第十六話 命のバトン
六時に起きてランニング。七時に帰宅してシャワーを浴びて朝ご飯を食べて、今日は午前中から来てほしいとのことだったため、タコ助を連れてすぐに家を出る。隙間時間に少しでも練習できれば、と思って一応フルートも持ってきた。昨日のメモを見る限り、必要な素材もあと少しだったし、タコ助がレインの手伝いをしている間に少しでも腕を上達させなければ。
朝の澄んだ空気を浴びながら駄菓子屋へ向かう。道中小鳥が囀っているのを二人で聞いていると、タコ助がふと「あれも音楽なんですかね」だなんて言った。
「さぁね。わたしは人間だから鳥の言葉はわからないけれど、わからないからこそ音楽に聞こえるのかも」
パタパタと羽ばたいていった小鳥を見送り、止めていた足を再び動かした。
今日も『CLOSE』の看板がかけられているガラス戸を開けて中に入る。その足で工房に向かえば、机の上で突っ伏して寝ているレインが目に入った。周りにはできあがった錬金物なのか素材なのかよくわからないものが散乱しており、本当に散らかす天才なのだと思い知らされる。
この様子だと朝ご飯もまだだろう。タコ助にレインを起こすように命じ、事務所へ向かった。備え付けられている冷蔵庫を覗いてみれば何も入っていない。最悪だ。何かないかと探していると、部屋の隅に積み上げられていたパックご飯を見つけた。迷わずそれを手に取り電子レンジにぶち込む。塩むすびでも作れば多少お腹に溜まるだろう。
チン、と電子レンジが鳴ったのを確認してパックの蓋を開ける。白い湯気が立ち上るそれを冷ましている間に手を濡らし、少量の塩を手のひらにかける。まだ熱いままの白米を何とか手に取って小さめの三角に形作り、できあがった三つの塩むすびを皿に並べて工房へ戻った。
「し、師匠〜……レインさん起きないです……」
余程疲れているのだろうか。ぐーすかといびきを立てて寝ているレインの側に皿を置き、タコ助にレインが起きたら食べさせるように伝えて早速召喚部屋へ籠る。
昨日のメモを見ながら本を開き、魔法陣の前に立つ。
「――魔女あやめが告げる」
集めた素材をダンボールに詰め、必要な素材は残りひとつ。“ドライアドの樹皮”だ。
友好度は星三、危険度も星三。
説明文には『木と命を共有した乙女。己の木から離れすぎると死んでしまう』と書かれている。召喚する際には木と一緒に現れるのだろうか。もしそうでないのなら、早く交渉を済ませる必要がある。
「大地と命の契りを交わした乙女。森を愛する乙女。遥か彼方の地から、そよ風に乗って芽吹く命の種よ。我、大地を愛するもの。其方を愛し、木々を愛するとここに誓おう」
風が吹き荒れ、スカートがはためいた。
「異界の生命よ。我が声に応えよ。今ここに顕現せん。ドライアド――!」
強い光が部屋を満たす。次に目を開けたあと、そこには一人の少女がいた。ただの少女ではない。全身は木の樹皮に覆われ、髪は葉っぱで造られている。
「――こんにちは、小さな魔女さん。あなたが私を喚んだのね」
悪い予想は当たっていた。彼女は自分の本体である木と一緒ではなかったのだ。
ならば早急に済ませないと……。
「あの、ドライアドさん。あなたの樹皮をいくつか分けてください!」
「どうして?」
「えっ?」
何故、と聞かれたのは初めてだった。
「えっと、知り合いが、錬金術に使うからで――」
「そうじゃなくて」
「そうじゃない?」
首を傾げると、ドライアドは口元に手を当ててくすくすと笑った。
「あなた、どうしてそんなに焦っているの?」
ドライアドの指摘は尤もだ。わたしは焦っていた。でもそれは自分のためではなく、彼女のために。
「だ、だって、あなたは自分の木から離れすぎると死んでしまうって……」
「あら、そういうこと? 私のために焦っていてくれたの? ふふ、優しい子ね」
わたしの言葉を聞いたドライアドはその場にぺたりと座り込む。そのまま静かに語り出した。
「でも気にしなくていいのよ。私はもう間もなく死んでしまうから」
……ドライアドの話によれば、彼女が命を共にしている木がもう間もなく命を尽きてしまうらしい……つまり、枯れてしまうということ。
何か方法はないのかと聞けば、ドライアドは首を横に振る。
突然の告白と内容に呆然としているわたしに、ドライアドは言った。
「あなたが良ければ、私の全てをあなたにあげるわ。けれど、最後にひとつだけお願いを聞いてほしいの」
「お願い……?」
ドライアドの言葉を聞いたわたしは、咄嗟に部屋を飛び出した。驚いた顔をするタコ助を横目に偶然持ってきていたフルートを手に取る。ケースを開き、本体を取り出す。
