25話 危機感と焦燥
同じ頃、生死の境界。
人間界とはかけ離れた、絵に描いたような場所。
果てしなく宇宙に近い場所、とでも言えばいいのだろうか。
足元には、どこまでも続く水面が広がっている。
遥か彼方には、青い地球が浮かんでいた。
けれど、水ではない。触れても濡れない。
波紋だけが静かに広がり、その向こう側には無数の光が浮かんでいる。
地球から溢れ出した、様々な光。
それらの光は生死の境界を通り、夜空の星のように散っていく。
人間、動物、植物。
あらゆる生命は必ず死を迎え、その先へ進んでいく。
管理人を務めるトレヴォの仕事は、その光が正しい場所へ向かっているかを確認すること。
今日も、いつもと変わらない。
光が生まれ、境界を抜け、そして散っていく。
──それが、当たり前だった。
今日も。明日も。その先も。
変わることのない仕事──の、はずだった。
「……」
トレヴォは、ふと顔を上げた。
何かがおかしい。
生死の境界の中心。
そこにあるはずのない歪みが生じている。
左右で色の異なる長い髪が、水面を渡る風に揺れた。
「……ん?」
トレヴォは足元へ視線を落とした。
水面に手をつく。
変わりない──はずだった。
微かに、水面が揺れていることに気づく。
「……今のは」
もう一度、周囲を見渡すが何もない。
風なんか吹いていないし、波を起こすものなどここには存在しない。
「……地震?」
自分で言って、すぐに首を横に振った。
「いや……ここで地震など、一度も起きたことはない」
「自然災害なんて、私が生きていた頃の話だ」
生死の境界に存在するのは基本的に自分だけ。
他の生命が暮らす場所ではない。
ならば。
「これは……」
トレヴォは遠くへ目を向けた。
そこには、青い地球が浮かんでいる。
その周囲を覆うように、無数の光が漂っていた。
──だが、その一部がほんの僅かに乱れている。
「……?」
トレヴォは目を細める。
光の数が、合わない。
ひとつ、ふたつ。スーパーコンピュータ並みの速さで計算する。
結果、昨日まで存在していたはずの光が消えていた。
その一方で新たに生まれている光もあった。
「……まさか」
トレヴォは懐から古びた懐中時計を取り出した。
針は正常に動いている。
秒針も。長針も。短針も。
時計そのものに異常はない。
──ただ。秒針が一周するたび、ほんの一瞬、針が逆方向へ揺れた。
「……」
トレヴォの表情が変わる。
「時間が……戻っている?」
時計を閉じる。
「まさか……」
しばらく考える。
そして、ひとつの可能性に辿り着いた。
「……そういうことか」
トレヴォは地球を見つめる。
「空賀彼鉈と青凪看空……」
「あの二人が、7月19日を何度も繰り返している」
7月19日を少年と少女が繰り返すたび、その日の事象は変化している。
死ぬはずだった者が生き残ることもあれば、逆に、生きていた者が死を迎えることもある。
そのたびに、この場所へやって来る光も変わる。
「だから……」
トレヴォは、周囲を見渡した。
「ここに来る光の数が、毎回違っているのか……」
だが、それだけではなかった。
トレヴォは、足元の水面へ目を向ける。
先ほどよりも、波紋が大きくなっている。
「生死の境界と……現実世界の距離が、近づいている?」
懐中時計を握る手に、僅かに力が入る。
「……何が起きている?」
答えは出なかった。
ただ一つだけ。
この異常が、決して偶然ではないことだけは分かる。
トレヴォは再び地球を見下ろした。
その瞬間、遠くで一つの光が消えた。
「……違う」
トレヴォの声が震える。
光が消えたのではない。
世界の側が、変化している。
「世界の方が……あの二人に干渉し始めているのか……」
「このまま近づけば……」
言葉が続かない。
トレヴォの脳裏に、ひとつの現象が浮かぶ。
「……まずいな」
その声だけが、静かな生死の境界に響いた。
いずれ起きるかもしれない、それをトレヴォは認めたくなかった。
◇
4時09分。
彼鉈の部屋の壁時計の針は、未だにおかしな動きを続けていた。
12を指したと思えば、13。
13になったと思えば、11。
それから突然、長針だけが逆方向へ回り始める。
「……なんだ、これ」
彼鉈は椅子から立ち上がった。
スマートフォンを手に取る。
──7月20日、4時10分。
日付は変わっていない。
「……20日」
何度も確認する。
20日。20日だ。
なら、終わったはず。
7月19日という一日から、ようやく抜け出せたはず。
「……なのに」
その言葉を口にした瞬間。
部屋の中が、妙に静かなことに気づいた。
「……?」
パソコンの画面は点いている。部屋のエアコンも動いている。
リビングの冷蔵庫の音も微かに聞こえる。
なのに、人の気配がなくなった気がした。
「……母さん?」
部屋の前で声をかけるが、返事はなかった。
「……寝てる?」
思いっきり扉を開ける。
誰もいなかった。
布団は整えられたまま。
まるで、最初から誰も使っていなかったみたいに。
「......は?消えた?」
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