第三十七話 知ってしまった代償
合宿六日目。午前は変わらずマネージャー業務の手伝い。
昼食の手伝いと片付けをしていると、不意になぎさが声を上げた。
「部長、午後の練習お休みするって」
「月城さんが?」
体調でも悪いのだろうか? でも午前の練習ではいつも通りに、いや、いつも以上にイキイキとしていた。特に神風先輩と花園先輩に対しては満面の笑みで他の部員よりも厳しく指導……じゃない。愛のある特訓を課していたというのに。
などと考えていると、レインから声がかけられた。
「あやめちゃんや、ちょいとこっちに来てくれんかね」
呼ばれるまま食堂の入り口に行けば、そこにはレインと話の渦中にいた月城さんがいた。
レインはいつもの微笑みを携えて、月城さんは二人をしごいていたときのような、どこか愉しそうな笑みを浮かべている。
「洗い物ありがとう、柿﨑あやめさん」
「い、いえ……」
何故フルネーム? ……そういえば、午前中に二人を呼んでいた時もフルネームで呼び捨てしていたっけ。
思い出すのは昨日のこと。神風先輩が月城さんのことを下の名前で呼んで、月城さんがそれに怒って……そしてそこに居た三人だけが、月城さんからフルネームで呼ばれている。
もしや。
「あ、あの!」
「なにかな? 柿﨑あやめさん」
「わたしは部員じゃないので、走り込みとか筋トレとか、言われてもやりませんからね……!」
「わかっているとも」
その言葉にほっと胸を撫で下ろす。
よかった。わたしはあの二人のように血文字でダイイングメッセージを残さずに済みそうだ。
「代わりに召喚術をお願いするけどね」
「はっ⁉︎」
反射的にレインの顔を見れば、緩く握った拳をコツンと頭に当てて――所謂てへぺろをしていた。
殴り掛かりにいきそうな自分の右腕を必死に抑えて、月城さんに向き直る。
「しょ、召喚術って……わたしが知ってる限りだと、魔法陣と呪文がないとできないと、思うんですけど……」
「レインくん」
「えへ……ごめんね、あやめちゃん。こんなこともあろうかと、魔術書と持ち運び用の魔法陣を持ってきてあるんだ」
「こんなことってどんなことよ!」
遂に飛びかかった右腕でレインの顎にアッパーをかます。もふもふの付け髭が(わたしの拳への)衝撃を和らげた。
放物線を描いて後方へ飛んでいくレイン。
「はぁーっ、はぁーっ……」
「落ち着いたかな?」
「……多少は。ちなみに、拒否権って」
「俺の名前を忘れるなら許すよ。もちろん、手は貸すさ」
「…………具体的に、どうやって手を貸してくれるんです?」
「今、柿﨑さんがレインくんにやったように、だね」
「ぜひ協力させてください」
お手本のような礼を披露してみれば、月城さんは満足そうに頷く。
そして促されるまま、管理人室へと連れていかれた。……レインはその場に置き去りにして。
三日目に訪れた管理人室の地下。そこには魔法陣の描かれたカーペットが敷かれており、これがレインの言ってた持ち運び用の魔法陣なのだろう。本当に余計なことをしやがって。というかカーペットを持ち運ぶって、錬金術師の思考ってどうなってるの? ……魔法陣を使うのは魔女なのだけれど。
「それじゃあ今から、柿﨑さんには四体の魔物を召喚してもらうよ」
「よ、四体も⁉︎」
「おや? レインくんから聞いた限りだと、何体も連続で召喚したことがあるって聞いたけど」
月城さんが言っているのは、以前にレインが仕事を溜めに溜めていた時の話だろう。確かに何体も召喚はした。しかし連続ではないし、一回召喚するだけでも結構疲れるのだ。
「今回召喚してもらうのは、ハルピュイア、セイレーン、バジリスク、カーバンクルだ。魔導書に付箋を貼ってあるからそれを見てくれ。呼び出す順番は任せるよ」
「ま、待ってください。せめて休憩は挟んでもらっても」
「休憩なしで、いけるよね?」
「……はい……」
にっこり。と擬音がつきそうなほどにいい笑顔をした月城さんには勝てなかった。
「ハルピュイアからは羽根、セイレーンからは鱗、バジリスクからは毒の息、カーバンクルからは毛を何本か貰ってほしいんだ」
「わかりまし――ちょっと待ってください。今毒の息って言いました?」
