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深淵に住む魔女 ―アノンノア天則―  作者: 久和調


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第3話「空を繋ぐ回路と、深淵の光る里」

 深淵での生活も一週間が経った。


 毎朝の歩行訓練と、光る茸のスープ。最初は腹を壊していたが、三日目くらいから体が慣れてきた。出したものも光らなくなった。蛍卒業である。


 そして今朝。俺は異変に気づいた。


 肩が、重い。


「……お前、いつからそこにいた?」


 振り向くと、見覚えのある二頭身がいた。あの夜、俺を殴りまくった革と布の顕霊小人(けんれいこびと)だ。張り付いた笑みの刺繍のまま、俺の肩に座り、足をぶらぶらさせている。


「クー」


 何か言った。たぶん返事だと思う。


「降りろ」


「クー」


 降りない。むしろ、ぎゅっと俺の首にしがみついた。


 部屋の扉が開き、オリーゼが顔を出した。


「あら、ノクタに気に入られたのね」


「ノクタ?」


「その子の名前。あなたの治療係として割り当てたの」


「治療係……? こいつ、俺を殴りまくってましたけど」


「コビトのマッサージは効くでしょう? ツボを的確に刺激するのよ」


 確かに、殴られた翌日は妙に体が軽かった。あれ、やっぱり治療だったのか。


「というわけで、今日から本格的な訓練を始めるわ。ついてきなさい」


 オリーゼはそう言って歩き出した。ノクタは俺の肩から降りる気配がない。


 ……まあ、いいか。



 ◇



 訓練場は、屋敷の中庭だった。


 石畳の広場。周囲には手入れされた花壇と、何かの果樹。そして中央には――


「リュート」


 俺を真っ二つにした飼い竜が、広場の真ん中で丸くなっていた。


 俺の姿を見ると、「クルル」と喉を鳴らして近づいてきた。


「ちょ、やめ……うわ、くすぐったいって」


 また頬を舐められた。ザラザラした舌の感触にも、一週間で慣れてきた自分が少し悔しい。


「さ、訓練を始めるわよ」


 オリーゼが手を叩いた。


「今日は空属性の使い方を教えるわ」


「空属性……」


 手術の時に言われた。俺の根っこの属性は空らしい。


「まず、今履いているデンドロイドを動かしてみなさい」


 俺は足元を見た。樹皮に覆われた丸太のような義足。一週間で、歩くくらいはできるようになった。だが。


「……正直、どうやって動かしてるか分かってないんですよね」


「そうでしょうね。無意識にやっているはず」


 オリーゼは頷いた。


「意識して動かしてみて。『足よ、動け』と念じるように」


 言われた通りにやってみる。


 右足を前に出せ。動け。前に行け。


 ……動かない。


「ダメです」


「当然ね」


 オリーゼはあっさりと言った。


「その義足には(じゅ)属性の回路が入っているの。あなたの空属性で『動け』と命じても、樹は動かない」


「じゃあ、どうすれば……」


「考えなさい。あなたは一週間、どうやってその足を動かしていた?」


 俺は首を傾げた。


 確かに、歩けている。走れはしないが、転ばずに移動できる。でも、「動け」と命じた覚えはない。


 あの時――最初にトイレまで走った時、俺は何を考えていた?


