第三十六話 お風呂と名前
合宿五日目。いつものようにマネージャー業務と食事の手伝いを終えて、今は夜。夕食を終えた直後だ。
なぎさとレインとの三人で洗い物を終えて、部屋に帰ろう。そう思った直後のことだった。
「ねぇあやめ、露天風呂いこうよ!」
「は? 露天風呂? 一緒に?」
「一緒に!」
満面の笑みで言うなぎさ。
「はぁ⁉︎ 一緒にお風呂⁉︎ 小学生じゃないんだから!」
「いいじゃんたまにはさ〜! ほら、咲綾ちゃんも誘ってあるから! 『三人で行こうね』って!」
そう言って見せられたのはなぎさと東のメッセージ。……わたしを誘う前から、既に三人で行くことで確定されている。
額を押さえるわたしを最早見ているのかいないのか、浮き足立った様子を隠さないなぎさは、ぐいぐいとわたしの腕を引いて露天風呂に連行しようとする。このままでは身一つで行かされそうだ。
口から漏れた溜め息は隠すこともせず、仕方なく、本当に仕方なく、なぎさに同意した。
背後でニヤついていたレインの脛には痛恨の一撃を入れておいた。
ところ変わって露天風呂。
東は眼鏡を外して、なぎさは髪を解いて、三人揃って素っ裸になって横並びでシャワーを浴びていた。
「うきゃあッ! 泡が目に入った!」
「だ、大丈夫っ綿津見さん⁉︎」
「ほんと馬鹿……」
自分のシャワーを手に取って、なぎさの顔面に吹きかけてやる。
また暴れだしたなぎさはもう無視するとして、わたしは自分の体を洗うことを優先した。
「あわ、あわわ……!」
「東も。そんな馬鹿放っておいてさっさとお風呂入りましょ」
「で、でも……」
「泡ごときでなぎさが死ぬわけないでしょうが」
「それは……そう、ですね……?」
適当に言いくるめたが、どうやら納得したらしい。
二人して、真ん中に座るなぎさを無視していれば、ようやく痛みから解放されたらしいなぎさが目を赤くしてこちらを睨んでくる。徹底的に知らん顔を決め込んでやれば、なぎさはぶすぅっと頬を膨らませてそっぽを向いた。
そうこうあって全身を洗い終えたわたしたちは湯船に入ることにする。
あ、そういえば。
「ねぇなぎさ」
「なに? 一番風呂は譲らないよっ!」
「そうじゃなくて」
「騙されるかっ! えーい!」
バシャン!
勢いよく湯船に浸かったなぎさ。
「あ゛っ……つぅーーいッ!!」
かと思えば魚のように跳ね上がって湯船の淵にしがみついて、両足を水面に触れないように持ち上げる。まるで金のシャチホコみたいだ。
「だから止めたのに……」
「あやめ知ってたの⁉︎」
「二日目に入ったの」
「う、裏切り者!」
「『熱いから気をつけて』って注意しようと思ったのにこのやろ」
「イタタタタッ! ヘッドロックやめて! 足がお湯にッ足がぁ〜〜〜っ!!」
バタバタと暴れるなぎさのみっともないことったらなんの。
満足して離してやれば、熱さと酸素不足で目をぐるぐる回していた。
「うぅ〜〜〜……ごめんてぇ〜〜……」
「まったく……」
湯船から完全に這い出たなぎさ。わたしは縁に座るようにして、まずは足先だけを浸して熱さに慣れている。東は苦笑いをしながら、全身を湯につけていた。……全身を?
「あ、東っ? 熱くないの?」
「えっ? えぇっと、うちのお風呂、これより少し低いくらいだから……そこまでキツくないよ」
「咲綾ちゃんのおうち、お風呂何度ぉ……?」
「えっと……四十二度? とかだったかな……」
「発熱した人間の脳細胞が溶ける温度だ……」なんてよくわからないことを呟くなぎさと、なんとなく頷き合う。
サッカーの技術も凄いけど、熱さへの耐性もすごい。
そうこうして何とか三人で湯船に浸かり、ぼーっと夜空を眺める。
同じ星空はここに来て二日目に見たけれど、人が増えるとその分やかましさも増すもので。
「夏の大三角ってどれ? あれかな⁉︎」
「あれじゃなくて、あっちだよ。ほら、他よりキラキラしてる三つのお星さまがそう」
「くぅ〜っ! ニアピンっ!」
「全然惜しくないし。東、星に詳しいのね」
「あっ、う、うん。天体とか、好きだから……」
言うなりぽぽぽ、と逆上せたように顔を赤くしてしまう東。
……いやこれ、本当に逆上せてるんじゃ?
「東、大丈夫? 東⁉︎」
「ひゃいぃ〜……」
「なぎさ! 管理人呼んできて!」
「わ、わかった!」
「服は着なさいよ!」
「わかってるよ!」
なぎさがレインを呼びに行っている間に自分と東に服を着せる。ギリギリ意識を保ってくれていたのが功を奏した。
やってきたレインは簡単な処置を施すと、脱衣所に備え付けられている扇風機をつけて、その前に東を寝かせるように言った。
冷たい風を浴びせていると、ゆっくりと東が目を開く。
なぎさは涙目で東に抱きつき、わたしはその頭をスパン! と叩いてやった。
その日の夜。二十一時半までタコ助との練習を終えて、食堂でお茶でも飲んでから自室に帰ろうかと思ったその時だった。
休憩スペースに二つの影を見つけたのだ。
綺麗な金髪と、白髪。神風先輩と花園先輩だ。
あまり揃わない二人で何をしているんだろう。気になって覗いてみれば、並んでソファに座ってはお笑い番組を見ていた。……神風先輩はわかるけど、どうして花園先輩まで?
