第9話 転生者、山本凶夜のケース
あの国道の交差点
コンビニの壁に寄りかかり、一人の少女がスマホを操作していた。
その少女に忍びよる影が一つ。
それは、今にも彼女に触れそうな距離まで近づいていく。
――カサカサッ。
一匹の、気色悪いほどに黒光りするゴキブリが、少女の足元を、猛スピードで通り過ぎていった。
「きゃっ!!びっくりした!!もう、マジやめてほしいんだけど……」
少女が小さく飛び退き、顔をしかめる。
すると、彼女が手に持っていたスマホの画面に、ポンッとメッセージが流れた。
『大丈夫?「めぐりん」大丈夫!?』
「あ、ごめんごめん!ちょっと足元にめちゃ大きいGがでて、踏みそうになっただけ!」
彼女はパッと表情を切り替え、配信画面に向かって愛想よく微笑みかける。
それに対して、画面上を多くのコメントが滝のように流れていく。
「大丈夫だよー。『止まる』さん、いつも速攻でコメントありがと!驚かせてごめんね」
少女は手慣れた手つきでスマホを操作すると、それをカチリと機材にセットした。
歩きながらでも手ブレを抑えられる電動のスタビライザー。配信者御用達の専用グリップだ。
「よしっ。じゃあ、休憩もできたし。散歩枠『めぐりんのどーでもいい日常』、再開しまーす!」
◆◆
少女が機材を掲げ、カメラに向かって笑顔でピースサインを作った、その時だ。
彼女の背後の暗がりから、音もなく影が飛び出してきた。
その手には、ギラリと鈍い光を放つサバイバルナイフが握られている。
『あっ!!!』
『ヤバ』
『うしろ!!』
『めぐりん!!逃げて!!』
画面を埋め尽くしたリスナーたちの絶叫コメント。
自撮り画面の端に映り込んだ異常に気づき、少女は咄嗟に身をよじった。
「えっ——」
鋭い刃先が、少女の脇腹の衣服を薄く掠める。
「チッ!!」
完全に殺意を持った男の凶刃は空を切り、男は勢い余ってバランスを崩した。
タタタッ、と数歩よろめき、男の身体が車道へと飛び出す。
そこへ。
――パァァァァァァンッ!!!
強烈なクラクションの音と共に、交差点を猛スピードで駆け抜けてきた大型トラックが、男の身体を跳ね飛ばした。
グシャッ。
鈍く、嫌な音が響く。
スマホの画面越しにその惨劇を目撃した何千人ものリスナーと、ただ立ち尽くす少女を残し、男は即死した。
◆◆
【???の視点】
「おい!!神!!出てこいや!!若いメスなら誰でもよかったのに!!なんでオレが死んでるんだよ!!」
私を呼ぶ不快な声。
暗闇に落ちてきた狂気の魂が、喚き散らす。
……これは厄介だ。
暗闇の空間で、頭を抱えた。
こんなケースは初めてだった。
これまで『あそこ』で死んできた連中は、せいぜい自己愛が肥大化しただけの、救いようのない勘違い男ばかりだった。
だが、こいつは違う。
明確な殺意を持ち、現実世界で直接彼女に手を掛けようとした『本物の狂気』だ。
悪意の残滓は因果となって巡り巡り、再び何らかの形で引き寄せられてしまう危険性がある。あの交差点に張り付いた私の『念』が、こんな狂人まで吸い寄せてしまうように。
「生き返らせろ!転生させろ!もっと殺させろ!!」
だが、望まれてしまった以上……私にはこうせざるを得ない。
『……貴様が望むなら』
◆◆
【クロエの視点】
今日もダンは、自分の指定席である木箱の上に座り、怠惰に欠伸をしている。
本当に、いつもいつも暇そうにして……。夜、しっかり寝てないのかしら。
目の下に微かな隈を作っているダンを見て、私は呆れながらも内心で少し心配していた。
まぁ、彼がいつもそこにいてくれるおかげで、面倒な厄介ごとを押し付けられるから助かっているのだけれど。
そんな、いつもの退屈で平和な冒険者ギルド。
そこに、突如として『本物の悪意』がやってきた。
ドォォォォンッ!!
