13話 夢幻
10時の渋谷駅は、昼前だというのに大量の人で溢れている。
早足でスクランブル交差点へ向かう。
途中で信号が赤になり、人々が一斉に立ち止まる。
正面には、巨大な街頭ビジョン。
誰かが笑っている。
その横を、観光客が歩いている。
何も知らない人たち。
彼鉈は昨日と同じ世界で、昨日とは違う時間を生きている。
「……」
信号が青になり、人の波が動き出す。
その中へ、彼鉈も足を踏み入れた。
中央付近まで進む。
昨日、浮いた場所は確かここだった。
「……来るか?」
立ち止まる。
何も起こらない。
人々は彼鉈の横を通り過ぎていき、誰も彼鉈を見ない。
当たり前だ。
「……やっぱり」
何も起こらなくて、少しだけ安心した。
そして同時に、妙な失望もあった。
何を期待していたんだ。
そう思った瞬間だった。
「……いや」
違う。
昨日、何かが起きた。
そして今日、世界がおかしくなった。
だったら、もう一度。
「試すしかないだろ」
交差点の中央に戻る。
信号が変わり、もう一度渡る。
......何も起こらない。
三度目、渡っても何も起こらない。
「……はぁ」
空を見上げる。
青い。
14日に見た星空とは正反対だ。
こんなところで立ち尽くしていても仕方がない。
帰ろう。
そう思って、踵を返した。
その瞬間。
──ピシッ。
「……?」
空気が鳴った。
何かが割れるような音。
けれど、周囲の人間は誰一人として反応しない。
「今……」
音のした方向を見る。
人の流れ。
ビル。広告。その上に広がる青空。
特に何もない。
気のせいだったのか。
そう思った瞬間。
今度は。
──ピシッ。
明確に聞こえた。
「……っ」
胸が締め付けられる。
息が苦しい。視界が歪む。
世界が、左右に引き伸ばされる。
「な、んだ……これ」
「おい!なんだあれ!」
「CG!?」
「配信、配信! あの光が──」
人の姿が遠ざかる。
音がだんだん消えていく。
車のクラクションも。周りの話し声も。足音も。
全部、まるで水の中に沈んでいくように消えていく。
そして彼鉈が見ていた世界に、一本の亀裂が走った。
◇
目を開ける。
「……」
夜空だった。
無数の星が輝いている。
果てのない水平線。
その上に広がる、濡れていない水面。
「……また、ここ」
足元を見る。
自分の靴は全く濡れていない。
ちゃんと立っている。
夢じゃなかった。
「……嘘だろ」
14日に見た景色と同じだ。
けれど、一つだけ違う。
遠くに誰かが立っていた。
「……あれは」
金色と銀色、左右で色の違う長い髪。
縞模様のネクタイ。片目に透明なレンズ。
「お前か」
聞き覚えのある声。
女性がこちらへ歩いてくる。
「……管理人、さん」
「トレヴォだ」
「……名前、あったんですね」
「あるに決まっているだろう」
少しだけ眉をひそめる。
「前に名乗ったか?」
「いや」
「そうか」
トレヴォと名乗る管理人は、それ以上気にしなかった。
「お前、また来たのか」
「僕も来たくて来たわけじゃないですよ」
「だろうな」
トレヴォは彼鉈の横を通り過ぎ、星空を眺める。
「……ところで」
「何ですか」
「次、ここに来れたら話してやると言ったな」
「え?」
「ここと、私についてだ」
トレヴォは彼鉈を見る。とても真剣な目をしていた。
「ここは宇宙に似ているが、宇宙ではない」
「現世から切り離された、生と死の境界だ」
「……」
「死んだ人間は、あの星になる」
トレヴォが空を指差す。
無数の光が、静かに瞬いていた。
「……星?」
「そうだ」
「昔から、死んだ人は星になると言うだろう」
「ここでは、それが文字通りの意味になる」
彼鉈は空を見上げる。
一つ一つの光が誰かの死なのだと思うと、今までとは全く違う景色に見えた。
「じゃあ、トレヴォさんは……」
「あれを管理している」
「一人で?」
「そうだ」
「……大変じゃないですか?」
「大変だ」
即答だった。
「だから仕事中に話しかけるな」
「いや、今そっちから話しかけたじゃないですか」
「細かいことを気にするな」
「……」
やっぱり、この人はよく分からない。
そんなことを考えていると、トレヴォは再び空を見上げた。
「ただし」
「全ての光が同じではない」
その言葉と同時に、トレヴォは左腕からマスケット銃を取り出した。
「……え?」
銃口が夜空へ向く。
遠くに浮かぶ、紫色の光。
他の星とは明らかに違う色をしていた。
──バァァン!
銃声が響く。弾丸が紫色の光を貫いた。
次の瞬間。
その光は、跡形もなく消えた。
「…………」
彼鉈は呆然と空を見上げる。
「……今、撃ちました?」
「ああ」
「何を?」
「罪人だ」
「……罪人?」
「生前に罪を犯した者は、死んでも罪を背負う」
トレヴォは銃をしまった。
「その者の光は紫になる」
「そして、紫の光になった者には──」
一拍置く。
「死後も、転生も与えられない」
「……」
「だから私が撃つ」
淡々とした声だった。
「それが、この場所の決まりだ」
彼鉈はもう一度、夜空を見る。
青い地球から溢れ出る、無数の星。
その中に、紫色の光はもうない。
「……」
何かを聞こうとしたが、うまく言葉が出てこなかった。
トレヴォはそんな彼鉈を見て、少しだけ目を細めた。
「まあ、今のお前には関係のない話だ」
「……そうですか」
「それより」
話題を変えるように、トレヴォは彼鉈の方を向いた。
「以前、お前のようにどこか空っぽで死にかけてるようなやつがここへ来る、と言ったな」
「……はい」
「正確には、生きるのに疲れた人間が私の元へ来る」
「……」
「仕事や人間関係が上手くいかず、生きることに意味を見失った者」
「家族との関係に苦しむ者」
「自分の居場所を失った者」
「理由はそれぞれだ」
トレヴォは目を閉じる。
「だが、共通していることが一つある」
「何ですか?」
「みんな、心のどこかが壊れかけている」
彼鉈は何も言えなかった。
「私は、そんな人間の話を聞く」
「それが私の役割だからな」
「……無償でメンタルケアみたいなことを?」
「あぁ」
「……」
(この人、何言ってるんだ……?)
「言っておくが、私には心の声が聞こえているからな」
「……それ先に言ってくださいよ」
「今言っただろう」
「そういう問題じゃないです」
トレヴォは気にした様子もなく続ける。
「そして、生死の境界に足を踏み入れた人間は──」
「こちら側に、時として影響を残す」
「……影響?」
「世界の事象に干渉する、と言えば分かりやすいか」
「……僕が?」
「いや」
即答だった。
「恐らく、お前ではない」
「じゃあ、誰が?」
トレヴォは、ただ星空を見つめていた。
一拍置き、ゆっくりと口を開く。
「……青凪看空だ」
その名前を口にした瞬間。
胸がざわついた。
「……青凪さん、が?」
「お前と一緒にいた娘だ」
「彼女が……?」
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