第十五話 バカと天才は紙一重
木曜と金曜は真っ直ぐ家に帰り、タコ助と共に楽器の練習に励んだ。おかしなことに両日共に禍津が一緒に下校してくれた。大抵の予想はついているが、口にはしていない。これは彼なりの優しさなのだろう。
別れ際に「じゃあな、ブス」と声をかけられて思わず鳩尾に拳を入れたのは記憶に新しい。
そしてやってきた土曜日。早朝は肺活量を上げるために必ず一時間のランニングをこなし、帰宅してシャワーを浴びて朝食を食べる。レインからは午後に来てほしいとの連絡を受けていたため、午前中は楽器の練習に専念する。いくらわたしに音楽の才能があったとて、練習しないとできるものもできないのだ。
ある程度息の吹き方もわかってきたこの頃、ようやくタコ助に対して本格的な指導ができるようになってきた。……もちろん教本を見ながら、だが。
タコ助は自身の体長と同じ程度に縮んだ細長いトランペットを一生懸命に吹いている。今更だが、トランペットよりもリコーダーなどの方が近いのかもしれない。細長い筒にはところどころ穴が空いており、そこを塞いで音色を奏でているからだ。
一度吹いてほしい、とタコ助に頼まれたこともあったが丁重にお断りした。いくらタコ助だとしても、変なところで潔癖症のわたしには間接キスは厳しかった。ごめん、タコ助。
代わりに音楽の授業で使っているリコーダーを奏でてみた。当然音色は違うが、どこか参考になれば良い。その程度の認識である。
そうして練習すること数時間。母の作った昼食を食べ終え、わたしはタコ助を連れて駄菓子屋へと向かった。
しかし、駄菓子屋の入口には『CLOSE』と書かれた看板が吊り下げられており、無断で立ち入ることは躊躇された。レインに連絡してみれば、そのまま入っていいとのことだったので、いつもは開けっ放しのガラス戸を引いて入ることにする。
レインの姿は見当たらない。恐らく工房にいるのだろう。
一応工房の扉をノックして返事を待つが、一向に何も聞こえない。
「レインー?」
再度ノックをしてみるも、結果は同じ。
「入っちゃって良いんじゃないですか?」
「……それもそうね。呼んだのは向こうだし」
銀のノブに手をかけて扉を開けば、そこは惨状だった。あちらこちらに物が散らばって、足の踏み場がない。――脳裏を過ぎったのは一度だけ入ったこの駄菓子屋の事務所。そういえばあそこも足の踏み場がなかったっけ……。
それにしてもレインの姿がない。工房の中で声を張り上げて名前を呼べば、事務所からひょっこりと顔を覗かせた。
「うわーんあやめちゃーん! 待ってたよ〜!」
口元に三角巾を巻いている様子から見るに、掃除でもしていたのだろう。……それがどうしてこんなことになるのやら。
「で、わたしは何をすればいいの?」
「うう、実は錬金術に必要な道具をぶちまけちゃって……それを整理整頓してほしいんだ……」
「……そのくらい自分でやりなさいよ」
「自分でやろうと思ったんだよ! 思ったけど、僕その、片付けがめっちゃくちゃ苦手だから!」
「それでこの惨状、ってわけね」
「ううう〜……こんなはずじゃなかったのに……」
項垂れる様子を見ると、さすがに可哀想になってくる。仕方なくわたしとタコ助も協力することで一先ず工房を片付けようと決めた。
意外にも大活躍をしたのはタコ助だった。自慢の触手を伸ばして簡単に重たいものも持ち上げ、同時にいくつもの物をせかせかと片付けていく。
「タコ助さ、あやめちゃんのところじゃなくて僕の方に来ない?」と隙を見てスカウトしていたレインの頭をぶっ叩き、片付けを再開させたこともあった。
紆余曲折あり、なんとか工房は元通りの状態に戻った。
「本当に助かったよ……ありがとう、二人共」
「……次から片付けとか掃除の時はわたしを呼びなさい。あんた、どうせより散らかすから」
「うッ、言い返せない……!」
胸元を掴んで顔を歪めるレインの姿に呆れながら、さて、と席を立ち上がる。
「要件はこれだけ?」
「え? そんなわけないじゃん。掃除はついでだよ」
「……ついでで働かされたわけ?」
「あっあっ怒んないで! 拳収めて! ごめんごめん! あとで駄菓子おごるから!」
渋々力を抜いて椅子に座り直せば、心底ホッとした顔をされる。どこか解せない気持ちを抱きながら紅茶を飲めば、また例の本を机に置かれる。
レインの顔は、真剣そのものだった。
「今からあやめちゃんには、二日間にわたって大変な仕事を任せる。でもこの通り、どうか協力してほしい」
机に頭をつけるように腰を折るレイン。ここまで低姿勢な姿を見たことのなかったわたしは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたことだろう。
あのレインが頭を下げるのだ。余程大変なことなのだろう。
ごくり、と喉を鳴らすとレインが聞こえるか聞こえないかの声量でなにかを呟くのが聞こえた。