ギルドの分厚い両開きの扉が、蹴り破られるように大きく明け放たれる。
ドサッ……。
静まり返った床に、無造作に何かが投げ込まれた。
それは、血が滴る薄汚れた革袋だった。ボタボタと赤黒い染みが広がり、鉄錆のような血の匂いがギルド内に充満する。
……え?あの大きさって、まさか。
袋の形からして、中に入っているのはおそらく『人間の頭部』だ。
それを投げ込んだ男が、ゆっくりとギルドの中へ足を踏み入れた。
真っ赤に充満した血走った瞳。ボサボサの黒髪。
口の端を吊り上げ、全身から隠しきれない異常性を垂れ流している青年。
……違う。
背筋が凍りついた。
最近よく来ていた、アポ野郎のような『ダークヒーロー気取り』じゃない。
人を殺すことに何の躊躇いもない、完璧な殺人鬼の目だ。
「けひひっ……さぁて、誰の頭かなぁ?」
男の歪な笑い声が、凍りついたギルドに不気味に響き渡った。
◆◆
その男は、狂気に濁った瞳で部屋の中をぐるりと見渡して、最後にカウンターの奥にいる私で目を止めた。
「オンナぁ。その袋の紐を解けぇ」
私は小さくため息をつき、手元の書類から顔を上げた。
「当ギルドは、登録のない冒険者の持ち込みや、クエスト外の物品の受理はしてません。迷惑なので、持ち帰ってくれますか?」
感情を一切込めない、マニュアル通りの対応。
そんな私の言葉を受けて、男の眉間にピキリと青筋が走った。
「けっ⋯⋯ひひ。どうやら命知らずなオンナがいるようだなァ」
男はズカズカと血のついた靴で汚れた足跡をつけながら、途中で床の布袋を蹴飛ばし、カウンターまで歩み寄ってくる。
「もう一つ、ちょっと小ぶりだが、ちょうどいい革袋があるんだぜぇ。お前、頭のサイズがすっぽり入りそうだァ」
キラッ⋯⋯。
男の背中に隠されていた手が動き、視界の端で鋭い刃物が光った。
こいつ⋯⋯!
記憶がフラッシュバックする。
昨日、夢で見た。コンビニの前で、私に刃物を向けて襲いかかってきた、あの狂った男。
トラックに跳ねられて死んだあの殺人鬼と、目の前の存在が似ている!?
ヒュッ……ズバンッ!!
私はカウンターの下から咄嗟に引き抜いた、分厚い『冒険者台帳』を盾にし、振り下ろされた凶刃を間一髪で受け止めた。
そして、奴の刃を完全に沈黙させたのは、もう一つ。
いつの間にか男の真横に立っていたダン。そのボロい剣が男の首筋をピタリと捕らえ、もう片手が奴の腕を掴んでいたのだ。
「悪いな、兄ちゃん。お前はダメだ。根っからの異常者だ」
「けひひひひ!!なんだぁ、てめぇ。こんなナマクラで俺を止めたつもり⋯⋯」
ズバァン!!!
「ぎょ⋯⋯?」
男が言葉を言い終えるより早く、ダンの剣が無慈悲に閃いた。
ブシャァッッ!!!
生温かい、大量の血が私の顔と服に飛沫となって降り注ぐ。
悲鳴を上げる暇すらなかった。
しかし⋯⋯。
ドサリと崩れ落ちた男の死体は、床に触れた瞬間、パラパラと黒い『煤』のように崩壊し始めた。
驚くべきことに、私の顔やギルド中に飛び散ったはずの真っ赤な血液の全ても、瞬時に乾燥した煤へと変わり、空気中へサラサラと散っていく。
そして、男が投げ込んだ革袋と、中に入っていた誰かも分からない頭部も。すべてが黒い煤となり、虚空へと溶けて消え去ったのだ。
『⋯⋯却下だ。永劫彷徨え。塵として』
ダンは、空気中に消えゆく狂った男の残滓に向かって、氷のように冷たい表情で低くつぶやいた。
その声は、いつもの冴えない冒険者のものではなく、次元の底から響く絶対者のようだった。
ふと振り返った彼は、いつもの『冴えないモブ顔』に戻り、ひどく焦ったような、必死に私を案じる顔で駆け寄ってきた。
「——大丈夫?クロエ、大丈夫か?」
私の心臓が、大きく跳ねた。
どんな時でも、誰よりも早く。
私を心配するあまり、不器用に同じ言葉を繰り返してしまう、その癖。
私がよく知っている「誰か」と、目の前の男が、ピタリと重なった気がした。
殺人鬼を瞬殺したダン。ただのモブではない彼が口にした「……却下だ」の言葉の重み、そして彼がクロエに見せた不器用な優しさ。
【次回予告】
次元を超えた壮大な〇〇の全貌が明かされる!
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