7話 幸福を探して
初めて入る白い建物の博物館。
ガラス張りの天井から夏の日差しが差し込み、館内は静かだった。
木の床は磨き上げられ、ほんのり木材と紙の匂いが混ざっている。
受付で入館料を払い、よくある紙のパンフレットを受け取る。
「ありがとうございます」
スタッフが微笑む。
彼鉈はふと横を見ると、看空は展示室の入口を見つめたまま、少しだけ表情を曇らせていた。
「どうしたの?」
「……ううん」
笑ったが、その笑顔は昨日より少しだけ作ったものに見えた。
自動ドアが静かに開く。
最初の展示室には、壁いっぱいに大きな文字が刻まれていた。
《サマーカルム・エンターテイメント設立者の生涯を振り返る》
「……」
展示室の中央に、一枚の巨大な写真。
穏やかな笑顔で子どもたちに囲まれる、一人の男性。
説明文にはこう書かれている。
──青凪海都(1944-2020)
元政治家。待機児童問題及び福祉活動に尽力し、後にサマーカルム・エンターテイメントを設立。
全国各地に児童支援施設を設立し、多くの子どもたちを支援した。
現在のサマーカルム・エンターテイメントは、より成長し非常に有名な企業となっている。
「すごい人だったんだね」
「うん……」
看空は小さく返事をした。でも視線は写真から離れない。
(この人、昨日会ったんだけどな)
写真の笑顔と、生死の境界で見た笑顔が重なる。
展示をすらすらと歩いていく。
そこには、政治家時代の写真があった。
当時の選挙ポスターや子どもたちとの写真もあり、どれも優しそうだった。
「政治家やってたんだ」
「今の会社しか知らなかった」
「私も...すでに引退してたから」
少し歩いた先に、年表があった。
1994年──姫川児童支援基金 設立
「姫川……」
聞き覚えは全くない。
そのまま歩き出そうとした。
「空賀さん」
「ん?」
「どうしたの?」
「いや……」
「何でもない」
何か気になる資料でもあるのだろうか。
この時の彼鉈は、そう考えるしかなかった。
さらに奥へ進むと、古い映像が流れていた。
インタビュー映像には、若い頃の青凪海都。
『幸福というものは、人に与えるものではありません』
『人が、自分で見つけるものです』
足が止まる。
「……幸福」
その言葉だけが妙に耳へ残った。
青凪さんも同じ映像を見つめていた。
「……」
「……」
"幸福"
その言葉だけが、僕と青凪さんの間に残った気がした。
その後、児童施設で子どもと遊んでいる映像が流れる。
『子どもの笑顔を見ることが、私の幸福です』
『ぶっちゃけ利益はそのあとでいい』
映像のなかの観衆が拍手を繰り返している。
『────』
インタビュー映像が静かに終わる。
スクリーンが暗転し、照明だけが展示室を照らしていた。
僕はパンフレットを閉じ、バッグへしまう。
しばらく、お互い何も話さなかった。
さっきまで流れていた『幸福』という言葉だけが、妙に耳の奥へ残っている。
展示室を出ると、館内の静けさが少しだけ現実に戻してくれた。
「なんか」
思わず口を開く。
「いい人そうだったね」
「……うん」
看空は頷いた。その横顔はどこか遠くを見ているようだった。
少し間を置いて、小さく笑う。
「ごめんね」
「私から気分転換しようって言ったのに」
「おじいちゃんの展示をやってるなんて知らなかった」
「いや、いいよ」
彼鉈は首を横に振った。
そのまま出口に向かい、自動ドアが開く。
夏の熱気が、一気に流れ込んでくる。
「暑っ」
「東京ってほんと蒸すね」
「ね」
「...次、どうする?」
青凪さんがスマホで地図を開く。
「せっかくだし」
「神社でも寄っていこっか」
「神社?」
「うん」
「渋谷から近いよ」
「東京って都会なのに神社近いんだ」
「そこが面白いところ」
そう言うと看空は歩き出した。
彼鉈も、その後ろを追いかける。
◇
再び地下鉄に乗り、明治神宮前で降りる。
鳥居をくぐった瞬間だった。
