第十八話 勉強会と魔法使い
あれからあっという間に日が経ち、問題の土曜日がやって来た。早朝のランニングから帰ってきたあとに軽く部屋の掃除をして、お風呂に入る。タコ助には今日は指輪から決して出ないことを約束させ、既に半分緊張しながら朝食を食べ終えた。
「まさか、あやめがなぎさちゃん以外のお友達連れてきてくれるなんて。お母さんも嬉しいわ」
「う、うん……」
その半分以上が男の人だと知ったら母はどんな反応をするだろうか。小難しいことは考えないようにして、部屋にしまい込んであったローテーブルを三つ並べて大きな机にする。人数分の座布団とコップ、お茶も用意して迎え入れる準備は万端だ。
あれこれとしている間に、家のチャイムが鳴った。
「あやめ〜。なぎさちゃん達よ〜」
「今迎えに行くー!」
いそいそと玄関まで小走りで向かい、サンダルを履いて外に出る。庭園を通って門の前まで行けば、ぽかんと口を開けている男三人組が目に入った。
「この三人、どうしたの?」
「あやめのおうちがこんなに大きいの知らなかったんだって! ま、私も言ってなかったけど!」
イタズラが成功した子供のように笑うなぎさと会話を交わしながら門を開ける。ガラガラと音を立てて自動で開いていく様子を見て更に驚いているのが最早面白くなってきた。
「柿﨑、お前……金持ちだったんだな……」
禍津の呟きを聞いたわたしは苦笑いで返す。家を建てたのもお金を持ってるのも両親だから、わたしは何もしていないのだ。
庭園を歩きながら背後から聞こえてくる三年生組の「手土産とかあった方がよかったんじゃないか」「今からでも買いに行く?」などの内緒話を小耳に挟みつつ、玄関の扉を開いた。
「あらあら、いらっしゃい。いつもあやめがお世話になってます」
玄関に居た母が挨拶をする。それに返答するように一人一人が自己紹介をするが、雷電が名前を言った途端に母が固まった。
「雷電……雷電さんといえば、あの雷電財閥のご子息さん?」
「えっ知ってくれてるんですか?」
「もちろんよ〜。あやめも小さい頃にパーティに参加させてもらってたわ。ね、あやめ」
「そう? 全然覚えてないわ」
そんな会話を交わしながら、四人を部屋に案内する。階段を登って一番奥がわたしの部屋だ。
部屋の扉を開けて中に入るよう促せば、なぎさ以外の三人が固まってしまう。大方部屋の大きさに驚いているのだろうが、そんなことよりも早く入ってほしい。
一番先頭にいた禍津の足を軽く蹴るようにして顎で促せば、ようやく中へ入ってくれる。続けざまに入っていった残りの二人も見送ってようやく扉を閉めるが、なぎさといえば既に定位置の座布団に座り込んで二リットルのペットボトルからお茶をコップに注いで飲んでいた。他の三人もこのくらい、とは言わないが、もう少し力を抜いてくれた方がやりやすいのに。
徐々に席を決めて座っていった全員を見て、わたしも空いた席に座る。席順は、わたしから右回りになぎさ、月城さん、雷電、禍津だ。
なぎさ以外は未だこの空気に慣れないのか、キョロキョロと辺りを見渡したりコップに注いだお茶をちびちびと飲んでいたりと三者三様の様子を見せている。
机に勉強道具を広げ、早速全員で試験勉強に取り掛かる。予想はしていたが、開始早々でなぎさは勉強に飽きてスマホを弄り始めていた。
「なぎさ、勉強しなさい」
「え〜。だってわかんないんだもん」
「どこがわからないんだい?」
月城さんの声にスマホを置いて数学の問題を指差すなぎさ。月城さんは柔らかな笑みを浮かべると丁寧に数式の説明から始めていた。
なぎさも月城さんの言うことなら聞くんだな、とひとつ学びを得てわたしも自分自身の勉強に取り組む。が、隣からペンで腕を突つかれた。
