桜の候、アリアはひとり物思う
桜3月を過ぎて4月ともなれば、新入生の入学式も済み、今日は始業式。でもメイちゃんはいつも通り早朝から、修行と称する走り込みのためもう起きだしている。だから私も早起きして朝ご飯の用意。多分必要になるだろう装備も準備して、自転車でお出かけ。ちょっと神社の袴では乗りにくいのだけど、昨日のメイちゃんの話から考えると6時頃には出発だろうから。他人は世話焼き女房なんて思うかな。でもメイちゃんだからなぁ気にしないか、と思うとちょっと滑稽かなと思わないでもない。まずは学校そばの高速道路の入り口まで。今頃は準備運動中かな?律儀に。
4月ともなれば山形県もこの辺なら、あれだけあった雪もどこへやら、市内にももう痕跡ぐらいしかない。それでも、ぐらい、は在るのだからまあそこは雪国の面目躍如というところかもしれない。ソロソロ午前6時。さあ出かけようと思っていたところで、背後から「おはよう」と声がかかった。こんな早い内から起きていて、声を掛けてくるのはアリアだろう。だから俺も「おはよう」と返す。予想通り、小さなリュックを自転車の前籠に入れた彼女がいた。何か美味しそうな匂いがあたりに漂っている。
「今日はダムの方に行くのでしょう?だったら途中、万蔵稲荷に寄るんでしょ。なら霊ちゃんにこれ、届けてくれないかな、おいなりさん。メイちゃんの分もあるから一緒に食べてきて。朝ご飯の代わりに。」
そうか、この匂いはおいなりさんか。確かに霊ちゃんこれ好きだもんな。ずっと雪の中だったろうし、丁度良いのかもしれない。さすがアリアと言うべきなんだろうな。昨日それとなく話しただけなのに、用意が良いというか何というか。自転車の籠の中には、いつもの着替えが入ったリュックサックが入っている。小型で揺れに強い奴でいつもの訓練の必需品だ。そういえば家に忘れていた。
「ありがとう、アリア。もうちょいアップしたら出かけるよ。始業式前には戻るから。」
「という事は、2時間くらいね。車には気を付けてね。跳ね飛ばさない様に。って、言うまでもないか。」
「そりゃ勿論。足元の感触で解るし、100キロ以下で走るから。まあ、気を付けるよ。」
まずは物陰に移動して、気持ち肺とお腹に力を込めて、心の中では「へんしん」とか呟いて、自分が小さくなるのを感じる。父さんと同じ血が体中を巡るのが解る。着ていた服が下に落ち本来のオオカミの身体が露わになる。一度ブルっと身を震わせて毛並みの整った柴犬・・・豆柴の身体を、アリアに晒す。背中にリュックサックを背負わせてくれながら、彼女がいつものように「いってらっしゃい」と言ってくれる。
「服は畳んで、いつもの用具室に置いておくから。遅れないようにね。」
その言葉を背中に聞いて、俺は走り出す。今日は高速から南陽に出て、113号線に降りて一路七ヶ宿ダムを目指す。早朝なら自動車は少ないし、跳ね飛ばす心配もまず無いから全速力で行く。とはいえ、スピードを上げ過ぎてせっかくの朝ご飯が寄らないように。
私はメイちゃんが出発するのを、いつものように見送った。メイちゃんは、と言うかメイちゃんたち父子は、オオカミ男だ。二十年ほど前に父である明さんが、この山形県舞沢市にやってきて、訳あってここに定住し、数年後に生まれたのがメイちゃんだ。お母さんは舞沢の地で古くから・・・400年以上信仰されている謙信神社の巫女である聖歌さんだ。明さんと、私の母である歌音は、流れついたこの地で聖歌さんたちと一悶着あって、結果この舞沢に定住することになったらしい。詳しい話は母も、父であり現謙信神社の権禰宜である規範も話してはくれない。ちなみに父は聖歌さんの弟であるので、私とメイちゃんはいとこということになる。昔の聖歌さんは鬼巫女と呼ばれるほど厳格な人で、とても怖かったのよ、とは母の言い分だ。父は温厚な人で、普段からとっても穏やか。今の謙信神社は権禰宜たる父の人柄で持っていると言っても過言ではないそうだ。聖歌さんが10年程前に明さんと共に北欧に旅立ってからは、母と父が謙信神社の正に顔として舞沢市の観光他に多大なる貢献をしている。現在は手前味噌ながら美人巫女たる私も観光協会のアイドルとして・・・・・・
急に辺りが静まり返り、ぼうっと白く光るもやが二つ、私の目の前にかしこまった。
「どうしたのですか、雷火、雹火。」
「おくつろぎの所申し訳ありません、主様。」
「主様、姫様がお探しです。」
私たち謙信神社の巫女たちが使役する犬神の若者ふたりが、どうやら母の命で、朝早くから出かけたままの私を呼びに来た様だ。そういえば、おいなりさんを作っていた時に、すぐに戻る、とか言ったっけ。それにしても、
「ふたりとも、何故私が主様で、母様が姫様なんですか?」
「と、言われましても、姫様は歌音様で、主様は今、あなた様でございますれば。」
「お慣れになってくださいませ。私どもにとりましては、それ以外に申し上げようがありません。」
犬神ふたりは、しれっとして返答した。まあ、そうよね。そうなんだけれど、何というか気になってしまう。ん~と。
黙り込んだ私の姿を何と思ったのか、雷火、雹火は矢継ぎ早に繰り返した。
「メイ殿はお出かけになりましたか。」
「察しますに、いつもの修行でしょうか。」
「あなたたちも行ってみますか?」
戯れに勧めてみたけれども、
「私どもでは、ついていくのも精一杯です。」
「少なくとも、メイ殿に気づかれずにいる事など不可能でございます。」
と真面目に返されてしまった。
「ふふふ、冗談ですよ。それに今朝は萬蔵稲荷に寄るそうですし、邪魔しない方がいいでしょうから。」
私がそう言うとふたりはほっとしたように、再び思い出したように用件を伝え始めた。
「そろそろ朝のお勤めの時刻にございます。」
「本日は学校の始業式でございますから、お急ぎください、との事でございます。」
そうね、そろそろそんな時間か。高校生も楽じゃないわね。つい忘れそうになるし。自転車も返さないと、母さんが社務所にも行けなくなりそう。
「ではそろそろ、神社に帰りましょうか。ふたりとも、私に憑いてね。」
「では、お供いたします。」
「そろそろ車にはお気を付けください。」
余計な気を回すのが雹火の悪い所ね。まあでも、歌音さんの思惑も判らないではない。確かに何か不穏な空気を感じる。これは玉藻様の意見も聞いておくべきかしら。なにせ、犬神も恐れる大妖怪ですものね。元、だけど。現役を退いているとはいえ、彼女の知見は是非伺っておきたいところね。それはさておき、帰りましょうか。遅刻も出来ないし、ね。




