第1話 地下室の泥の手
はじめまして。異世界恋愛の連載です。
全15話、ハッピーエンドまで毎日更新します。よろしくお願いします。
この国の人は、ときどき「手」を持って生まれる。
草木を育てる、植物の手。
氷をあやつる、氷の手。
鉄を打つ、鉄の手。商いを当てる、金の手。
手を持つ者は、十人に一人もいない。
だから、貴族の家は、手を持つ子が生まれると、その手で家を大きくする。
私の手も、生まれつき、少しだけ変わっている。
でも、家族は、それを「手」とは呼ばない。
「泥の手」と呼ぶ。
◇
――どさどさどさっ。
天井近くの落とし口から、がれきが、なだれ落ちてきた。
割れたれんが。くだけた石。燃えかすの灰。くさった木切れ。
町で家を取りこわしたときに出たごみを、継母が、荷車ごと安く買い取ってくるのだ。
ほこりが、もうもうと舞い上がる。
私は、口と鼻を布でおおって、がれきの山の前にしゃがんだ。
両手を、がれきの上に置く。
目を閉じる。
手のひらの下で、ざらざらしたれんがのかけらが、少しずつ、少しずつ、やわらかくなっていく。
石が、ほろほろとくずれて。灰が、しっとりと湿って。
くさった木が、ふかふかにほどけて。
目を開けると、手の下には、黒い土があった。
ただの土じゃない。
どんな種でも芽を出させる、よく肥えた、肥沃な土壌。
しっとりとして、あたたかくて、少しだけ、雨上がりの森のにおいがする土。
これが、私の手だ。
がれきを、肥沃な土壌に変える手。
◇
私の土に種をまくと、何でも、すぐに芽を出す。
光がなくても。寒くても。
ふつうなら十日かかる芽が、ひと晩で出る。
亡くなった母も、同じ手を持っていた。
母は、北のはずれの村の生まれで、母の家には、昔から、ときどきこういう手の子が生まれたのだという。
母は、嫁いでからも、この屋敷の地下で、こっそり土をつくっていた。
「誰にも言っちゃだめよ。でも、あなたの手は、すてきな手なのよ」と言って、私の泥だらけの手を、よくなでてくれた。
母が亡くなったのは、私が八歳の冬。
それから一年もしないうちに、父は、ドロテア様と再婚した。
継母は、七つの女の子を連れてきた。
ミレイユ。私より、一つ下の妹。
母が生きていたころから、父が、外につくっていた子だった。
継母は、地下室で泥だらけになっている私を見て、顔をしかめた。
「なんて汚いの。伯爵家の娘が、泥いじりだなんて」
それから、私の手の下で、がれきが土に変わるのを見て。
少しだけ、目を細めた。
「……でも、使えるわね」
その日から、私は、地下室に閉じこめられた。
◇
ハーヴェル伯爵家の地下室は、もとは、古い貯蔵庫だった。
石造りの、冷たい部屋。
天井近くに、格子のはまった小さな窓が一つ。そのとなりに、がれきの落とし口。
冬になると、壁に霜がつく。吐く息は、いつも白い。
ここで、毎日、がれきを土に変える。
できた土を、麻袋につめる。
袋は、毎朝、荷車で、屋敷の裏の薬草畑へ運ばれていく。
決められた数の袋ができるまで、扉の鍵は開かない。
食事は、扉の下の差し入れ口から、一日に二回。
冷めたスープと、かたいパン。
袋の数が足りない日は、それもない。
「汚い仕事は、汚い場所でするものよ」
継母は、そう言った。
「お客様に、見られでもしたら、伯爵家の恥ですもの」
◇
私のつくった土は、屋敷の裏の畑に運ばれた。
その畑で育った薬草は、「ハーヴェルの薬草茶」として、王都で評判になった。
そして、世間では、こう言われている。
――ハーヴェル伯爵家の次女、ミレイユ様は、植物の手をお持ちだ。
うそだ。
ミレイユに、手はない。
でも、ミレイユは、お茶会のたびに、小さな鉢を持っていく。
中には、私のつくった土。
ミレイユが、その土に、みんなの前で種をまくと。
次の日には、芽が出る。
「まあ、さすがミレイユ様!」
「なんて見事な植物の手!」
格子窓は、ちょうど、裏庭の地面の高さにある。
だから、裏庭で開かれるお茶会の声は、よく聞こえた。
「手が荒れちゃうから、本当は大変なのよ」
ミレイユの、甘い声。
格子窓の外を、きれいな靴が、いくつも通り過ぎていく。
誰も、足もとの小さな窓には、気づかなかった。
◇
月に一度くらい、ミレイユが、地下室に下りてくる。
「見て、お姉様。新しいドレスよ」
その日も、ミレイユは、石の階段の途中で、くるりと回ってみせた。
淡い緑色の、絹のドレス。すそに、金の糸で、小さな葉っぱの刺繍。
「『植物の手の令嬢』らしいでしょう?」
それから、ミレイユは、地下室を見回して、鼻をつまんだ。
「うわ、くさい。お姉様、また泥だらけ」
ミレイユが、ドレスのすそをつまんで、棚のあいだを歩いた。
――がしゃん。
棚のはしの鉢が、床に落ちて割れた。
母の形見の種から、私が、自分の土で育てていた鉢の一つ。レモンバーム。
