第8話 転生者、黒崎神のケース(下)
「……なぁ、クロエ。黒猫軒で飯でもどうだ?」
暗がりからヌッと顔を出したのは、見慣れた冴えない男。ダンだった。
「……わざとでしょ。その声のかけ方」
「ハハハ、どうかな」
私がジト目で睨みつけると、ダンは悪びれもせずにへらへらと肩をすくめた。
「性格悪。まぁ席、用意してあるならいいよ」
「当然、用意してある。と言うか、カイゼル家のコネを使えば満席でもねじ込めるけどな」
「はいはい、実家太い人はいいよね」
ダンとは、空気みたいな付き合いだ。
気を遣わず、沈黙が苦にならない空気みたいな男だから、私も楽でいい。
私たちは夜の冷たい風を避け、裏路地にあるいつもの『黒猫軒』へと足を向けた。
◆◆
カラン、と古びたベルを鳴らして店内に入ると、香ばしく焼けた肉の脂と、豊かに香る麦酒の匂いがふわりと鼻をくすぐった。
賑わう店内。奥の特等席につくと、程なくして頼んでおいた料理が運ばれてくる。
こんがりと焼き目のついたバゲットと、この店の名物である『蒸し鶏とハーブのサラダ』だ。
しっとりと柔らかく蒸し上げられた鶏肉に、酸味
の効いた特製の柑橘ドレッシングがキラキラと光っている。
シャキシャキの葉野菜と一緒に口に運べば、爽やかな旨味が広がり、ギルド業務で荒んだ一日の疲れがスッと解けていくようだった。
「最近、変な夢見るんだよね」
私がフォークを動かしながらつぶやくとやくとと、向かいに座るダンが、蒸し鶏を刺そうとしていた手を僅かに止めた。
「どんな?」
「転生前の、私」
私は、よく冷えた木の実の果汁をかき混ぜながら、ふと思い出したように口を開いた。
「なんかさ、変な男に道端で声かけられて、私が『キモっ』とか言うわけだけど。その男が変顔して脅かしてきて……それで、私の目の前で、そいつがトラックに轢かれるっていう」
「……『キモっ』とか、他人に直接言っちゃうんだ」
「そこは置いといて。しかもそれ、何パターンもあるんだよねぇ。疲れ果てたおっさんだったり、ホスト風のおっさんだったり、やたらと元気なおっさんだったり、斜に構えた痛々しいおっさんだったり」
「全部おっさんかよ!!」
ダンから突っ込みをもらった。そんな彼は、打って変わって神妙な表情になる。
「まぁ、気色悪い夢ではあるな。ていうか、前世の名前は廻だよな?その名の如く、夢のなかで平行世界をめぐってるんじゃないか?」
「はぁ⋯⋯きみに下の名前を教えたあの時の私を殺したい。ていうか、どうしたらそんな発想できるわけ?きみも大概厨二だね、次元航くん」
「おい、言うなよ!」
ダンは照れ隠しのように、自分のジョッキを呷った。
しかし、グラスをテーブルにコトリと置くと、少しだけ真面目な顔つきになる。
「でも、なんか不思議な夢だな。だってお前、前世で変な男に怒鳴られて、怯えて車道に逃げた先で、トラックに轢かれたんだろ?」
「そうだけど」
私が死んだ日の、冷たいアスファルトの記憶。
私は確かに、自分の身代わりのようにして誰かが轢かれる光景など、見ていない。
「それって、完全にパラレルワールドだよな」
「⋯⋯私が死ななかった世界、ってことね」
ドクン、と。
胸の奥で、奇妙な鼓動が跳ねた。
「じゃあ、あの変な夢で私の代わりに轢かれた男達が、この世界に転生してきてたりして」
「ハハハ、まさか」
ダンは笑い飛ばした。
私もつられて愛想笑いを浮かべたが、背筋には説明のつかない、ぞくりとした薄ら寒さが走っていた。
思い返せば、このギルドにやってきた数々の痛い転生者たち。あの時、一瞬だけ感じた彼らの存在感、夢の中でトラックに跳ねられた男たちのそれと、妙に重なるような気がしたからだ。
まさか、ね。
そんな突拍子もない話ができるのは、ダンこと、次元航だけだ。
私がこの理不尽な世界で目を覚まし、クロエとしてギルドで働き始めたときには、彼という存在は既にこの世界にいた。
彼は私に比べて、あまり前世を語らない。
どうやって死んで、なぜここにいるのか。
いつか、話してくれるのだろうか。
そんな事を考えながら、私は自分のジョッキを傾けた。
昼間のあのアポ野郎が「不味い」とけなしていた麦酒。
けれど、よく冷えたそれは喉越しが鋭く、微かな苦味と麦の甘みが口の中に心地よく広がる。
私にとっては最高に美味しい麦酒で喉を潤し、私はダンと蒸し鶏サラダをシェアしたのだ。
窓の外では、二つの月が静かに、この狂った世界を照らし続けていた。
◆◆
夜がさらに更けた。
街から遠く離れた、西の廃教会。
崩壊した冷たい石畳の上に、ある男の、無様な絶叫が響き渡っていた。
「ひ、ヒィィィィッ!?来るな!!俺は、俺は絶対的な支配者だぞ!!なんで俺の魔法が効かないんだよォォォッ!!」
漆黒のコートをボロボロに引き裂かれ、這いつくばって逃げ惑う男——アポカリプス。
彼の背後に迫るのは、痛みも恐怖も理解しない、凶兆級討伐対象、『虚ろな皇帝』だった
自らを「冷酷なダークヒーロー」だと酔いしれていた男は、圧倒的な理不尽と死の恐怖を前に、鼻水と涙を撒き散らし小便を漏らす。
「や、やめろ……助け、ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!!?」
怪異の『虚ろな刃』が、アポカリプスの身体を透き通るように通過する。
彼は、自慢の現代知識を披露する間もなく、その命はあっけなく、そして無惨に刈り取られた。
怪異は興味を失い、闇の奥へと消えていく。
静寂を取り戻した廃教会。
そこで、奇妙なことが起きた。
絶命したアポカリプスの死体。後は腐敗を待つだけのそれが、パラパラと『黒い煤』のように崩れ落ち、虚空へと溶けて消え去ったのだ。
そこへ、月夜を徘徊するかのように、コツ、コツ、と足音を響かせて『黒い影』が現れた。
ローブを纏ったその影は、アポカリプスが黒い煤となって消えた空間を見下ろす。
『……そうか、なるほど。この器も不満だったか』
誰もいない空間に、底冷えするような声が響く。
『成る程。次は、そのお気に入りの「美しい黒」を維持しつつ、溢れんばかりの生命力と、危険からも素早く逃げられるような脚力……そして、飛行能力まで欲しいのだな』
影の言葉は、強欲な魂の最後の叫び(クレーム)を代弁しているようだった。
やがて影は、呆れと、極上の悪意を交えて宣告する。
『欲張りなヤツめ。だが……良いだろう。私にできる最大限の範囲で……叶えてやる』
影は、闇に向かって腕を広げた。
『そして導いてやろう。お前の望む異世界へ。——お前の望む、最高の姿で』
クロエの正体、そしてアポ野郎の末路(G)、いかがだったでしょうか?
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物語はここから一気に核心へと向かいます!




