第7話 転生者、黒崎神のケース(上)
「なんか、さっきからゾワッとしてる」
私はいつもの冒険者ギルドのカウンターで、怠惰な時間を過ごしながらも、同じ空間にいる異物を認識していた。
「⋯⋯もうそろそろ休ませてほしいんだけどな」
ダンはけだるげに木箱に座りながら、それの気配を背中に感じる。
「きみはいつも怠惰だし。休んでばかりでしょ」
「失礼な。俺は家の金も当てにしてないし、ちゃんと依頼もこなしてる。受付嬢の無茶振りにも嫌な顔一つしない。こんな怠惰なやつ、いるか?昨日は夜通しで……疲れているってのに……」
ダンが抗議の姿勢を示したとき。
「……ッ、ぐぁぁぁっ!!俺の、俺の腕がぁぁっ!!」
床をのたうち回るベテラン冒険者の男。その右腕は、不自然な方向にへし折られていた。
「ふん。俺の視界を遮った罪だ。……この腐敗した残酷な世界では、油断した『弱者』から死んでいく。俺はただ、理を教え、間引いてやっただけだ」
そう言って、痛い勘違いをしているのは、全身を漆黒のコートで包んだ、黒髪の男だった。
片目を前髪で隠し、やたらと姿勢を斜めに構えている。
カウンターの奥でその光景を見ていた私は、盛大なため息を飲み込んだ。
うわ、一番タチの悪い『ダークヒーロー気取り』だ。
最近やってきた転生者の中でも、こいつは群を抜いて最悪。
登録名はアポカリプス。だけど、登録用紙には最初「黒崎神」と書いて、破り捨てたのを、私は見逃さなかった。
彼はギルドに現れるなり、少し肩がぶつかっただけの冒険者を「無能」「ゴミ」と罵り、一方的にいたぶり始めたのだ。
「おいおい、こんな不味いエールと、パサパサの肉を食って喜んでるのか?未開の猿どもはこれだから困る」
アポは、給仕の女の子から奪った麦酒を一口飲み、床にペッと吐き捨てた。
「いいか?『マヨネーズ』という神の調味料と、『三圃式農業』の概念すら知らない貴様ら原始人は、俺という『絶対的な叡智』を持つ支配者が来てやったことを、神に感謝するんだな」
……うわぁ。
私はドン引きしていた。
マヨネーズ?農業知識?それ、あんたが発明したわけじゃなくて、日本の知識を語ってドヤ顔してるだけじゃん。
前世ではきっと、誰からも相手にされない寂しい人間だったのだろう。
だからこそ、この異世界では「俺は冷徹だ」「俺は残酷な世界を知り尽くしている」と、血の通わないサイコパスを演じることでしか、自分を保てないのだ。
本当の強さや、魅力的な人間というのは、こんな狂人のふりをしたクズではない。
他者の痛みすら想像できないような輩は、ただの舞台装置だ。
「おい、そこの受付の女」
アポ野郎が、おもむろに私の方へ歩み寄ってきた。
前髪の隙間から、爬虫類のようにねっとりとした視線を向けてくる。
「お前、いい目をしているな。希望を捨てた、冷たい瞳だ。……この絶望に満ちた世界で裏切られ、虐げられてきたのだろう?」
お前の言動が痛すぎて、ジト目になってるだけだが?
そんな私の心の声など届くはずもなく⋯⋯
「フッ……安心しろ。俺が、お前をこの掃き溜めから救い出してやる。俺の専属奴隷として、俺が世界を血で染め上げるのを特等席で見せてやろう」
アポ野郎は私の顎を指先で持ち上げようと、手を伸ばしてきた。
全身の鳥肌が総立ちになる。生理的な嫌悪感が爆発しそうになった、その時だ。
「おっと。悪い、手が滑った」
ゴトッ、と。
アポ野郎の足元に、木箱が転がってきた。
いや、正確には「木箱に座っていたダンが、絶妙なタイミングで立ち上がり、木箱を蹴り飛ばした」のだ。
「あ?」
アポは不機嫌そうに、冴えないモブ顔のダンを睨みつける。
「なんだ貴様は。俺の崇高な時間に割って入るとは、命が惜しくない——」
「いやぁ、ごめんごめん!冒険者ギルドの床って滑りやすくてさぁ」
ダンはへらへらと笑いながら、アポの伸ばした腕と私の間にスッと割り込んだ。
そして、カウンターに身を乗り出す。
「クロエ、悪いんだけど。この前依頼されてた『廃教会の怪異討伐クエスト』、俺じゃ荷が重くてさ。もっとこう……『真の強者』じゃないと無理だと思うんだよねぇ」
ダンはわざとらしく、チラッ、とアポのほうを見た。
「……ほう?廃教会の怪異だと?」
「そうそう。あそこには、血に飢えた狂気の上位アンデッドが巣食ってるらしくてさ。並の冒険者じゃ、恐怖で一歩も動けなくなるらしいよ。……まぁ、マヨネーズ?とかいうのを知ってる『絶対的な支配者』サマなら、あくびしながら片付けちゃうんだろうけどねぇ?」
ダンの、分かりやすすぎる挑発。
しかし、承認欲求と自己愛の塊であるアポは、見事にそれに食いついた。
「フハハハハッ!!狂気の上位アンデッドだと?面白い。この世界がいかに残酷か、そして俺の『闇』がどれほど深いか……その身に刻んでやろう!!」
アポはバサァッ、と無駄に音を立てて漆黒のコートを翻した。
「受付の女。そのクエスト、俺が受けてやる。震えて待っていろ。俺が帰還したとき、お前は俺の足元にひれ伏すことになる」
狂ったように高笑いしながら、アポはギルドを出て行った。
バタン、と扉が閉まる。
いや、あんた見習い冒険者だから、そのクエスト、受けられないんだけど。まぁいいや。
そんな事を思いつつ⋯⋯
「……ダン。ありがと」
「なんてことないさ。ダークヒーロー様には相応しい舞台を用意してやらなきゃ、だろ」
ダンはいつもの冴えない顔のまま、肩をすくめた。
◆◆
夜の帳が下りる。
ギイッ。バタン。
冒険者ギルド閉業時刻となり、入り口の扉の鍵を閉めた私。
一日の疲れとともに、ふぅ、と重いため息を吐き出した、その時だった。
——スッ。
足音もなく、私の背後に一つの影が近づいていた。
殺気はない。だが、やけに気配の薄い、油断ならない距離感。
私が振り返るより早く、暗がりから静かな声が降ってきた。