棚のはしの、レモンバームとカモミールの小さな鉢だけが、この地下室で、私のものと呼べるものだった。
「あら、ごめんなさい。目に入らなかったわ」
ミレイユは、割れた鉢を、つま先でちょんとつついて、階段を上がっていった。
扉が閉まって、鍵がかかった。
私は、床に散らばった土を、手ですくい集めた。
根を、そっと拾い上げて、空いている鉢に、植えなおした。
「ごめんね。痛かったね」
次の朝、レモンバームは、何事もなかったみたいに、葉をぴんと立てていた。
◇
壁には、私が爪で引いた線が、びっしりと並んでいる。
一日に一本。七本ごとに、横線を一本。
先月、その線が、ちょうど十年分になった。
あの日は、私の十八歳の誕生日だった。
上の階からは、何の声もしなかった。
◇
その日の夕方。
珍しく、袋の数を数え終わる前に、地下室の鍵が開いた。
「出なさい、リーゼ。旦那様がお呼びよ」
応接間には、父と、継母と、ミレイユがいた。
「リーゼ。おまえに、縁談だ」
父が言った。私の顔を、見ないまま。
「北の、ヴァルトシュタイン公爵家。当主のクラウス様だ。先方の望みは、『ハーヴェル家の、植物の手の娘を』」
――植物の手の、娘。
「北の公爵領は、寒すぎて作物が育たん。だから、植物の手がほしいのだそうだ。王命の縁談だから、断れん」
「いやよ、絶対いや!」
ミレイユが叫んだ。
「氷の公爵様よ? さわったら凍るって噂の! それに、わたしが北に行ったら、お姉様の土がないのよ? 植物の手なんてないって、すぐばれちゃう!」
「だからね、リーゼ」
継母が、とびきりやさしい声で言った。
「先方には、『ハーヴェル家の娘を、嫁がせます』とだけ、お返事したの。どの娘とは、書いていないわ。うそは、ついていないでしょう?」
「……土は」
「心配いらないわ」
継母は、にっこりと笑った。
「畑を見てごらんなさい。屋敷の薬草畑は、もう、どこもかしこも、あなたの土でできているのよ。十年ぶん、何万袋。百年もつわ。あなたには、もう用はないの」
◇
その夜、私は、地下室で、最後の荷造りをした。
着替えが二枚。母の形見の、古い薬草の本。
棚の鉢から摘んで、乾かしておいた薬草を、小さな缶に。
カモミールと、レモンバーム。母がいつも淹れてくれたお茶と、同じ組み合わせ。ひとつまみで一杯だから、四、五杯ぶんはある。
それから、母の種。
カモミール。ミント。ラベンダー。
それから、母が「いちばん大切なもの」と言っていた、小さな青い種。
この種だけは、私の土にまいても、一度も芽を出さなかった。
母は「この子は気難しいの」と笑っていた。
母は、この青い種と同じ花を、私が小さいころに一度だけ、自分の土で咲かせたことがある。
そのときの花びらが二枚、押し花にして、缶の底に入っている。私の、お守りだ。
最後に、割れた鉢から植えなおしたレモンバームの葉を、一枚だけ摘んで、缶に入れた。
◇
三日後の朝。
迎えに来たのは、黒い馬車だった。
扉に、雪の結晶を図案にした紋章。ヴァルトシュタイン公爵家の紋章だ。
馬車から降りてきたのは、白髪の、背の高いおじいさんだった。
きっちりとした黒い服。
「ヴァルトシュタイン公爵家の執事、ハンスと申します。公爵領までの道中、お世話をさせていただきます」
ハンスさんは、ていねいに頭を下げてから、私を見た。
白い髪。陶器みたいに白い肌。古いドレスに、鞄一つ。
それから、あかぎれだらけの手。
ハンスさんの目が、私の手の上で、止まった。
私は、あわてて、手をうしろに隠した。
ハンスさんの眉が、ほんの少しだけ、動いた。
でも、何も言わずに、私の鞄を、まるで宝物みたいに、両手で受け取ってくれた。
馬車に乗りこむとき、ミレイユが、二階の窓から手を振っていた。
「お姉様、三日で逃げ帰ってこないでね! でも、帰ってきても、もう地下室は使わないから!」
継母の笑い声が、それに重なった。
馬車が動き出す。
ふり返ると、屋敷の裏に、広い薬草畑が見えた。
私が十年かけてつくった、何万袋もの土でできた畑。
継母は、知らない。
私の土も、作物を育てるたびに、少しずつ、力を作物にわたしていく。三年もすれば、ただの土に戻ってしまうことを。
毎年、私の袋の土を足しつづけていたから、畑は生きていたのだということを。
言おうとしたことは、何度もあった。
でも、「泥の手が口を出さないで」と言われてから、言うのをやめた。
畑は、たしかに、広い。
でも、いちばん古い東の畑は、もう、三年、土を足していなかった。
――私には、もう、関係のないことだった。
読んでいただき、ありがとうございます!
次回、いよいよ「氷の公爵」とご対面です。
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