9話 青凪家
私、青凪看空は小さい頃、青凪家に引き取られたらしい。
「らしい」としか言えないのは、その頃の記憶がほとんど残っていないからだ。
気がつけば私は青凪家の娘だった。
『姿勢を正しなさい』
『言葉遣いに気を付けなさい』
『もっと女の子らしく』
その言葉だけは、何度聞いたかわからない。
でも、女の子らしくって、何だろう。
スカートを履くこと?長い髪?お化粧?
私には最後までわからなかった。
だから、自分が女性であることに違和感を覚えてきたのかもしれない。
小学生の頃は、水色の髪を珍しがられた。
名前も珍しかったらしい。
『看空っておもろい名前だね』
『男の子?女の子?』
笑いながら言われた言葉は、今でも夢に出てくる。
でも、幼い頃におじいちゃんが言ってくれた言葉。
『看空』
『将来何になってもいい』
『誰を好きになってもいい』
『自分で決めなさい』
『それがお前の人生だからな』
『うん!』
この言葉に何回元気付けられたかな。
中学生の時、吹部のコンクールでトラブルになったときも。
役員会議で失態を晒しても、この言葉が頭と心に染み付いている。
◇
黒いセダンが地下駐車場へ滑り込む。
エレベーターの扉が開く。
「お帰りなさいませ」
使用人である黒木ともう一人が頭を下げる。
(...ここ、家なんだけどな)
自宅の扉を開ける。
「ただいま」
自然に出た声だった。使用人がいる時を除いて声は帰ってこないが、今日は例外である。
リビングの扉を開ける。
「ただいま、お母さん」
少しだけ声が高くなる。
笑顔も作る。もう癖だった。
「おかえり、看空」
ソファに腰掛けていたのは、青凪花蓮。
サマーカルム・エンターテイメント役員会会長であり、看空の母親。
テーブルの上には、明日の役員会議の資料が何冊も積まれている。
「明日の役員会議には目を通した?」
「...ざっと」
「"ざっと"では困るわ」
花蓮は資料から目を離さない。
「あなたは、いずれ青凪家を背負う立場になるの」
「はい」
「夏休みだからといって、遊び呆けていては駄目よ」
「……はい」
「高校の文化部の企画もあるのでしょう?」
「はい」
返事だけは綺麗にできる。昔から何度も練習した。
笑顔の作り方と姿勢の作り方も。礼の作法もたくさん練習した。
「……最近寝不足?」
不意に花蓮からそんな言葉が飛んできた。
「え?」
「少し目にクマができているように見えたから」
「大丈夫」
そう答えると。
「そう」
花蓮はそれ以上聞かなかった。
資料へ視線を戻し、コーヒーを飲んでいる。
看空は少しだけ息を吐いた。
怒られているわけじゃないし、愛されていないわけでもない。
でもこの家では母親と娘ではなく、会長と次期社長候補という役職同士のやり取りと感じざるを得なかった。
おじいちゃんは優しく、本当の親のように接してくれたんだけどな。
そう思いながら、ベレー帽を外す。
私服から部屋着へ着替え、浴室へ向かった。
シャワーを浴びながら鏡を見る。
濡れた水色の長い髪。
肩まで伸びた髪を指で払う。
自分は、女なんだろうか。
わからない。わからないまま17年近く生きてきた。
タオルで髪を拭き、鏡から目を逸らす。
「……....」
何かを思って言葉にしても、胸の奥は少しも軽くならない。
自分の部屋へ戻る。
ベッドへ腰掛け、スマホを開く。
通知が一件きていた。
『今日はありがとう、また今度!』
空賀彼鉈。たった2回しか会っていない、同い年の男の子。
それなのに、前と今日で笑った回数はこの家で過ごした一年より多い気がした。
『こちらこそ、またね』
送信して、画面を閉じる。
……十秒。二十秒。
気付けば、また画面を開いていた。
今度はメッセージではなく、おすすめ欄。
『夏コーデ』
『女子高生メイク』
『可愛い髪型』
『彼女感』
画面いっぱいに、「女の子」が流れていく。
スクロールする。止まらないし、止められない。
「……病気だな」
