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273 有栖川をたずねて三千里(1)

 ワトソンの葬式をすませた翌日。

 忙しさで悲しさを上書きするように、俺たちは荷物を整理していた。


 キャットタワーを分解する。

 猫用トイレをゴミに出す。

 未開封のワトソンの餌は知人にゆずる。


 ほこりっぽい空気を入れ替えるため、ベランダの窓を開けた。

 目の前にはゴチャゴチャした神田の街並みが広がっている。


 便利とはいえない土地だ。

 牛丼チェーンとか、ドラッグストアとか、コンビニとか、ラーメン屋ばかり充実していて、道路には不衛生なオーラが漂っている。

 有名な蕎麦屋があるけれども、インバウンド需要のせいで長時間待たないと入れない。

 何をするにもお金がかかる。


 それでも……。

 オススメ度は『★☆☆☆☆』だけれども。

 サラリーマンの汗が染み込んで、染み込んで、染み込んで、夢の欠片もなさそうな土地だけれども。

 神田という場所が嫌いになれなかった。


「そろそろいこっか?」

「俺が荷物を持つよ」


 今日は三連休の中日。

 いくらカノープスとはいえ、出社している社員は多くない。

 地下鉄に揺られて渋谷へ向かい、ビル17階のドアを抜けて、社長室の扉をノックした。


 カバンに忍ばせているのは退職届。

 儀式みたいなものだが、差し出す瞬間は緊張する。


「これを」

「たしかに受理しました」


 大人っぽくなった流川は、髪をミディアムの長さに整えており、中性的な顔だちに成長していた。

 勝気そうな瞳を見ていると『幼TECの王』と呼ばれていた時代を思い出す。


 見かけは凛々しい女の子。

 なのにカノープス帝国を束ねている。

 辛いことも、悲しいことも、俺たちの何倍も経験しているだろうが、いつも涼しい顔をして社長の椅子に座っている。


 机の上にペルシャ猫の写真を見つけた。


 初代ペルちゃんだ。

 美しい毛並みが自慢だった。


 昨年に老衰で亡くなっており、いまは二代目ペルちゃんが活動している。


「瀬古先輩と須田くんは、もっと早くに退職すると思っていました」

「みんなが巣立っていくのを見届けようと思ってね」

「それで最後まで残られたのですか。瀬古先輩らしい」

「慰留してくれてもいいんだよ」

「ご冗談を。引き留めたくらいで残る瀬古先輩なら、それはもう私が知っている瀬古先輩ではありません」


 流川は三人前のデリバリーうな重をオーダーしていた。

 俺もいのりも大好物なので、ありがたく頂戴することに。


「これからの予定は?」

「みんなに会いにいくかな」

「世界中に散っているのでしょう。日本に残っているのは、加賀美さん、雪森さんだけと聞きました。お二人もそれぞれ関西と東北にいるのでは?」

「うん。だからマンションを掃除してきた。留守が長くなるから、メノウに管理を委ねるよ」


 これから俺たちは旅に出る。

 かつての同僚たちに会いにいく、たったそれだけの旅だ。


 ただ一人、有栖川の所在地が分からない。

 ずっと家には帰っておらず、現在進行形で国から国へと飛び回り、ときどきSNSを更新している。


「湿っぽい挨拶は抜きでいきましょう。瀬古先輩のこれからの活躍、楽しみにしています」

「流川は毎日が真剣勝負なんだろう。困ったときは私やあすかに連絡してくれよ。同じ釜の飯を食った仲なのだから」


 いのりと流川が握手をする。


「そして須田くん。瀬古先輩を支えてくれてありがとう。私には龍造寺くんがいるから理解できる。心のパートナーがいなければ、人間の実力は、その半分も発揮されない」

「俺の方が恩恵を受けています。よく仕事のアドバイスをもらいますから」


 流川は白い歯を見せて笑った。


 ……。

 …………。


 レンタカーで秋田県の乳頭温泉郷へやってきた。