「どうしたの、禍津くん」
「……ココわかんねーんだけど」
見せられたのは理科の問題。問題文を見ようと体を寄せれば明らかにビクついて距離を置かれる。
「……なによ」
「な、んでもねーよ、ブス」
ゴンッ。と毎回恒例の音を響かせて再度問題文を読んだ。頭にタンコブを作った禍津を見てゲラゲラ笑っている雷電も勉強が進んでいないようだが、残念ながら三年生の授業内容まではわからないのでパス。
至極丁寧に一から教えてあげればようやく理解したのか、禍津の手が動き出した。
そうして勉強会を続けること数時間、突然部屋の扉がノックされた。扉を開けると、母が袋を手に持っている。
「お昼ご飯買ってきたから、みんなで食べてちょうだいね」
手渡されたのは近所の持ち帰り専用寿司屋の寿司だった。
「あやめお母さんありがとうございまーす!」
「いいのよ〜。みんな、お勉強がんばってね」
全員で一度机を片付け、寿司のパックを机に広げる。醤油皿と割り箸を配り終えたあとは、みんなで一斉にいただきますをした。
時々寿司の取り合いが起きたのは、男の子ならではだろう。禍津と雷電のやり取りは想像できていたが、あの月城さんまでもが参加したのには驚いた。何故だかそれすらも面白く見えて、なぎさと顔を見合わせて笑ったのは内緒だ。
そして食べ終えた容器と皿を持って一階へ行こうとしたのを引き留めたのは月城さんだった。
「俺も手伝うよ」
一人で運ぶより二人の方が良いだろう、とのことで遠慮なくお言葉に甘えさせてもらった。背後から雷電がずるいだのなんだの喚いているが、月城さんが「僕より学年順位が上になってから言おうか」と言った途端に黙り込んでしまった。
階段を降りながら先程の会話を掘り返す。
「月城さんって賢いんですか?」
「うーん。多分。一応、学年順位は一位だよ」
「多分じゃなくて確実に賢いじゃないですか!」
そんなやり取りをしながらキッチンにいる母にパックと醤油皿を預け、二人で部屋に戻る。階段を登っている途中、不意に月城さんに腕を取られた。
月城さんはじっと腕を……否、指を見る。それは左の中指。月城さんからもらった指輪のはめられた指だった。
ふと脳裏にレインとの会話がよぎる。
『それにしても、まさか学校の先輩が指輪の送り主だったなんてね』
『何か問題でもあるの?』
『問題……ううん、なにも問題はないよ。ただ……』
『ただ?』
『――その人も魔法使いの可能性があるって考えていただけだからさ』
反射的に腕を引いた。が、男の人の力に敵うわけもなく、わたしの腕は未だに月城さんの手の中にある。
「どうやら指輪の使い方がわかったようだね」
角度によって色の変わる石が珍しいのか、わたしの指を優しくつまんで好き勝手に動かされる。
「っ……やめてください」
「きみが一人で理解できたとは思い難いし、誰か協力者がいるのかな」
会話が成立しない。なんとか逃れようと腕を引いていると、月城さんは笑って「怖がらせたかったわけじゃないんだ」と言って手を離してくれた。
しかし突然離されたおかげでバランスを崩してしまう。
……倒れる! そう思ったのも束の間、ふわりと温かいものがわたしを包み込んだ。
「っ、大丈夫かい?」
「えっ、あっ、は、はい……」
目の前に月城さんの綺麗な顔があった。抱きとめられているのだと、そう認識した途端に一気に顔に熱が集まってくる。
優しく体を支えられながら立ち直すと、月城さんは何事もなかったかのように前髪を手で払った。
「ごめんね。急に手を離してしまって」
「い、いえ……助けてくれて、ありがとう、ございます」
「元はと言えば俺のせいだからね。それにしても……」
月城さんの視線は再びわたしの指先に向けられる。