自分でもそう思う。
スマホを伏せて、ベッドに仰向けで目を瞑る。
また手が伸びる。電源を消す。
そして30秒後。
また画面を点けていた。
ため息が漏れる。
「私は……何なんだろう」
窓の外の夜景。何百万という明かりが灯っていて、その光の元で一人一人が暮らしている。
そう考えると、なぜか不思議に感じる。
◇
2020年7月19日、午前7時。
豊洲のタワーマンション。
──ピピピッ。ピピピッ。
アラームが鳴る。
重たい体を起こし、カーテンを開ける。
高層ビルの隙間から、夏の光が差し込んだ。
今日は11時からサマーカルム・エンターテイメントの役員会議。
制服ではなく、淡いグレーのスーツへ着替える。
鏡を見る。ネクタイを整える。前髪を揃える。笑顔を作る。
どれもテンポ良く整える。
「……よし」
それも演技だった。
午前11時。サマーカルム・エンターテイメント本社。
ガラス張りの高層ビル。
冷房が効きすぎた会議室には、十数人の役員が円卓を囲んでいた。
看空の親族もいて、若干険しい顔をしている。看空は母親の隣に座った。
正直、高校二年生が座る席ではない。だが誰も疑問には思わない。
これが青凪家であり、大企業であるサマーカルム・エンターテイメントのやり方だから。
「看空お嬢様。おはようございます」
「おはようございます」
私の隣に座る役員の人が話しかけてきた。
「今日もお綺麗ですね」
「ありがとうございます」
自然に笑い、自然に頭を下げる。
自然に返事をする。
全部、昔に教えられた通り。
資料が配られる。俳優業やテーマパーク。
そして、祖父である青凪海都が設立時から力を入れている児童支援事業。
数字ばかりが並ぶ。
ふと窓の外を見ると、青い空が広がっていた。
(空賀さん、起きてるかな)
そんなことを考えている自分に、心の中で小さく笑う。
「では、会議を始めます」
現実へ引き戻される。私は配られた資料を開いた。
しばらくは俳優業の話を行い、次に。
「では次に、児童支援事業について」
大型モニターへ資料が映る。
そこには数字やら利益やらスポンサーやらが事細かく表示されている。
次のページには、来年度の予算や児童施設への寄付額などが映された。
テレビなら"素晴らしい企業"と紹介されるような内容だった。
「看空さん」
突然、名前を呼ばれる。
「はい」
「君ならどう考える?」
一瞬だけ思考が止まる。でも顔には出さない。
「SNSとの連携を強めるべきだと思います」
「若年層への認知度向上にも繋がりますし、寄付への心理的ハードルも下げられるかと」
静かに答える。数人の役員が頷いた。
「いいんじゃないかな」
「流石ですね」
「やはり青凪さんは違う」
「お綺麗なだけではなく聡明で良いですね」
反射的に笑顔を作る。
「ありがとうございます」
口はそう動くが、心は何も動かなかった。
それは明確に断言できる。
今日は普段より話し合う議題が多く、思いの外時間がかかった。
会議が終わり、椅子から立とうとした時だった。
──ピロンッ。
「看空」
母親である花蓮が看空を呼ぶのと同時に、スマホの通知が鳴る。
「はい」
「笑顔」
「……え?」
「さっき少し硬かった」
「人前ではもう少し柔らかく笑いなさい」
「あなたは会社の顔になるの」
「……はい」
「それに髪」
母は私の水色の髪へ目を向ける。
「今日は少し跳ねていたわ」
「もっと女の子らしく整えなさい」
「印象が変わる」
また、その言葉。
女の子らしく。女の子らしく。女の子らしく...ね。
「あと、今日はもう終わったからいいけれど通知はオフよ」
「ごめんなさいお母さん」
「ごめんなさいじゃなくてすみません」
「それと、ここでは会長、でしょ?」
「はい、会長...」
あくまで仕事の場という体で、看空は謝罪をした。
お読みいただきありがとうございます!感想や誤字脱字あればお願いします。
青凪家には大企業としてのやり方があるようで...?




