第十七話 飛び降りと放課後の約束
翌日、月曜日。
日課となった朝のランニング中、不思議なものを見た。
土手を下った河川敷で、一人の少女がぼーっと川を眺めていたのだ。気にはなったもののわたしに関係がある話ではない。そう思って再び前を向こうとした瞬間、少女が川への手すりに手をかけたのだ。そしてそのまま身を乗り出そうとする。
「まっ、待ちなさい!」
反射的に土手を下り、勢いのまま少女の左腕を引く。勢いは殺しきれず、引っ張った少女の体を上にするように背後に倒れ込んだ。
背中に走る鈍痛。しかしそんなこと気にしている場合ではなかった。
「あ、あんた、今なにしようとしたの!」
少女は呆然とした表情で川を見つめている。
「ねぇ、聞いてるの⁉︎」
叫ぶように問いかければ、少女はようやくこっちを向いた。青みがかった黒髪が綺麗な子だった。
少女はようやく自分がやろうとしていたことに気がついたのか、突如としてガタガタと震えだし、自分の身を包むように腕を伸ばす。そのまま、嗚咽と共に泣き出したのだ。
わたしはどうすることもできず、少女が泣き止むまで背中をさすっていた。
「すみません……ありがとう、ございました……」
アルトボイスが小さく聞こえ、そのまま頭を下げられる。
そしてぽつぽつ、と自分のことを話し始める。
「俺……水泳、やってたんです。でも右肩を壊して、もう水泳ができないって診断されて……もう、どうしたら良いかわからなくて……気がついたら、あ、あんなことを……ッ」
誰かに吐き出さずにはいられなかったのだろう。大きな目からぼろぼろと涙を零す少女からは絶望と恐怖が伝わってくる。その背中を優しくさすっていれば、嗚咽は次第に小さくなっていった。
「すみません、また……」
「良いのよ、気にしないで。あなたが飛び込まないで良かった」
少女は時折しゃくりをあげながらわたしに問う。自分はこれからどうすれば良いのか、と。
そんなことを聞かれても答えられるわけがない。だって彼女の人生は彼女が決めるべきなのだから。ただ、少しでも水泳から目を背けるためなのなら……。
「……肩を使わないスポーツとか、やってみたらどう? 例えばサッカー、とか」
サッカー、と口にして思い出したのはなぎさのこと。そういえば先週の金曜日にサッカー部に入部したのだと報告を受けた記憶がある。
「サッカー……」
「その制服、六之江中のでしょ? わたしの友達が最近サッカー部に入ったの。ちょっと喧しいけど、優しい子だから」
「……考えて、みます」
「もちろん、無理にとは言わないから。あ、わたし柿﨑あやめ。あなたは?」
「俺は――」
少女の言葉を遮るようにスマホのアラームが鳴る。
「げっ! もう帰らないと学校に間に合わない! ごめんね、わたしもう行くから!」
「あっ……」
わたしは振り返ることもせず大急ぎで家に向かった。
少女のことは気になるが、考えてもどうにかなることではない。わたしは朝食と身支度を整え、タコ助を頭に乗せて学校への道を急いだ。
「おはよう、禍都くん」
「おう。今日は遅いんだな」
「ああ、うん……ちょっと時間忘れてて」
「バカだな」
「そんなストレートに言わなくてもいいじゃない!」
気が付けば禍津とも友人のような距離感で話すことができるようになっていた。口が悪いところが玉に傷だけど、良い人であることには変わりない。
「そういえば来週から中間テストだな」
「えっ、もうそんな時期だっけ」
「忘れてたのか」
「最近忙しくて……」
そうこう会話を交わしていればチャイムが鳴って担任が入ってくる。ホームルームはちゃちゃっと終わり、最後に思い出したかのように来週の中間テストの話をして教室を出ていった。
うちの担任らしいっちゃらしい伝え方だったな……なんて考えながら一限目の準備をする。教科書と同時にスマホも取り出し、レインに向けて今週と来週はそっちへ行けないことをメッセージで送った。既読はつかないが、数日間は錬金術師としての仕事で忙しいと言っていたからタイミングとしても丁度良いだろう。
再びチャイムが鳴り、一限目が始まる。ペンを握り、授業に集中した。
放課後になればなぎさがやって来る。開口一番に早速部活の話題が出るかと思えば、当たらずも遠からず。