「……腹が痛くて、それどころじゃなかったです」


「そう。つまり、足のことを考えていなかった」


 オリーゼは人差し指を立てた。


「空属性は『干渉』の属性よ。対象を変えるんじゃなくて、対象に『繋がる』の。意識しすぎると、繋がりが切れる」


「繋がる……」


「義足の中に回路があるわ。見えなくていい、感じなさい。霧のように薄く広げて、染み込ませるイメージ」


 俺は目を閉じた。


 見るんじゃない。感じる。


 自分の中にある何かを、水蒸気のように薄く広げていく。義足に向かって、染み込ませるように。


 すると――感じた。


 丸太の中に、血管のように細い道がある。そこには何も流れていない。空っぽの管だ。


「見つけた……?」


「そこへ、あなたの意志を流し込むの。無理やりじゃなく、最初からそこにあったみたいに」


 俺の意志が、樹の回路に流れ込む。異物としてではなく、最初からそこにあったかのように。


 ――カチリ、と何かが嵌まった感覚があった。


「おっ」


 右足が動いた。今までより滑らかに、まるで自分の足のように。


「成功ね」


 オリーゼが微笑んだ。


「空属性は希少よ。他の属性は対象を変えるけど、空は法則そのものに干渉する。だから他属性の回路も外から操作できるの」


「へえ……」


 俺は感心しながら、もう一度足を動かしてみた。右、左、右、左。歩くのがずっと楽になった。


 調子に乗って、少し走ってみる。


「おお、走れ――」


 視界がぐらりと傾いた。


「え?」


 手足が冷たい。頭がぼんやりする。膝から力が抜けて、俺は石畳に崩れ落ちた。


「……あ、れ?」


魔素(まそ)切れね」


 オリーゼの声が遠くに聞こえる。


「空属性は燃費が悪いのよ。最初のうちは特にね」


 そういうことは先に言ってほしかった。


 視界の端で、ノクタが俺の顔を覗き込んでいる。そして、容赦なく頬を叩いた。


 痛い。けど、少しだけ意識がはっきりした。


「これを飲みなさい」


 オリーゼが小瓶を差し出した。薄緑色の液体。


「なんですか、これ」


「魔素の回復ドリンク。養魔酒ほどキツくないから、今のあなたでも飲めるわ」


 俺は言われるままに口をつけた。


 ……酸っぱい。そしてほのかに甘い。飲み込むと、体の芯がじわりと温かくなった。


「おお……」


 手足の冷たさが消えていく。頭のぼんやりも晴れた。


「魔素は有限よ。使いすぎると気絶する。最悪、死ぬ。でも使わないと回路が育たない」


「はい……」


「今日はもう訓練終わり。午後は里に買い出しに行くわ。歩行訓練も兼ねて」


 里。


 そういえば、この一週間はずっと屋敷の中にいた。外の世界をまだ見ていない。


「行きます」


 俺は立ち上がった。足元はまだ少しふらつくが、歩けないほどじゃない。


 ノクタが俺の肩によじ登り、定位置に収まった。


「あら、リュートも行く気ね」


 見ると、リュートが俺の後ろにぴったりついていた。


「護衛のつもりかしら。まあ、いいわ」


 オリーゼはそう言って歩き出した。俺は竜と小人を引き連れて、その後に続いた。



 ◇



 屋敷を出ると、そこは森だった。


 だが、俺が知っている森とは違う。


 木々が光っている。幹に張り付いた苔のようなものが、淡い青白い光を放っている。地面には見たことのない草が生え、小さな光の粒が宙を舞っている。


「綺麗だ……」


 思わず呟いた。


「深淵の植生よ。表層とは全然違うでしょう」


 道の脇に、大きな蜘蛛の巣が張られていた。糸がゆらゆらと色を変えながら光っている。見ていると吸い込まれそうになる。


「あの巣、光ってますね」


魔紡績蜘蛛(まぼうせきぐも)ね。触らないように。何が起きるか分からないから」


 俺は慌てて距離を取った。綺麗なものには毒がある。深淵の基本ルールかもしれない。


 しばらく歩くと、前方に大きな影が見えた。


 木だ。いや、木の形をした何かだ。根のような足で、のそのそと歩いている。


「あれ……動いてる」


木人(トレント)よ。そこら辺にいるの」


 トレントはこちらを一瞥したが、興味なさそうに別の方向へ去っていった。


「あなたの義足の素材も、あれから採ったのよ」


「……あんなのが素材」


 俺は自分の足元を見た。この丸太が、あんな風に歩いていたのか。


 道が開けて、視界が広がった。


 目の前に、池があった。ただし、水面が泡立っている。鼻を突く刺激臭。


「うっ……」


酸ノ池(さんのいけ)。落ちたら溶けるわよ」


 オリーゼはさらりと言った。


「迂回路があるから普段は問題ないけど……向こう岸、ちょっと気になるのよね」


「気になる?」


「何かあるような気がするの。でも、渡る手段がなくて」


 池の向こう側は霧に覆われていて、よく見えない。オリーゼの口調は軽いが、どこか心残りがあるようにも聞こえた。


 リュートが俺の腰に頭を擦り付けてきた。酸の匂いが嫌なのかもしれない。


「さ、行くわよ」


 迂回路を通り、さらに進む。


 途中、オリーゼが足を止めた。視線の先には、赤黒い実をつけた木がある。


「あの実、覚えておきなさい」


「……食べられるんですか?」


「落ちると爆発するわ」


「は?」


魔爆蓄胡桃(まばくちくくるみ)。近づかないように」


 爆発。食べる以前の問題だった。


 俺は大きく距離を取った。深淵、本当に怖すぎないか。



 ◇



 森を抜けると、風景が一変した。


 広大な農地が広がっている。そして、その上空に――


「なんですか、あれ」


 半透明の板が、農地の上に浮かんでいた。無数の板が規則正しく並び、太陽の光を受けて淡く輝いている。


霊光板(れいこうばん)。光から電気を取り出すの」


「月の光でも動くのよ。便利でしょう」


 霊光板の下では、様々な作物が育っている。見たことのないものばかりだが、よく育っている。


「あれは?」


 畝の中で、何かが動いていた。牛のような体型だが、明らかに作り物だ。木の骨組みに革を張った、大きな人形のようなもの。関節の継ぎ目がうっすらと光っている。生きた牛ではない。コビトと同じ類のものだ、と直感した。


