第2話「細胞が歓喜するスープと、丸太の足でトイレに行く朝」
翌朝、俺は体が軽いことに驚いた。
昨日まで真っ二つだった体とは思えない。むしろ、生まれてから一番調子がいいんじゃないか。そんな気さえする。
だが。
腹が。
猛烈に、腹が痛い。
内臓を直接握り締められているような、経験したことのない種類の腹痛。これはまずい。非常にまずい。
俺はベッドから飛び起き――
――いや、その前に。なぜ俺がこんな状況になったのか、昨日の出来事を振り返らせてほしい。
◇
時間は昨日の夜に遡る。
オリーゼの手術が終わり、俺が自分の足で立てることを確認した後のこと。
「そういえば、お腹は空いてる?」
「空いてます。めちゃくちゃ」
真っ二つにされて繋ぎ直されたのだ。体力を消耗しているに決まっている。
「じゃあ、食堂に行きましょう。大したものはないけど」
そう言ってオリーゼが歩き出した時、俺はふと気づいた。
部屋の隅で、小さな何かが動いている。
身長は30センチほど。ずんぐりとした体型で、二頭身。革と布を縫い合わせたような体で、先っぽが垂れた三角帽子を被っている。顔には……顔と呼んでいいのか分からないが、点と線だけの笑みのようなものが赤い糸で刺繍されている。そして、手には小さなモップを持っている。
「……あの、オリーゼさん」
「ん?」
「あれ、なんですか? 手術中もなんかいた気がするんですけど」
オリーゼは俺の視線を追い、ああ、という顔をした。
「コビトよ」
「コビト」
「正式には『顕霊小人』。革と布で作った人形に霊珠を仕込んで、霊法で魂の力を与えたものよ。お手伝いをしてくれるの」
見ると、そのコビトは床をモップで拭いている。ただし、動きは緩慢で、時々止まっては虚空を見つめている。サボっているようにしか見えない。
「……あの、サボってるやついますけど、いいんですか?」
「そういう魂なのよ。最低限の仕事はしてくれるから、それでいいの」
魂って。いや、よく分からないが、そういうものなのか。
「300年くらい前は、街のいたるところにいたんだけどね。今は見ないのかしら」
300年。
今、300年って言った?
「……オリーゼさん」
「何?」
「同い年くらいだと思ってたんですけど、何歳なんですか?」
「正確には覚えてないわ。前に数えた時は300は超えてたけど、前に数えたのがいつだったか忘れちゃった」
さらりと言われた。見た目は20代前半にしか見えないのに。
「あと、コビトには気安く触らない方がいいわよ。怒ると面倒だから」
「はあ……」
よく分からないが、とりあえず頷いておいた。
◇
食堂に案内された。
木製のテーブルと椅子。壁には棚があり、瓶詰めの食材が並んでいる。研究室のような雰囲気は手術室と同じだが、こちらの方が生活感がある。
「ちょうど色々切らしてたから、大したものはないの。茸のスープとご飯と漬物ね」
オリーゼがテーブルに料理を並べていく。
湯気を立てるスープ。白い飯。そして、何かの野菜の漬物。シンプルだが、真っ二つになった直後の俺には十分すぎるほどのご馳走だ。
ただ、スープの中身が気になった。
「……あの、オリーゼさん。このスープ、光ってるんですけど」
スープの中には二種類の茸が入っていた。一つは真っ黒で、シメジのような形状。もう一つは半透明で、エリンギに似た形をしており、かすかに発光している。
見たことがない。当たり前だが、表層社会でこんな茸は売っていなかった。
「黒い方は闇みたいに光を吸い込んでるし……」
「食べたことはともかく、見たこともないの?」
「ないです。……これ、死にませんよね?」
「私が調理したもので死んだ人間はいないわ。たぶん」
たぶんって言ったぞこの人。
普通ならここでスプーンを置く。だが、スープから漂ってくる香りが、俺の理性とは別の何かを猛烈に刺激していた。
頭は「怪しい」と言っている。だが、胃袋が「食わせろ」と暴動を起こしている。
ええい、ままよ。どうせ一度死にかけた身だ。
俺がスプーンを手に取ると、オリーゼが説明を始めた。
「黒いのは『ヤミシメジ』。正式には魔黒茸。魔素を含んでいるわ。光を嫌う性質があって、見つけるのが難しいの」
「光ってる方は?」
「『ツキヒカリタケ』。正式には霊光茸。こっちは霊素を含んでる。月光が差す場所にしか生えないの。面白いことに、ヤミシメジは霊光茸の近くに生えることが多いのよ。霊光茸が周囲の光を吸収するから、その影を利用してるみたい」
魔素、霊素? 聞いたことない言葉がまた増えた。
「じゃあ、明日はお腹を壊すかもね」
「え?」
「まあ、食べてみなさい」
不穏な発言を聞き流しつつ、俺は覚悟を決めてスプーンを口に運んだ。
その瞬間――世界が変わった。
舌よりも先に、胃袋が熱くなるのを感じた。
「なんだこれ……」
体中の細胞が「もっとよこせ」と悲鳴を上げているようだ。
美味い。めちゃくちゃ美味い。いや、美味いというより――
「体が欲しがってる……?」
「そうでしょうね。表層社会では魔素も霊素も摂取できないようだから、あなたの体は飢えてたのよ」
「魔素、霊素? さっきの魔氣とか霊氣とは違うんですか?」
「魔氣や霊氣を生み出すための栄養素よ。あなたたちの体にも魔法回路はあるのに、燃料がなければ動かないでしょう?」
なるほど。つまり、俺の体は燃料切れだったわけか。
