第三十話 『人間の魔女』
今夜も外に出てタコ助と楽器の練習を行っている。スマホ画面に表示したトランペット用『きらきら星』の楽譜を見せながら、タコ助の疑問質問に答えては実際に吹いてもらう形式で。
「……で、なんであんたがココにいるのよ」
何故だかレインも一緒に。
「楽譜って難しいね〜」
「答えなさいよ」
「ヒマなんだもーん。錬金術の材料も昨日で使っちゃったし、残り物でできるレシピは知らないしー」
「……あんたねぇ……」
おかげで今日わたしがどれほど大変だったか……。
頭を痛ませながらレインと会話を交わしていると、タコ助がもう一度トランペットを持ち直したのでそっちに集中する。
綺麗な音色が奏でるゆったりとした『きらきら星』。
視界の端では目を瞑ったレインが左右に体を揺らしてリズムに乗っている。風に揺れる薄い金髪が夜空を流れる流れ星のように煌めいていて、見惚れると同時に性格さえマトモなら……と、彼と出会ってから何度目かの思考が頭をよぎった。
メロディが終わる。タコ助が口を開く前に、レインの言葉が静かな夜に溶け込んだ。
「見事だ、タコ助。すごく綺麗な演奏だったよ」
「本当ですか!」
わたしに褒められた時と同じように、否それ以上に嬉しそうに笑うタコ助。初めてわたし以外の人間に音楽を聞かれ、成長を褒められ――嬉しくないわけがないだろう。
タコ助があまりにも喜ぶので少しばかり悔しい思いをしながら、わたしもタコ助を褒めた。次なる改善点をいくつか伝えながら。
「でもこの調子ならもう少しスピードを早めても正しく吹けるかもね」と付け加えればその場で飛び上がるほどに喜んでいた。努力が実を結んだのだ。
タコ助と出会ってから、まだ半年も経っていない。それでも、こんなにもわたしに懐き、同じ音楽という輪の中で繋がれたこの異形の生き物を、わたしはいつの間にか弟のように思っていた。
「自分、もっともっと練習します!」
師匠に追いつけるように!
そう宣言したタコ助は再び楽器を手に取った。姿形は人間とかけ離れていれど、この子も確かにひとつの生命なのだ。
タコ助が演奏に夢中になっている頃、わたしの隣にこっそりとやってきたレインがぽつぽつと話し始めた。
「タコ助の真の名前――詳しくは種族としての名前だけれど、覚えてるかい?」
「確か……『外なる神の従者』、だっけ?」
レインは頷くと、速度をあげたことで少しずつ音を外し始めたタコ助を見ながら言葉を続ける。
「『外なる神の従者』はその名の通り、『外なる神』に仕える者だ。それぞれが手に持つ楽器で不協和音を奏でることで、神々を召喚する力を持つ」
「本来、タコ助はこんなにも綺麗な音を奏でられる存在じゃなかったんだ。生まれた時からそう決まっていた。……けれど、あやめちゃん。きみの音楽に対する愛情と、タコ助の熱意がそれを変えたんだ」
太陽に照らされた海面のような、透き通った碧眼と視線が交わる。
「きみは僕が思っていた以上に偉大な存在になるかもしれない」
「最初にきみに魔女になる可能性があると伝えたとき、僕はきみがこの世界の生まれで魔法に触れてこなかったから、召喚術以外を使うのは厳しいと言ったね。けれど、今、それを撤回するよ」
レインは立ち上がり、両手を広げた。まるで星空の瞬きを一身に受けるが如く。
「きみは魔女になれる。この世界で、はじめての『人間の魔女』に」
「この僕が保証しよう。天才錬金術師の名にかけて、ね」
羨ましいほどの綺麗な顔で、ウィンクを決めたレインを見上げながら、わたしは心の中でレインの言葉を反芻した。