顕霊牛(けんれいぎゅう)。畑仕事の働き手よ」


 顕霊牛は黙々と畑を耕している。コビトと違って、サボっている様子はない。


「コビトはサボるのに、あいつらは真面目なんですね」


「コビトにも真面目な子はいたでしょ? それぞれ性質が違うのよ」


 農地の脇を通り、さらに進む。


 やがて、建物が見えてきた。


 石造りの建物がいくつか並んでいる。人の姿も見える。


「里よ。この辺りの集落」


 人がいる。俺とオリーゼ以外の人間が。


「人、いたんですね……」


「当たり前でしょう。私一人で農業も製造もできないわ」


 里に入ると、住民たちがこちらを見た。オリーゼには慣れているのか、軽く会釈する程度だ。だが、俺を見る目は珍しそうだった。


 道端では、老人が小さな光の球に糸を持たせて、編み物をさせていた。別の家の前では、子供がコビトと追いかけっこをしている。


 顕霊と人間が、当たり前のように暮らしている。


「オリーゼ様、その方は?」


 年配の女性が声をかけてきた。傍らにはコビトが控えていて、買い物袋を持っている。


「様はいらないって言ってるでしょう」


「ですが……」


「まあいいわ。新しい住人よ。一週間前に転がり込んできたの」


 真っ二つになって、だが。それは言わないでおく。


「まあ、表層から? 生きているうちにオリーゼ様に見つけてもらえるなんて、運がよかったですね」


 女性はそう言いながら、俺の足元をじろじろと見た。


「随分と……個性的な義足ですね」


 言われて気づいた。里の住民にも義手や義足の人がいるが、みんな滑らかで、人間の肌に近い。関節も自然に動いている。


 対して俺の足は、文字通りの丸太だ。


「訓練用なの。回路の使い方を体で覚えさせるために、わざと原始的にしてあるのよ」


 オリーゼが説明した。女性は納得したように頷いた。


 ……俺だけ原始人みたいだな。まあ、仕方ないか。


「今日は物資を取りに来たの。用意できてる?」


「はい、いつもの場所に」


 オリーゼは俺を連れて、里の奥へと進んだ。



 ◇



 物資の集積所は、大きな倉庫のような建物だった。


 中には木箱が積まれている。オリーゼは手際よく確認していく。


「肉、魚、野菜……うん、揃ってるわね」


 生鮮品とは別に、奇妙なものが山積みになっている場所があった。


 錆びた金属片。変色した布切れ。欠けた陶器。古びた歯車。一見すると、ゴミだ。


「あれは?」


「廃棄物。魔素や霊素が染みついてるから普通には使えないけど、精製すれば素材になるの」


 オリーゼは山を眺めながら言った。


「あなたの分の養魔酒も仕込んでおくから」


「……いつか飲めるようになるんですか」


「ここで暮らすなら、飲めないと不便よ」


 確かに。さっきの訓練だけで魔素切れを起こした俺には、まだ遠い話だが。


「さ、運ぶわよ。手伝って」


 オリーゼが指を鳴らすと、どこからともなくコビトたちが現れた。彼らは木箱を担ぎ上げ、てくてくと歩き始める。


 俺も何か運ぼうと、廃棄物の方へ近づこうとした。


 ――足が止まった。


 頭がズキンと痛む。なんだ、これ。