手が止まらない。喋りながらも、スプーンが勝手に動く。スープを口に運び、飯を掻き込み、漬物を齧る。
悔しい。光る茸だの闇の茸だの、見た目は完全に毒物なのに、めちゃくちゃ美味い。
「この出汁の味、なんですか? 飲んだことない味なんですけど」
「味噌よ」
「味噌……?」
「味噌も食べたことないの?」
ないです、と答えながら、俺はスープを飲み干した。
オリーゼは何か考え込むような顔をしていた。
「今の表層社会には、私がいた頃のものは何が残っているのかしらね……」
その呟きは、俺に向けたものではなさそうだった。
ふと、オリーゼの手元に目が行った。彼女は黒々とした液体が入ったグラスを持っている。
「その飲み物、なんですか? まさか酒とか」
「酒みたいなものね」
「少しもらったり……なんて」
「別にいいけど」
オリーゼはグラスを俺の方に差し出した。
「たぶん死ぬわよ?」
「……え?」
「高濃度の魔素液よ。今のあなたが飲んだら、胃が魔素中毒で爆発するわね」
差し出されたグラスから、異様な香りが漂ってくる。嗅いだだけで頭がクラクラする。
「……匂いだけで酔いそうです」
「賢明ね」
オリーゼはグラスを引っ込め、一口飲んだ。
「私はさっきの手術で魔氣を大量に使ったから、補給してるの。慣れればあなたも飲めるようになるわ」
……いつか飲めるようになるのか、これ。
正直、ちょっと楽しみかもしれない。
◇
食事を終え、オリーゼに連れられて廊下を歩く。
石造りの壁。等間隔に並ぶ燭台。そして、あちこちで働いている――あるいはサボっている――コビトたち。
一人は棚の埃を払っている。一人は窓枠に座って足をぶらぶらさせている。一人は壁に向かってぼーっと立っている。
……本当に仕事してるのか、あいつら。
そんなことを考えながら角を曲がった時だった。
目の前に、見覚えのある姿があった。
体長2メートル。硬質な鱗に覆われた体躯。裂けたような口。
俺を真っ二つにした飼い竜。
「――っ!」
反射的に身構える。体が勝手に後ずさりしようとする。
だが、竜は襲いかかってこなかった。
代わりに、「クルル」と喉を鳴らし、俺に擦り寄ってきた。
「え?」
困惑する俺の頬を、ザラザラした舌が舐めた。
「ちょ、やめ……うわ、くすぐったい」
オリーゼが説明した。
「リュートは賢いわよ。『切っていい対象』と『ダメな対象』は私が更新したから、安全よ」
「更新制なんですか……」
あの時の俺は「切っていい対象」だったわけだ。そりゃ真っ二つにもなる。
リュートは俺の腰のあたりに頭を擦り付けてきている。甘えているように見えなくもない。
……まあ、食われるよりはマシか。
俺は恐る恐る、硬い鱗に覆われた頭を撫でてみた。
意外と温かい。そして、なんだか嬉しそうに目を細めている。
「なんか、懐かれてません?」
「新しい同居人として認識したんでしょうね。良かったわね、餌じゃなくて」
「全然良くないです。体を半分にされた事、根に持ってますからね」
そう言いながらも、俺の手はリュートの頭を撫で続けていた。
「ふふ」
オリーゼは楽しそうに笑った。リュートは満足したのか、俺から離れてどこかへ去っていった。
◇
廊下と階段を抜け、ある部屋の前で立ち止まった。
「ここが今日からあなたの部屋よ。好きに使って」
扉を開けると、シンプルな部屋が広がっていた。ベッド、机、椅子、棚。最低限の家具が揃っている。
「必要なものがあったら言って。用意できるかは分からないけど」
「ありがとうございます」
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
オリーゼが去り、俺は一人になった。
ふう、と息を吐く。濃い一日だった。真っ二つにされて、繋ぎ直されて、下半身が換装可能になって、茸のスープを食べて、竜に懐かれた。
ベッドに倒れ込もうとした時、机の上に何かがいることに気づいた。
コビトだ。
体育座りをして、あの刺繍の笑みをこちらに向けている。
オリーゼに「触らない方がいい」と言われたことを思い出す。だが、スープの余韻で少し気が大きくなっていたのか、俺は魔が差した。
そっと手を伸ばし、コビトの頬をつついた。
ぷにっとした感触。革と布の間に何かが詰まっているような、不思議な弾力。
おお、意外と柔らか――
次の瞬間、視界に星が散った。
「いっ――!?」
殴られた。思いっきり。しかも一発じゃない。連打。顔面に連打。
「くっそ痛い! ちょ、待っ……いや待て、布の手なのに拳が石みたいに重いぞ!?」
止まらない。コビトは無表情のまま、俺の顔を殴り続けている。
騒いでいると、扉が開いてオリーゼが戻ってきた。
「何やってるの?」
「た、助けてください!」
「……ほどほどに思いっきり遊んであげなさい」
その言葉を聞いて、俺は絶望した。
オリーゼは俺ではなく、コビトに言っていた。
しこたま殴られた後、コビトは満足したのか大人しくなった。そして、俺の隣にちょこんと座り、そのまま眠り始めた。
なんなんだこいつ。
顔面がジンジンする。だが――
……いや、待てよ。
最初はただの暴力かと思ったが、殴られた場所がじんわりと温かい。むしろ、マッサージを受けた後のような爽快感すらある。
こいつ、もしかして加減してたのか? それとも、ツボを狙って殴ってた?