「運がいいことに、何故かガスマスクが手元にあってね」
「なんでピンポイントでガスマスクがあるんですか⁉︎」
「とにかく、よろしく頼むよ」
それはもういい笑顔で地下室から出ていった月城さん。残されたわたしはどうすることもできず、とにかく早く終わらせてしまおうと、魔導書のページを捲った。
まず最初に開いたのはハルピュイアのページ。友好度は星二、危険度は星四。初回から中々の危険人物(?)だ。
魔法陣の前に立ち、魔導書を片手に手をかざす。
「――魔女あやめが告げる」
ぼぅ。魔法陣が淡く光る。
「大いなる空の飛翔者。醜悪なる翼の強盗よ。此処に在るのは其方の求める金銀財宝。それに匹敵する我が命。美しきものを簒奪せし鳥よ、貪欲な瞳を輝かせて此の命を見定めることを赦す」
風が吹き、スカートがはためく。
「異界の生命よ。我が声に応えよ。今ここに顕現せん。ハルピュイア――!」
魔法陣から強い光が溢れる。それと同時に、突風が吹いた。
「うわっ⁉︎」
慌てて魔導書で顔を隠し、風から身を守る。
ゆっくりと光と風が収まっていった頃、可愛らしい笑い声が響いた。
「キャハハハッ! 魔女だ! 魔女に喚ばれた! キャハッ! キャハハッ!」
そうっと魔導書を退かし、その姿を見る。
ハルピュイアは顔と胴体が女性。腕のある位置には鳥の翼が生え、下半身は鳥そのものだった。
幼い子供のようにきゃらきゃらと笑うハルピュイア。不意に、目が合った。
「おまえ、魔女じゃないな」
ドキリと心臓が高鳴ると同時に、ハルピュイアが翼を大きく振りかぶった。が、魔法陣から出られないハルピュイアの翼は、見えない壁にぶつかる。
舌打ちをするハルピュイアに対して、わたしの手は震えていた。きっと、顔も青いだろう。
「くそ、魔法陣は完璧だな。……おまえ、何のためにおれを喚んだ?」
先程までの楽しそうな様子とはうって変わって、ハルピュイアの顔は顰められている。余程“魔女でない人物”に喚び出されて機嫌が悪いらしい。
わたしは手の震えを必死に抑えて、あくまでも理性的に、ハルピュイアの目を見つめた。
「あなたの、羽根をください」
「はァ? ヤだね」
即答だった。
困った。これでは月城さんにドヤされる。
「無理だからおれは帰る――って、帰れない? なんで?」
「えっ?」
ハルピュイアの言葉に目を開いた。帰れない? どうして?
今までの魔物はみんな自分の意思で帰っていた。ウンディーネも、ユニコーンも、他の魔物も。他と唯一違うことと言えば……。
「……こっちの要求を、呑んでないから?」
答えに辿り着くのは必然だった。
ハルピュイアは目を剥いて、また大袈裟に舌打ちをする。
「意味わかんない! 羽根毟らなきゃ帰れないってこと⁉︎ あーあ、これだから人間はイヤ!」
更に不機嫌になったハルピュイアはぶつくさ言いながら、口を使って何枚かの羽根を毟る。それをこちらに投げ捨てて、ぷいとそっぽを向いた。
「サイテーな人間!」
そう言い残して、ハルピュイアは姿を消した。きっと向こうに帰ったのだろう。
わたしは地面に落とされた数枚の羽根を拾い集めて、先程の言葉を口の中で反芻する。
……最低な人間、か。
胸が痛むのは、人間として貶されたからか、『人間』として扱われたからか。
今のわたしには、わからなかった。
気を取り直して、次はセイレーン。
彼女は早かった。
「――魔女あやめが告げる」
友好度は星一。危険度は星二。
友好度の低さに警戒していたが、意外とぽんぽん話が進んだのだ。
「海に住まう半魚の怪異。翼を捥がれた哀れな歌姫。航路を惑わせ、骸に嘆く、自縄の乙女よ。作り上げた亡者の海域に住まう命。我が歌を聴き、囀りを返し給え」
「異界の生命よ。我が声に応えよ。今ここに顕現せん。セイレーン――!」
現れたのは上半身が女性、下半身が魚の、人魚のような魔物。
鱗が欲しいと直球にお願いすれば、さっさと自分の手で鱗を一枚捲って、こちらに寄越してきた。
そしてすぐに消えた。
ハルピュイアとのやり取りが嘘のように早かった。
「……ま、悪いことじゃないよね」
そう呟きながら、わたしは次の魔物のページを開いた。