「入部早々部活禁止なんてあんまりだよ〜! 慰めて〜!」
「はいはいわかった、わかったから静かにして。みんな見てるから」
飛びついてきたなぎさを何とかキャッチして慰めていると、今度はお呼びではない人物が顔を出す。
「やっ! 久しぶりだね!」
「げっ、雷電……」
教室の後ろ扉からひょっこりと顔を出した雷電はわたしを見るとにっこりと笑って手を振る。
すると今まで傍観していた禍津が立ち上がり、意識的か雷電の視界を遮るようにしてわたしに話しかけてきた。
「おい柿﨑。お前勉強できるか」
「え? あ、あぁ、ある程度は」
「え〜うっそー! 小学校のときは殆どの教科満点だったじゃん!」
「中学で通用するかわかんないでしょ」
どこか興奮しながら横から茶化してくるなぎさを諫めつつ、目の前の禍津との会話に花を咲かせる。
しかしそんな小さな障壁で諦める雷電ではない。
「へ〜あやめちゃんって勉強できたんだ! さすがだね! でも確かに中学のテストって小学校とじゃ比にならないから、俺が教えてあげよっか?」
「いらないです」
「まぁまぁそんなこと言わずにさ!」
「柿﨑がいらないって言ってるんだ。変に付き纏うのはやめろ」
「俺はあやめちゃんに聞いてるんだけどな〜? そもそも執着してるのはきみの方じゃないの?」
「あ?」
目の前で不穏な空気が漂い始めた。どうしたら良いかわからずなぎさに助けを求めれば、いつぞやの時のように目をキラキラとさせてことの成り行きを見守っている。どうせ「あやめがイケメン二人に取り合いされてるっ……!」とか思ってるんだろう。当の本人からすれば迷惑この上ない。
さてどうするか。どうにかこの場を収める方法はないものかと考えを巡らすも、答えは出ない。
するとそこへ、思いもよらない助け舟が。
「綿津見、いるかい」
教室の入口に立っていたのは月城さんだった。
「あっはーい! ここでーす!」
真横で大きな声を出されて反射的になぎさ側の耳を塞ぐ。
ところで、どうして月城さんがなぎさに?
ふと湧いた疑問はすぐに解消されることになる。
「入部届の件だけど、無事に受理されたよ。これからよろしく、綿津見」
「はいっよろしくお願いします部長!」
笑顔で握手を交わす二人をぽかん、と眺める残りのわたしたち三人。
「……サッカー部の部長って月城さんだったの⁉︎」
「そうだよ? 言ってなかったっけ?」
「月城お前サッカー部だったのか⁉︎」
「お前は知ってるだろう……以前にスカウトして拒否したの覚えてないのかい?」
また騒がしくなる教室の一角。それでも先程の険悪な空気はなくなり、わたしはほっと胸を撫で下ろした。
「それで、雷電。一年に喧嘩を売って何をしていたのかな」
「うっ……お、俺はちょっとお灸を据えてやろうと思っただけで……」
「年下相手に恥ずかしくないのか」
「うぅっ……!」
月城さんから逃げるようにわたしの背後に回って隠れようとする雷電。しかし百五十センチしかないわたしの後ろに高身長の雷電が隠れられるわけもなく。
「で、でも、後輩に勉強教えてやろうかな〜って提案はしたし!」
そういえば最初はそんな話だった気がする。途中からすっかり忘れていたが。
じとりと見つめる月城さんの視線に更に小さく身を屈める雷電。同じ三年生でもこんなに違うんだなぁ、なんて我関せずの考えでいれば、今度はなぎさが爆弾を落とす。
「あっじゃあこの場にいるみんなで土曜日に勉強会しませんか⁉︎」
「私も先輩に勉強教えてほしいですし!」と言ってこちらにウィンクを送ってくるなぎさ。違う。なぎさ、勘違いしてるよ。すぐ恋愛脳に繋げるのをやめなさい。
脳内で叱ってもなぎさに伝わるわけはなく、雷電はすぐさま「賛成〜!」と声を上げた。するとずっと押し黙っていた禍津も「……俺も参加」と一言。最後の頼み綱、月城さんまでもが「大人数で勉強するのも悪くないね」と参加の意志を見せた。
「場所はあやめの家でいいよね!」
「え、いや、わたしまだ参加するって言ってな――」
「私の家はアレだし、男の人の家に行くのもちょっと怖いからさ……ねっあやめ、お願いっ!」
「この通り!」と手を合わせて可愛らしく目をきゅっと瞑るなぎさの様子に殆ど白目を剥きながら、わたしは渋々頷いたのだった。