「このままじゃ溜めに溜めてきた依頼品の錬金が間に合わなくなる」――と。
ああ、そうだ。わたしが素材がずらりと並んだ棚を倒したりしなければ、レインの錬金術師としての仕事も上手くいっていたのだ。ずきりと心臓が痛むのを感じれば、また小声でなにか呟く。
「くそぅ……サボらずちゃんと仕事こなしておけばよかった……二ヶ月も期限あったのに……」
わたしとレインが出会ったのは精々二週間前。
当然のように拳を振り下ろされたレインの頭頂部には、真ん丸としたタンコブができあがっていた。
「で、必要なのはなに?」
「こちらメモです……」
「……こういうときばかり準備いいんだから」
受け取ったメモにはずらりと文字が並べられていた。魔物の名前と必要な素材、それから本のページ。
確かにこの量は一日で終わりそうにない。
はぁ、と溜め息をついて召喚部屋へと向かった。ちなみにタコ助はレインの手伝いとして工房に留守番である。……変なことに使われていなければいいけれど。
とりあえず、上から順番に素材をいただいていこう。
魔法陣の前に立ち、本を開く。
「――魔女あやめが告げる」
……そうしてメモの三分の一の素材を集め終えた。
一度工房に戻り、集めた素材をダンボールに詰め込んで押し付ける。
「わーん! ありがとうあやめちゃん!」
パンパンに詰め込まれた素材を見てどこか遠い目をしながら作り笑いを浮かべてダンボールを受け取ったレインは、早速机に向かって作業を始めた。時折タコ助に指示を出して手伝ってもらいながら、だが。
わたしはといえば、事務所に行って自分のカップに紅茶を注いで喉を潤す。ずっと喋りっぱなしだったから喉がカラカラだったのだ。
水分補給も終えて、ぐるりと周りを見渡す。……この事務所も片付けさせなきゃな、と思いながら散らばっている紙をなるべく踏まないように工房へと戻った。
工房ではレインのかき混ぜていた大鍋が光を放っていたところだった。
そして「一個目できたー!」と嬉しそうに木べらを持ったまま両手を大きく突き上げていた。
「なに作ったの?」
聞けば風邪薬、らしい。
風邪薬? と落胆しながら聞き返すわたしにレインは額に浮かんだ汗を拭いながら答える。
「ただの風邪薬じゃないよ。水に溶かして飲めば鼻水や熱には抜群の効き目だし、塗り薬として使えば怪我や骨折も一瞬で治る優れもの!」
おかげで錬金の工程も多いし材料も貴重なものが多いんだけどね……。と再び遠い目をするレインを横目に、鍋の中身を盗み見る。そこには薄緑色をした餅のようなものがあった。
「風邪薬として使う人が多いからそう呼んでいるだけで、本来の名称は違うものだよ」
そう付け加えながら薄緑の餅をいくつかの容器に分けて蓋をする。その内の二つを袋に詰め、他は棚に並べた。
「ふぅ……よし、次も作ろう! 手伝ってくれるね、タコ助!」
「はい!」
意外とこの二人は良いペアなのかもしれない。
そんなことを思いながら、わたしは再び召喚部屋へと戻った。
メモの三分の二まで素材を集め終えた頃、持ち歩いていたスマホが震えた。電話の主は母だ。
「もしもし?」
「あなた今どこにいるの? もう夜ご飯できるわよ?」
「えっ今何時⁉︎」
「もう七時よ」
「ご、ごめんなさい! すぐに帰るから!」
何度も連絡したのに全く出ないんだから、せめてメッセージのひとつやふたつ寄越しなさい……と電話先で言う母に平謝りしながら、またダンボールを工房にいるレインに押し付ける。
「ごめんなさい、今日は帰るわ」
「あれ、もうそんな時間か。ごめんね、拘束しちゃって」
「土日は手伝うって約束したでしょ。気にしないで」
手を離すことが難しいレインに「じゃあまた明日」とだけ伝えてバッグとタコ助を連れて帰路に着く。徐々に夏に近付いているというのに、まだ五月だとこの時間でも真っ暗だ。
タコ助に落ちないようにしっかりしがみつくように言い聞かせ、駆けるように道を急いだ。
帰宅して手を洗い夕食を食べ入浴を済ませ、寝るまでの時間はまた音楽の練習に費やす。
「一日くらいは休んでも良いんじゃないですか? 師匠、今日ずっと働き詰めでしたし……」
そう心配してくれるタコ助の頭を撫でながら、それでも強く答える。
「こういうのは一日でもサボると一気に腕が落ちるの。特に習得中はね」
未だにピアノもヴァイオリンも弾けるわたしが言えることではないだろうが、タコ助に関しては別だ。最近ようやく綺麗な音色がひとつやふたつ出るようになったのだから、その感覚を忘れてはいけない。
「ほら、早くトランペット出しなさい」
「は、はいっ師匠!」
それから二時間弱練習に費やし、日付が変わる前にベッドに入る。ちなみにタコ助は動物用小さなクッションに簡易枕と毛布をかけた状態で寝ている。踏まないように、とサイドテーブルに置いたおかげで殆ど占領されてしまった。
「おやすみなさい、師匠」
「うん、おやすみ」
明日も頑張らないと。そう心に決めて目を閉じた。