「この色は初めて見たな。一体どんな魔物と契約したんだい?」
「……やっぱり……月城さんも魔法使い、なんですか」
わざとらしく間を開けた月城さんは言葉にせず、ただにこりと笑った。……わたしには、それが答えとしか思えなかったが。
「もし何か困ったことがあれば僕を頼ると良い。答えられる範囲なら教えてあげられるからね」
勉強も、魔法も。
そう付け加えた月城さんはさっさと階段を上がっていく。ただ突っ立っているわけにも行かず、その後を追うようにわたしも階段を登ったのだった。
「あー! 疲れたー!」
「俺ももう勉強むりー!」
同時に背後にばたりと倒れるなぎさと雷電。時刻は十六時を回っていた。
「なぎさにしては頑張った方じゃない?」
「でしょー? 殆ど部長に教えてもらってたんだけどね!」
その言葉に釣られて月城さんを見れば、彼は変わらずの笑顔で微笑みかけてきた。思わず眉間に皺が寄るのを感じれば、すぐさまそれを隠すように視線を逸らした。
そうして無事勉強会はお開きになった……かと思えば、雷電が口を開く。
「あやめちゃんの部屋って楽器だらけだね〜。グランドピアノもあるし、向こうには弦楽器も並んでる」
「本当だね。柿﨑さんはあれら全部使えるのかい?」
月城さんの言葉に静かに頷く。といっても、ピアノ以外は最近全く触っていないが。
「ねーねー、久しぶりにあやめのピアノ聞きたいなー!」
「ちょっと、やめてよなぎさ……わたしだって疲れてるんだから」
「うっそだー! こんなにすました顔しちゃってー!」
「わぷっ、やめ、やめへなぎひゃ!」
頬を優しく引っ張られ、口が回らない。
それを温かい目で見られているのが恥ずかしくて、徐々に顔に熱が集まっていく。
「あれっ、あやめ照れてるの?」
「恥ずかしいのよ! 人前で人の顔を好き勝手してくれて……!」
「あははっ! あやめったら恥ずかしがり屋なんだから!」
なぎさ以外の笑い声が聞こえたかと思えば、月城さんが口元に手を当ててくすくすと笑っていた。
「な、なに笑ってるんですか!」
「いや、そういえばさっきもすぐに顔を真っ赤にしていたな、と思ってね」
その言葉に空気が凍った。……うち一人は嬉しそうにキャーッと声を上げたが。
「ど、どういうことだ柿﨑!」
「そうだよあやめちゃん! 月城と二人きりで何があったの⁉︎」
禍津と雷電の二人に詰め寄られて言葉に詰まる。さすがに魔法が〜などと話せるわけもなく。助けを求めるために月城さんへと視線を向けるが、彼は微笑んで首を傾げるだけだった。……あの人、絶対楽しんでる……!
「な、なにも、なにもなかったから! 転びそうになったのを助けてもらっただけ!」
「それで偶然顔が近付いてしまった、だけだからね」
「月城さん!」
更なる爆弾に興奮したのか今度はなぎさが詰め寄ってくる。
「どうだった⁉︎ ちゅーした⁉︎」
「するわけないでしょ!」
なんとかその場を収め、追い出すようにして全員を玄関の外へ突き出した。
最後に靴を履き終えた月城さんが「今日は楽しかったよ」だなんてふざけたことを言うものだから、反射的に「その性格直した方がいいですよ」と言ってしまった。もちろん後悔はしていない。
月城さんは一瞬目を見開くと、またくすりと笑って「考えておくよ」と一言答えた。
全員を門まで送り届け、なぎさと禍津にはまた月曜日と告げて門を閉める。雷電が大声で「俺もあやめちゃんに会いに行くからね〜!」とかなんとか叫んでいたが、徹底的に無視してやった。
なんだか、勉強をしているときよりドッと重たいものがのしかかって来た気がする。
「はぁ……疲れた」
思わず口からこぼれた言葉は、夕焼けの空に溶けていった。