この世界ではじめての『人間の魔女』。きっと炎を出したり、傷を癒したり、そんな魔女らしいことはできないだろう。それでもわたしにはひとつの確信があった。――このままレインと居れば、何かが掴める。わたしの本能が、魔女としての血がそう囁いていた。
時刻は夜九時。昨日は夜十時に宿舎に戻ったところを偶然月城さんに見つかりお叱りを受けたので、今日は早めに切り上げてお風呂に入ることにする。
久しぶりにタコ助を頭に乗せ、レインと共に宿舎へと戻った。レインが寝泊まりしている管理人室は一階のためエントランスで別れることになる。
「今度、魔法に詳しい知り合いを呼んでおくよ」
そう言い残して、彼は立ち去った。
わたしたちもお風呂に入るために三階にある自室へ行き、ふと露天風呂の存在を思い出した。……わざわざ一階まで戻ってお風呂に入るのも面倒だし、いっそ露天風呂を使ってしまおうか。本音としては露天風呂を使いたかっただけなのだが、それらしい言い訳を自分の中で並べて、荷物を持ち、タコ助を連れて三階の反対側にある露天風呂へと向かう。
風呂場の入り口の扉には『現在女湯』との看板が掛けられており、ラッキーと思いながら扉を開いた。
無人の脱衣所で服を脱ぎ、指輪だけを着けて、露天風呂へ進む。
「う、わぁ……!」
そこに広がっていたのは満天の星空と、それを水面に映す岩場で囲まれた露天風呂だった。
これにはタコ助も大喜びで、早速湯に浸かりに行こうとするのを引き止めて先にシャワーを浴びせかける。体を洗い準備万端になったところで、二人同時に湯船に足を踏み入れた。
「あッッ……つ……ッ!」
温度設定どうなっているんだ。と思うほどに熱いお湯に片足を突っ込んだわたしは、すぐさま足を引き上げた。しかしタコ助は不思議そうな顔をして、既に全身が沈んでいる。
……沈んでいる?
「た、タコ助ッ⁉︎」
慌てて呼びかければぷか〜っと浮いてきて、不思議そうな顔で見上げてくる。
「どうしました?」
「ど、どうしたじゃないわよ! あ、あんた沈んでくからっビックリしたじゃない!」
「あ、自分水中呼吸できるので大丈夫ですよ」
にこーっと屈託のない笑顔を浮かべるタコ助に反射的に拳を振り下ろしてから、露天風呂の縁に腰掛けて足だけを入れてみる。やっぱり熱い。
「あんた、熱くないの?」
脳天にタンコブを作ったタコ助は熱い湯の中をスイスイと泳いでいる。本来ならマナー違反で止めるべきなのだろうが、二人きりだから良いか、と許してしまう。わたしも随分タコ助に甘くなったものだ。
「熱くないですよ! ちょうど良いくらいです!」
「……やっぱり人間とは触覚が違うのかしら」
ちゃぽちゃぽ、と足先で水面を遊ばせる。熱いから時々取り出したりするも、その熱さにも徐々に慣れてきた。
早速腰まで浸かってみたが、またその熱さにビックリする。それでも忍耐強く浸かっていれば、段々心地良い温度に感じられてきた。それを肩が浸かるまで繰り返し、今では隣でぷかぷか浮かぶタコ助と夜空を眺めている。
「綺麗ですね、師匠」
「そうね。……都会では見られない光景だわ」
人工的な建物が少ない宵ヶ峰だからこそ見られる満天の星空。今回は運良くサッカー部の手伝いとして連れて来て貰えたが、次にいつこんな綺麗な光景が見られるかわからない。
静かに目を閉じて自然の空気を堪能する。水の音、呼吸音。そのどれもが心地良かった。
「……そろそろ上がるわよ」
明日もまた露天風呂に入ろうかしら。そんなことを考えながら、名残惜しそうに触手を動かすタコ助を連れて湯船から立ち上がった。