お世辞にも面白いとは言えないお笑いを見てゲラゲラ笑う神風先輩に対して、最早テレビすら見えていないような“無”の表情をする花園先輩。
「地獄?」
ぽつりと呟いたが最後。ぐるんっと二人分の顔がこちらを向いた。
漏れ出た悲鳴は聞こえていないのか、いつの間にか目の前にいた神風先輩が肩を組んでくる。
「Hey あやめ〜! アヤメもお笑いwatch?」
「いや、わたしは偶然通りかかっただけで……」
「柿﨑、こっち」
「え、え?」
手招きしている花園先輩の元へ、神風先輩の手によって有無を言わさず連れて行かれる。
神風先輩と花園先輩の間に挟まれるようにして、流れるように逃げ道を失わされた。
どういうつもりだと花園先輩に視線を向ければ、彼は死んだ魚のような目をして、ぽつぽつと話し始めた。
「俺、小さい頃からクールキャラでやってきたから、感情の出し方がわからなくて」
「……それを神風先輩に相談したら、こんなことに?」
花園先輩は小さく頷く。その顔には疲労が滲み出ていた。
大方、神風先輩はお笑い番組を通して、感情の出し方をレクチャーしようとしたのではないだろうか。自然に笑うことで笑顔から思い出させて、芋づる式に……といった具合に。
しかしこの様子だと成果はいまひとつらしい。いまひとつどころか、マイナスに振り切っている気もするが。
――このままでは花園先輩の目だけでなく、感情までも死んでしまいそうだ。
何とかしてあげたいけど、どうしたら……。
「トーシローセンパイ! お笑いwatch! ハハハ! Funny!」
「……うん、そうだね」
「ふとっ、布団が! ふっとんだ! アッハハハ!」
神風先輩は神風先輩で、びっくりするほどつまらないギャグで笑っている。
どうしたらいいんだ、この空間。
……あ、そうだ。
「花園先輩」
「……どうした?」
「最近あった面白いこととか、楽しかったこととか思い出してみたらどうですか?」
「面白いこと、楽しかったこと?」
暫く思案した後、花園先輩はふっと口元を緩ませる。
「柿﨑のフルートは、よかった」
さっきまでの死んだ目が信じられないほどに、優しく細められた。
「わ、わたしのフルート?」
「うん」
しかしまたいつもの無表情に戻ってしまう。
けれど、一瞬といえど笑ってくれたから、感情を出すこと自体は成功なのではないか?
「Flute? アヤメ、Flute興味ある?」
「興味があるというか、練習してるんです」
「Oh! ライヤと一緒!」
「ライヤ……皇先輩と?」
脳裏に浮かぶのはわたしの顔を見て、明らかに嫌そうに顔を歪ませる一つ上の先輩の姿。
皇先輩もフルートをしているのだろうか。
「ライヤはPiano! Smallな頃はContestにも出てた!」
「へぇ、そうなんですね」
あの人はわたしと同じく、幼い頃にピアノのコンクールに出ていたらしい。もしかしたらどこかで会っていたのかもしれない。
――そういえば、皇先輩のわたしを見る時の顔。どこかで見た気が……。
「そこの三人。消灯時間だよ」
「Wow! アマテラスセンパイ!」
「神風。下の名前で呼ぶなって言ったよね」
突如現れた月城さんは笑顔のままこめかみに青筋を浮かべ、神風先輩を睨みつける。
入り口の柱に腕を組んでもたれかかっている彼の髪はしっとりと濡れている。お風呂上がりなのだろうか。
というか、アマテラスって。
「月城さん……キラキラネームなんですね」
「……頼むから忘れてくれ。後生だから」
「俺は悪い名前じゃないと思う」
「花園は黙っててくれ」
君たちみたいな綺麗な名前にはわからないさ、キラキラネームをつけられて育ってきた人間の気持ちが。学校の自己紹介で名前を言った時の笑われ具合といったら、今思い出しても恥ずかしいくらいに大爆笑の嵐だっていうのに。そもそもどうしてアマテラスなんだ。漢字だって天照だし。どう足掻いてもキラキラから逃れられない人間の気持ちがわかるかい? 神風は涼太、花園は藤士郎、柿﨑さんはあやめ。みんないい名前だな。ああ羨ましい、羨ましいよ本当に。
こちらが置いていかれるほどの早口で捲し立ててきていた月城さんは、いつの間にか独り言のようになり、その隙をついて三人で抜け出してきてしまった。
人の名前を笑ってはいけないのだろうけれど、そうか、よりによってアマテラスなのか、月城さん……。
日本神話の最高神。女神の名前、だったはず。
……男の人なのに女神の名前なんて、可哀想に……。
三人で階段を上って、二階で二人と別れる。
月城さんに追いつかれるより前に自室に入ってしまおう。
今日は眠れるだろうか……。主に月城さんの名前の衝撃のおかげで。