渋谷駅前で耳にしていた喧騒が、まるで誰かに音量を下げられたみたいに遠ざかっていく。
蝉の声や風に揺れる木々。
砂利を踏みしめる音だけが、一定のリズムを刻んでいた。
「……わー」
思わず声が漏れる。
「ここだけ時間の流れが違うみたい」
見上げると、木漏れ日が看空の長い水色の髪に降り注いでいた。
ライブハウスで初めて見かけた時とも、渋谷で待ち合わせた時とも違う。
自然の中にいる看空は、どこか現実離れしているように見えた。
「東京って不思議だね」
「都会ばっかりだと思ってた」
「私も昔はそう思ってた」
「東京の人なのに?」
「あはは...」
肩をすくめる。
「意外と知らない場所、多いよ」
二人で参道を歩く。
汗ばむほど暑いのに、木陰へ入るだけで少しだけ空気が柔らかくなった。
途中、前から若い夫婦が歩いてくる。
お父さんはベビーカーを押し、お母さんはその横を歩いていた。
ベビーカーの中で揺られていた3歳くらいの女の子が、ふと看空を見る。
「あっ!」
女の子の小さな指が、まっすぐ看空を指した。
「ママ!」
「おねえちゃん、かわいい!」
その声に、お母さんが少し慌てる。
「こらこら、大きな声で言わないの」
「すみませんね」
「いえいえ」
青凪さんは笑って手を振った。
「ありがとうございます」
親子は軽く会釈をして、そのまま参道の奥へ歩いていく。
少しの間だけ沈黙が流れた。
「……」
歩く速度が少しだけ遅くなる。
「青凪さん?」
「……やっぱり」
ぽつりと呟く。
「嫌だった?」
「......んー、ちょっとね」
「昔、おじいちゃんだけは、好きな格好していいって言ってくれたんだけど」
その笑顔はどこかぎこちなかった。
なぜかわからないけど、理由は聞いちゃいけない気がした。
「せっかくだからさ、写真撮ってよ」
「え?いいけど」
急にスマホを渡してきた。
鳥居の前で思いっきりピースをする看空。
「大抵の女子はこうやって承認欲求を満たすらしいよ」
「......」
皮肉とも取れる言葉を受け取った彼鉈はどう返答しようかと考え、結局黙ってしまった。
そのまま境内へ向かい、手水舎で手を清め、静かに参拝を済ませる。
「お願い事した?」
歩きながら聞く。
「してない」
即答だった。
「え?」
「何かにお願いするより、自分で何とかしたいから」
「……そっか」
参拝が目的じゃないんかいとツッコミつつ、心の中で笑う。
「なんか青凪さんらしいかも」
「そうかな」
「うん」
「でも、お願いしたいこともあるにはあるよ」
「例えば?」
「秘密」
「えぇ...」
いたずらっぽく笑うが、さっきまでの表情とは違っていた。
その笑顔を見て、彼鉈もつられて笑ってしまった。
参道を出る頃には、時刻は15時を回っていた。
「ちょっと休憩しよっか」
「賛成」
暑さもあって、お互い少し疲れていた。
明治神宮を出て数分。
路地裏にある小さな喫茶店が目に入る。
チェーン店ではなく、昔ながらの木造の店。
入口には色あせた看板。窓際には観葉植物が置いてある。
「こういうお店、好きなんだ」
看空が観葉植物を見て呟く。
「...入ってみる?」
「うん」
カランカラン、とドアベルが小さく鳴った。
店内にはレコードから流れる穏やかなピアノ曲。
壁一面には古い本が並び、木製の棚には年月を感じる擦り傷が残っている。
「ご自由に読んどくれ〜」
カウンターの奥から、穏やかな声が聞こえた。
年配の女性店長が、本棚の方を指差して微笑んでいる。
そう言われ、何気なく棚へ近づく。
一冊の古びた本が、少しだけ斜めに差し込まれていた。
背表紙には、かすれた文字。
『境界を歩いた自分』
「……え」
思わず手が止まる。
青凪さんも隣へ来て、本のタイトルを見つめた。
無言で顔を見合わせる。
店内には、静かなピアノだけが流れていた。
お読みいただきありがとうございます!今回はデート回…ではなく調査回です。たぶん。
最後の本、なんか怪しいですね。次回もよろしくお願いします!感想や誤字脱字もお願いします。




