第三十三話 仕事と不穏な夜
「夕飯はグラタンにしようと思ってるんだ。今日も食材切るのを頼んでいいかな?」
「うん。まぁ、わたしにできるのそれくらいしかないし」
エプロンを付けながら会話をする。
鶏肉を解凍している間に早速玉ねぎの皮剥きから始めるが、またすぐ目に涙が溜まる。やっぱり玉ねぎは嫌いだ。食べるのは好きなんだけど……。
服の袖で雑に目元を拭うと隣からハンカチが差し出される。
「擦らない」
子供に言い聞かせるような優しい声色で窘められ、受け取ったハンカチで目元を拭う。目がしょぼしょぼするのを我慢しながら玉ねぎを切り終えれば、頭を撫でながら「よくできました」と褒められた。
「ちょっと、やめてよ」
「ぶー。いいじゃないか、ちょっとくらい」
「もう子供じゃないの」
「僕から見たら子供だよ。そもそもまだ中学生じゃないか」
年齢不詳の成人済みにそう言われては返す言葉もない。勝ちを確信したレインの愉悦に歪んだ目を睨み返せば、その瞬間食堂の扉が開いた。
「ごめんなさーい! 遅れました!」
やって来たなぎさは急いでエプロンを身に付け手を洗う。
「ごめん、なぎさ。仕事全部押し付けちゃって」
「いーよいーよ! 仕事って言っても午後のゲームで審判やるだけだし!」
笑いながら「あやめはルールちゃんとわかってないでしょ!」なんて言われてしまえばそれまでだ。確かに、と頷いて手元の作業に戻る。ジャガイモを軽く水洗いし、皮を剥いて一口サイズに切る。次に洗ったほうれん草も適当なサイズに切り終えたら、一先ずわたしの仕事は終わりだ。
手際よく準備を進めていくレインとなぎさを見て、鶏肉の解凍度合いを確認する。……まだ固いかな。
「あやめー、ホワイトソース混ぜるの任せていいー?」
「はーい」
大きな耐熱容器三つ分にできあがったグラタン。焦げたチーズの香ばしい匂いが食堂に充満していく。
なぎさが片手間で作ってくれたサラダと数種類のドレッシングを食堂のカウンターに並べ、取り分ける用の皿と茶碗もトレイと一緒にカウンターの端に置く。
「なぎさ、準備できたわよ」
「おっけー!」
声をかければ、なぎさは素早いスワイプでスマホを操作して全体グループに夕食の準備ができた旨のメッセージを送った。
このあとにボトルの洗浄とタオルの洗濯があるわたしたちは先に食事をよそい、扉から一番離れたカウンター側の端の席に座り、夕食を食べる。
青じそドレッシングをかけた瑞々しいサラダを食べていると、次から次へと連絡を受けた選手たちがやって来た。
徐々に賑やかになっていく食堂。座っているわたしたちに挨拶してから食事をよそいに行く選手や、無言でトレイを取る選手など、様々な姿を見ながらわたしは食事を終えた。
「ご馳走さまでした」
「んぐっ、あやめ食べるの早いって!」
「食べながら喋らないで。行儀が悪いわよ」
「ごめんなさい……」
まだ三分の一ほど料理が残っているなぎさと一言二言交わし、先にタオルの洗濯へ向かうことにした。
エントランスに行けば使い終わったタオルが入ったカゴが置いてある。それを持ち上げ、ランドリーへ運ぶ。
三日目ともなれば洗濯も慣れたものだ。乾燥を待っている間は好きな音楽を垂れ流して時折鼻歌混じりに待つ。
「師匠、それはなんの曲ですか?」
指輪の中から話しかけてきたタコ助の声に鼻歌を止める。流れているのはゆったりとした曲調のポップス。ソプラノの女性ボーカルが失恋を歌っている。
「人が音楽に合わせて声を入れているの。これは恋人にフラれた彼女が思い出を振り返ってる曲ね」
「へぇ〜人間は面白いことを考えますね」
「……そうね。人間が作るものは、面白いものばかりだわ」
その言葉のあと、歌は終わった。ピアノのソロを最後に次の曲へと切り替わる。
「これは“歌”っていうのよ。素敵でしょう」
乾燥機がピーッと音を立てた。音楽を止めてタオルを取り出し、丁寧に畳んでいく。
「自分にも“歌”が作れますか?」
「さぁ、どうかしら。まずはあなた自身の楽器をしっかり扱えるようになってからかしらね」
「うっ……が、がんばります!」
「ふふ」
もしもタコ助が本当に楽器を扱うだけでなく歌まで作ったのなら、きっと世界で初めて人間以外の生き物が曲を作ることになるだろう。
本当にそんなことが起こったら、わたしはタコ助に「本当の音楽」を教えられたことになるだろうか。
畳み終えたタオルをカゴの中に重ね、立ち上がる。
「さ、食堂に戻るからもう喋っちゃダメよ」
「はーい!」
元気に返事をするタコ助の声を聞いた後、わたしはランドリーの扉を開けた。
マネージャー業務が終わったあと、わたしはいつも通り楽器を手にグラウンドへ向かう。タコ助と時間の許す限り練習を行い、気が付けば二十一時半に差し掛かろうとしていた。
そろそろ部屋に戻って風呂に入ろうか、などと話していると、視界の端に人影が映る。
「あれは……快野先輩?」
ぴょんぴょんと右往左往に跳ねたクセの強い黒髪は、合宿メンバーの中で快野先輩しかいない。
こんな時間にどうしたのだろう。時間も時間のため声をかけようかとも思ったが、タコ助から声を掛けられ、次に快野先輩が居た方向を見れば既に居なくなっていた。
……幻覚、だったのだろうか。
少しの薄気味悪さと不安を覚えて、わたしはタコ助の触手をぎゅっと握った。