彼女の言う願いは、「記憶に残る思い出がほしい」だった。何が彼女の記憶に残るなんてわからない。それでもわたしの頭に思い浮かんだのは、“音楽”だった。
「それはなあに?」
未だに魔法陣の中で座っているドライアドが問うてくる。改めて彼女を見てみると、どこか顔はやつれているように見えるし、呼吸も浅く、頻度も高いような気がする。本当に限界が近いのだろう。
「これは……フルート。そっちの世界にあるかはわからないけど、わたしが今練習してる楽器なの」
「まあ、そうなのね。楽器ということは、音楽を聞かせてくれるの?」
「うん。……まだ始めたばかりだから、上手くはないとおもうけれど」
「それでもいいの。あなたが私に何かを残してくれる、その想いが嬉しいのよ」
優しく笑ったドライアドに応えるように、わたしはリッププレートに下唇を乗せて歌口に息を吹きかけた。
楽譜なんてない。正しく吹けているかもわからない。それでも彼女のために、わたしが今できる限りの技量で、彼女のための葬送曲を奏でた。
大して上手くもないわたしの音色に静かに耳を傾けてくれるドライアド。彼女はわたしを優しいと言ったけれど、そんなことはない。だって本当に優しい人なら彼女を送り出すために全身全霊で素晴らしい音色を奏でるだろう。けれど今のわたしには、悲しい気持ちを抑えきれずに音を奏でることしかできない。
約三分ほどの短い楽曲。曲名もない、即興の音楽。上手く息が入らず掠れた箇所もあった。想像とは違う音が出た箇所もあった。それなのに、ドライアドは静かに涙を流してくれた。
「ありがとう、小さな魔女さん。とても……ええ、とても優しい音楽だったわ」
「っ……わたしには、優しいなんて言葉……」
「いいえ、あなたは優しいわ。だって私のために泣いてくれたのでしょう?」
そう言って自分の頬に手をやる。しかし涙は零れていない。どういうことだろう、と首を傾げれば、ドライアドは満面の笑みを浮かべた。
「あなたの音楽から伝わってきたのよ。あなたの気持ちが」
――初めて言われた言葉だった。わたしは音楽を奏でるときに、どうしても感情を込められずにいた。薄っぺらい音楽。そんな音楽で賞を取る自分が嫌いだった。
けれど、ああ、そうか。
わたしにも、音楽で気持ちを伝えることができるんだ。
「素敵な音色をありがとう。約束通り、私の全てをあなたにあげるわ」
涙を流しながら祈るように手を組み、光の粒子に包まれたドライアドは、次の瞬間には植木鉢に入った一メートルほどの観葉植物へと変わっていた。太い幹にはドライアドと同じ樹皮が、青々と揺れる葉にはドライアドと同じ髪が成っていた。
わたしは再びフルートを構える。そうして誰も居ない部屋で、再び葬送曲を奏でたのだった。
「おかえりなさい、師匠! っわわ、なんですかその大きな木!」
「ご、ごめん、タコ助……持ってもらっていい? お、重くて……バランスが……」
「は、はい! もらいますね!」
ひょいとドライアドの木を持ってくれたタコ助に感謝を伝えると、いつの間にか起きていたらしいレインが塩むすびを頬張りながらこちらを見て大きく目を見開いた。
「んうぇっ⁉︎ ほへどあいあろのひ⁉︎」
「食べ終わってから喋りなさい」
「んぐっ……ごくんっ。そ、それってドライアドの木? だよねっ⁉︎ 僕が頼んだのは樹皮だけだったんだけど⁉︎」
「必要なければ持ち帰るけど」
「いやいやいや、もらう! もらいます! いやください! なんでそうなったかはわからないけど、大切に使わせていただきます!」
珍しく敬語になったレインは慌てて立ち上がり、棚の横にドライアドの木を置くようにタコ助に頼む。ゴトン、と置かれたドライアドの葉は、どこか楽しげに揺れているような気がした。
「これで頼まれてたのは全部?」
「そうだね……うん! これで全部だ! ありがとう、あやめちゃん、タコ助!」
「……ううん、こちらこそ、ありがとう」
「へ? なんでお礼なんて?」
「いや、ごめん。こっちの話」
あのドライアドに会わせてくれてありがとう、なんて、レインに言っても伝わらないだろうから。
塩むすびを食べ終えたレインは腕まくりをすると、これから錬金術師としての仕事に入るという。しばらくその仕事で忙しくなるから、また暇になったら連絡すると口頭で言われ、その日はそのまま解散になった。
タコ助と共に商店街を歩く。客寄せの声を聞きながら、美味しそうな匂いに足が惹かれそうになりながら、ゆっくりと帰路につく。時刻はまだ十四時。
「タコ助」
「はいっなんでしょう?」
「帰ったらみっちり練習するわよ」
「! はいっ!」
わたしもまだまだ未熟らしい。
今日の感覚を忘れないうちに、音楽に気持ちを込めるやり方を覚えないと。