隣で寝息を立てているコビトを見る。相変わらず、あの張り付いた笑みの刺繍のままだ。
……まあ、いいか。悪い気はしなかった。
疲れ果てた俺は、そのまま眠りに落ちた。
◇
――というわけで、俺は今、トイレにいる。
翌朝。体が軽いことに驚いたのも束の間、猛烈な腹痛に襲われてトイレに駆け込んだのだ。
そして、もう一つ。
俺の下半身が、昨日と違う。
「出し切った?」
トイレの外からオリーゼの声がした。
「……出したものが薄ぼんやり光ってたんですけど」
「霊素は物質に定着しにくいから、消化しきれずに排出されたんでしょう」
「蛍になった気分です……」
「消化力が追いついてない証拠ね。ここで暮らすなら、しばらくはお腹を壊すのは諦めなさい」
そういう問題じゃない。いや、それも問題だけど。
「それよりこの下半身、なんなんですか!?」
俺は叫んだ。
俺の腰から下が、木になっている。
文字通り、木だ。樹皮に覆われた、丸太のような足。しかも、勝手にピクピク動いている。
扉の向こうからオリーゼの声が返ってきた。
「リハビリとトレーニングよ。まずはその足で歩く訓練をするわ」
「いや、説明になってないです! なんですかこの丸太! トレントの足ですか!?」
「あながち間違いじゃないけど、失礼ね。『デンドロイド』と言いなさい。私の傑作の一つよ」
まあ、今朝初めて作ったのだけれど、それは黙っておこう。
デンドロイド。聞いたことない単語だ。
「あなたの根っこの属性は空でしょ? その義足には木人の樹の魔法回路をベースに、旧式の自律型補助駆動回路を焼き付けてあるの。空属性で干渉して動かすことで、魔法回路の使い方を体で学べるわ」
「……いつの間に付け替えたんですか」
「あなたが寝てる間に」
勝手に。俺の下半身を。寝てる間に。
「あと、今朝採ってきたばかりで新鮮だから、少し勝手に動くかもしれないわね」
「だからピクピク動いてるんですか……」
「それにしても、よくトイレまで歩いて来れたわね。才能あるかも」
確かに、腹痛の勢いで考える余裕がなかったとはいえ、無意識のうちに動かせていた。
俺の意思より先に、俺の腹痛事情を理解して動いてくれたのか、この丸太。
……悔しいが、ちょっと優秀かもしれない。
「足は用途に合わせて付け替えればいいの。これはあくまで訓練用よ」
「用途に合わせて……」
「水辺用、山岳用、戦闘用。必要なら作ってあげるわ」
なんだそれ。便利すぎないか。いや、怖いけど、ちょっとワクワクする。
トイレから出ると、オリーゼが待っていた。
「さ、朝食の前にまずは歩行訓練よ。その足を自分の意思で動かせるようになりなさい」
「……茸のスープは出ますか?」
「出るわよ」
「頑張ります」
俺はピクピク動く丸太の足を引きずりながら、廊下へと踏み出した。
深淵での生活、二日目。
前途は多難そうだが、少なくとも退屈はしなさそうだ。
……というか、もう楽しくなってきたかもしれない。
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第2話「細胞が歓喜するスープと、丸太の足でトイレに行く朝」 ―― 了 ――
【あとがき】
デンドロイド義足は、木人の素材から作られている。
内部に樹の魔法回路が通っており、空属性で干渉して動かす仕組み。
なお、「今朝採ってきたばかりで新鮮」だとピクピク動く。
オリーゼは傑作と言い張っているが、初代の見た目は完全に丸太である。