「ヴァン。そっちは触らないで」


 オリーゼの声で我に返った。


「今のあなたには刺激が強すぎるわ。運ぶのはこっち」


 指差された食料の袋を担ぐ。さっきの感覚が気になったが、今は聞かない方がいい気がした。


 ノクタは邪魔にならないよう、俺の頭の上に移動した。


 リュートが袋の匂いを嗅いで、不満そうに鼻を鳴らした。


「お前も手伝え」


「クルル」


 無理だった。掴める手がない。


 ……と思ったら、口で器用に袋を咥えて持ち上げた。


 意外とやる気あるじゃないか、こいつ。



 ◇



 帰り道。


 俺は荷物を担ぎながら、来た道を戻っていた。


 霊光板の下を通り、森に入る。木人が遠くを歩いているのが見えた。蜘蛛の巣には近づかないように迂回する。


 酸ノ池の横を通りかかった時、オリーゼが足を止めた。


「見て。あそこ」


 指差された先――池の岸辺に、何かが打ち上げられていた。


 青白い、半透明のゼリー状の塊。ゆっくりと蠢いている。


「……生きてる?」


酸泥(さんでい)よ。この池に棲んでるスライムの一種」


 オリーゼは興味深そうに眺めている。


「あれを使えば、池を渡れるかもしれないんだけど……捕まえても、すぐ溶けて逃げるのよ」


 オリーゼは肩をすくめた。


 酸泥は、俺たちの視線に気づいたのか、ずるりと池の中へ戻っていった。


 俺はその姿を目で追った。


 酸に耐える体。それを使えば、池の向こうに行ける。


 ……まだ早い。今の俺には無理だ。


 でも、いつか。


 俺はもう一度だけ池を見て、それから歩き出した。



 ◇



 屋敷に戻る頃には、日が傾いていた。


 足は疲れたが、朝よりずっと楽に歩けている。義足との『繋がり』が、さっきより安定してきた気がする。


 荷物を倉庫に運び入れ、俺は大きく息を吐いた。


「お疲れ様。今日はよく頑張ったわね」


 オリーゼが言った。


「明日からは、もう少し本格的な訓練をするわ。魔氣(まき)の調整も教えるから」


「はい」


「それと――」


 オリーゼは何か言いかけて、やめた。


「……いえ、なんでもないわ。ご飯にしましょう」


 俺は少し気になったが、追求はしなかった。


 空属性。繋がる力。


 まだよく分からない。でも、今日一日で、少しだけ掴めた気がする。


 肩の上で、ノクタが「クー」と鳴いた。


 たぶん、「早く飯にしろ」という意味だと思う。


 俺は笑って、屋敷の中へと足を踏み入れた。


 深淵での生活、八日目。


 まだまだ先は長そうだが、少しずつ、歩けるようになってきた。


---


第3話「空を繋ぐ回路と、深淵の光る里」 ―― 了 ――


【あとがき】

魔爆蓄胡桃(まばくちくくるみ)は、内部に魔素を極限まで濃縮して種子に溜め込む性質を持つ。

熟すと枝から落ち、衝撃で爆発する。深淵では秋口が特に危険。

食べられるか、とヴァンは聞いたが、食べる以前に近づいた時点で終わる。

なお、燃料としては非常に優秀だが、採取難易度はS級。

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