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21話 メランポジウム

自宅に戻り、玄関を開けると見知らぬオレンジの靴が置いてあった。

「...ん?」


「彼鉈ただいまー!!!」


「いや、ただいまはこっちのセリフ」


「お姉ちゃん戻ってきてたの」


空賀真夏(くが まなつ)。大学2年生で彼鉈の実姉。


オレンジ髪が特徴で、名前の通り眠い時を除いてテンションが高い。

去年から東京で一人暮らしをしている。


「そうなのだー」


今までのループではない展開。

それは当然であり、彼鉈は看空としか会っていないから。


普段の静かな家に、姉の覇気が入っている。


「……」


冷蔵庫から適当にオレンジジュースを取り出し、リビングのソファに座る。


「はい。オレンジジュース」


「よきよきー」


姉は昔から家では気怠け、人と関わるとテンションが急上昇する。

彼鉈とのテンションの落差で風邪ひきそうとまで言われたことがある。


テレビをつけるが、目ぼしい番組もなくすぐ消し、スマートフォンを見る。


SNSを開く。

昨日までなら、看空と一緒に撮った写真を見ていた。


水族館、映画、夏祭り。

海、ライブ、カフェ。

そして、夜の渋谷。


画面をスクロールして、止める。


「……」


楽しかった。

本当に、楽しかった。


でも、今その写真を一人で見ても、昨日ほど心が動かなかった。


「……なんでだろ」


一人でいれば、自由なはずなのに。

誰にも気を遣わなくていい。


好きなところへ行ける。好きなものを食べられる。

何も決めなくていい。


それなのに。


「……つまんないな」


初めて、そんなことを思った。


「彼鉈、あんたなんかあった?」


「お姉ちゃんが最近あったおもろい話してあげよっかー?」


「いやいいよ。絶対家で蜘蛛死んでたとかでしょ」


「そんなんじゃねぇし〜」


なんだかおかしくて、笑い合ってしまった。


「なんかね、大学の友達がタイムマシン開発したんだって」


「……あっそ」


「つめたー」


「いや、どうせまた変な話でしょ」


「変じゃないって!昨日なんかさ、地下研究室のパソコンに意味わかんない数式が表示されてて──」


「それ、ただのエラーじゃない?」


「夢がないなぁ、彼鉈は」


真夏は頬を膨らませた。その顔があまりにも昔と変わらなくて思わず笑ってしまった。


「……何笑ってんの」


「いや、なんでもない」


「絶対なんか思ってるでしょ」


「別に」


「ふーん」


真夏はオレンジジュースを飲みながら、スマホを弄っている。

しばらくして、ふと思い出したように口を開いた。


「そういえばさ」


「ん?」


「最近、大学で友達といる時間が一番楽しいんだよね」


「……友達?」


「うん」


「そんなに?」


「そんなにっていうか……」


少し考えると。


「講義終わったあとにさ、誰かの家行ってゲームしたり、コンビニでアイス買ったり、別に大したことはしてないんだけど」


「うん」


「気づいたら夜になってて、じゃあまた明日ねって帰るの」


「たまにドライブ連れてってくれるし」

真夏は微笑んだ。


「そういうの、結構好き」


「……へえ」


「なんかさ」

オレンジジュースの入ったコップをテーブルに置く。


「一人暮らし始めてから分かったんだけど、家って静かすぎるんだよね」


「静か?」


「うん。誰もいないから」


「彼鉈が思ってるより、寂しいもんだよ」

その言葉だけは、妙に真っ直ぐだった。


「大学ではうるさいくらいなのに、友達がくだらないこと言って、笑って、帰り道にまたくだらない話して」


「……」


「一人になると、急に静かになるんだよ」

窓の外を見る。


「だから、たまにこうやって実家帰ってくる」


「……それ、僕に会いに来てるってこと?」


「それもある」


「それも?」


「お母さんのご飯食べたいし」


「そっちかよ」


「あとお父さんのお説教も聞きたい」


「それは嘘だろ」


二人で笑う。

さっきまで胸の奥にあった重さが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。


「……でも」

真夏が言った。


「結局、誰かがいるっていいよね」


「……うん」


「一人の時間も好きだけどさ」


「うん」


「帰ってきたときに『おかえり』って言ってくれる人がいるの、結構幸せなことだと思うよ」


「……」


その言葉が、頭の中に残った。


先生もそうだった。生徒が元気に生きていること。

店長もそうだった。家族とくだらない話をすること。

姉貴もそうだった。帰ってきたときに、誰かがいること。


どれも特別なことじゃないかもしれない。


高い料理でもない。大きな家でもない。有名になることでもない。


ただ、誰かと一緒にいること。

それだけだった。


「……じゃあさ」


「ん?」


「一人でいるより、誰かといる方が幸せなのかな」

真夏は少しだけ考えた。


「それは人によるんじゃない?」


「え?」


「一人でいる方が楽な人もいるし、一人の時間がないと疲れる人もいるでしょ」


「……」


「でも、私は誰かといる方が好きかな」

真夏はそう言って、またオレンジジュースを飲んだ。


「だから帰ってきた」


「……そっか」


その言葉を聞いて、彼鉈は少しだけ俯いた。

看空はどうなんだろう。一人でいる方が好きなのだろうか。


それとも、誰かと一緒にいたいのか。

昨日までなら、きっと答えを知りたかった。


今は──。


「……聞いてみればいいのか」


「何が?」


「いや、なんでもない」


「また一人で変なこと考えてる?」


「うるさいな」


「彼鉈も大学行ったら友達作りなよー」


「僕、まだ高2なんだけど」


「あれ?」


「2年目だよ」


「じゃあ再来年ね!」


また笑った。

その笑い声を聞きながら、彼鉈は思った。


──これも幸福なのかもしれない。

ただ、家族とくだらない話をしている。

それだけ、なのに。


今の自分には、それが少しだけ大切なものに思えた。

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