纏い、その目は善悪を見抜く。其方を守る七色の殻衣。富を与える聖なる小竜よ。此の身を以て、世の恐怖から庇護すると誓おう」
風でスカートがはためく。
「異界の生命よ。我が声に応えよ。今ここに顕現せん。カーバンクル――!」
強い光が溢れる。光が収まったあと、そこにいたのは、犬のような猫のような狐のような――色々並べたが、フェネックが一番近い――、小さな生き物だった。
額にはガーネットのように真っ赤な宝石を携えて、ちょこんと魔法陣の中央に座っていた。
「ぼくをよんだのはあなたでしゅか?」
舌っ足らずだ。
思わず胸がギュンとした。これさっきも経験したな。
「んんっ……はい、わたしが喚びました」
カーバンクルはこてん、と首を傾げる。
「ごようけんはなんでしゅか?」
かわいい。すごくかわいい。
タコ助なんか比じゃないくらいにかわいい。
そんなことを思ったら、抗議するように指輪が強く輝いた。
それを無視して、カーバンクルの高さに合うように膝をつく。
「えっと、あなたの毛をいくつか分けて欲しいんです」
「おやすいごようでしゅ。でも、こうかんじょうけんがありましゅ」
「交換条件?」
カーバンクルはにこりと笑った。
「ぼくをおそとにだしてほしいでしゅ」
「――ということで、連れてきました。カーバンクルです」
「ということで?」
月城さんが呆れた顔でオウム返しをした。
心底信じられない。そんな顔をしている。
「あのね、柿﨑さん。魔界から喚んだ魔物を魔法陣の外に出すのがどれほど危険か、わかってるのかい?」
「でも交換条件として月城さんからお願いされたカーバンクルの毛はいくらか貰えましたし……それに魔導書にも友好度は最高で、危険度は最低に等しいって書いてありますよ?」
「…………」
眉間にできた皺を揉みほぐす月城さんを見ながら、肩に乗っているカーバンクルと顔を見合わせて首を傾げる。何か変なことでも言っただろうか?
「このおにいしゃんは、どうしてこわいかおをしてるんでしゅか?」
「さぁ……」
より首を傾げてみれば、カーバンクルも真似して更に首を傾げる。かわいい。
そう思ったことが伝わってしまったのか、飛び出すように指輪からタコ助が出てきた。そして月城さんの頭の上に着地する。
「師匠―! また! またそいつのことかわいいって思いましたね!」
「なによ。かわいいものをかわいいって思って悪いわけ?」
「自分がいるじゃないですか!」
「タコ助はかわいいって言うより、キモいわよ」
「き、きもい⁉︎」
「本来の姿を思い出してみなさい」
「うっ……」
脳裏に浮かぶのは、禍都の影からタコ助を引っ張り出した時の悍ましい姿。今はこんな愛らしい白いタコの姿を取らせているけれど、正しくはあっちの姿なのだ。あれを知っている身からすれば、初手でかわいい・舌っ足らず・こんなにも懐いてくれるの三拍子が揃ったカーバンクルの方をかわいいと思うのが正常だろう。
タコ助はどこから取り出したのか白いハンカチを口に咥えて、悔しい! と一昔前の悪役令嬢みたいなことをしている。かわいいを履き違えているのじゃないか?
「とにかく、カーバンクルは魔法陣の中に戻してきなさい」
「お母さんですか……」
「きみの先輩だよ」
「知ってますよ」
「月城さん、言ってやってください! そこにいる変なのより、自分の方がかわいいって!」
「きみは頭の上から降りてくれないかな」
「なぜあのたこのようないきものは、ぼくをてきたいししているのでしゅか?」
「さぁ……」
「キィーッ!」
またハンカチを引っ張って威嚇(?)するタコ助。情けない。
しかしどうも、月城さんはカーバンクルが外にいることをよく思わないらしい。
どうにか説得しようと口を開いた――その瞬間。月城さんの髪の毛先と瞳の色が、青から黄色へのグラデーションへ変わった。
あ、この目。見たことある。
わたしに催眠術をかけたときと、同じ色だ。
「少し手荒にいくよ、柿﨑さん」
「え」
月城さんがそう言ったと同時に、青白い蔓のようなものがわたしの体を縛り付けた。そしてそれは肩にいるカーバンクルにも伸びていく。
ピャッと体を跳ねさせたカーバンクルは逃げるようにわたしの肩から降り、月城さんの長い脚の隙間を縫って、管理人室から出ていってしまった。
「ち、逃したか」
「つ、月城さん! 何するんですか⁉︎」
「レインは魔物の危険性をきみに教えなかったのかい? どれだけ友好度が高かろうが、危険度が低かろうが、魔物は魔物だ。何を仕出かすかわからない、異界の生き物なんだよ」
「で、でも、カーバンクルはそんな怖い生き物じゃ……」
「でももだってもない。魔界の生き物は、こちらの世界にとって外来種なんだ。もし何らかの形で“根付かれ”でもしたら取り返しがつかなくなる。そんなとき、きみは責任を取れるのかい?」
「そ、れは……」
わたしが口籠っていると、月城さんの上に居たタコ助がぽつりと呟いた。
「……師匠は、自分よりもあのへんなのの方が好きなんですね」
「え?」
「もう、いいです」
タコ助のその言葉と同時に、わたしの左中指にあったタコ助との契約の指輪から、光が消えた。
残ったのは豪華な装飾をした指輪の枠と、契約の際に色付いた白濁色の宝石だけ。
ぴょんと月城さんの頭の上から降りたタコ助は、逃げるようにこの場から走り去ってしまった。
「ま、待ちなさい、タコ助!」
慌てて追いかけようとするが、わたしの体は月城さんの出した蔓に捕らえられている。
月城さんは溜め息をついて、ようやくわたしを解放してくれた。
「タコ助を追うのはあとだよ。カーバンクルが手の届かないところに逃げてしまう前に、捕まえないといけないからね」
「っ……わか、って、ます……」
偶然にも、カーバンクルとタコ助は逆方向に別れていった。
先を走る月城さんを追いかけながら、ちらりとタコ助の走り去った方を見る。
そこにはもう、誰もいなかった。