 ダッシュボードの上には、俺といのりとワトソンの写真が飾ってある。


 いのりは助手席でくうくう寝ている。

 信号待ちのとき頬っぺたを突いてみたが、まったく反応がない。


 すると悪戯心がむくむく湧いてきて、Cカップに成長した胸を突いてやろうかとも思ったが、バックミラーの自分と目が合い、悲しくなったので自重しておいた。


 いのりは大食らいのくせに細身なのだ。

 自己申告によるとB寄りのCカップらしいが、本当はD寄りのCカップじゃないかと、俺は勝手に予想している。


「到着したよ」

「……うんにゃ」


 旅館にチェックインする。

 露天風呂付きの部屋でゴロゴロする。


 いつも泊まるのはこの部屋と決めており、窓の景色とか、床の痛みとか、前回のときの記憶が蘇ってくる。


「瀬古さん、須田くん、ようこそ雪森旅館へ」


 若女将がわざわざ挨拶しにきてくれた。

 トレードマークのお団子ヘアが、和装のコスチュームによく似合っている。


「雪ちゃん!」


 いのりが仲良し姉妹のようにハグをした。


「お久しぶりです」


 雪森がにっこり破顔する。


「……」

「どうしました?」

「ねぇねぇ、雪ちゃんの背は伸びた?」

「まあ……人並みには……」

「比べっこしようよ!」


 二人がピタッと背中を合わせたので、俺が測ってあげると、いのりの方が1cmほど大きかった。


「やった! 雪ちゃんに勝った!」

「ずっと昔は、私の方が大きかった記憶がありますが……」

「雪ちゃんは秋田美人だから、ちょっと小さい方が可愛いんだよ!」

「でも高いところの荷物を取るのが不便なんですよね……」

「どんどん周りに頼ればいいんだよ。将来の女将なのだから!」


 今日のいのりは饒舌(じょうぜつ)だ。


 ちなみに幼女株式会社で圧倒的に小さかったのは姫井。

 なのだが、カノープスに移籍してから成長期が来たらしく、いのりの身長を抜いてしまった。


(姫井ママの背は高かった記憶がある。クリスティナも女性にしては高身長なので、一族の遺伝子なのだろう)


「旅館のお仕事は? 夜までずっとなの? 明日もお仕事?」

「団体さんが一組おりまして、宴会の料理を出し切ったら、私は休憩に入ります。お母さんにお願いして、明日は非番にしてもらいました」

「だったら、今夜遊ぼうよ。三人でゲームしたいな」

「いいですよ」


 三人でアクションレーシングゲームをして遊んだ。

 互いの実力が伯仲しており、毎回順位が入れ替わるので、飽きずに何時間でもプレイできた。


「幼女コレクション、そろそろ10周年ですね」


 雪森がポツリという。


「最盛期はとうの昔に終わったけれど、まだまだ現役ユーザーは多いよね」


 社長が重ねる。


「連続ログイン3,000日超えのプレイヤーもいますから。これは偉業です。表彰すべきです」


 俺はしみじみという。


「私も毎日ログインしていますが、他の皆さんも現役でしょうか?」

「うん! あすかも、姫ちゃんも、加賀ちゃんも、涼くんも、アリスも毎日プレイしているよ! もちろんマサくんもね!」

「今週のバトルアリーナ、いのりが一位だね」

「むっふっふ。元ゲームマスターとして、時々一位を取らねば」

「アカウント名が《社長〜♪》というやつですっけ?」

「この人、まだ社長だったことに未練があるんだよ」

「いいじゃん! 別に!」

「でも、私、カノープスに移籍した当初は呼び方を変えるのに苦労しましたよ。三ヶ月くらい『社長』『社長』と呼んでいた気がします」

「人徳ですな」

「うむ、私の人徳なのじゃ」


 おしゃべりしながら寝落ちして、気づいたら朝になっていた。


 トイレで用を足す。

 手を洗ってから顔も洗う。


 別の布団ではいのりと雪森が互いの指を絡めたまま気持ちよさそうに寝ていた。


 秋田で暮らしているせいか、雪森の肌は白雪のように美しく、朝日をまぶしく反射している。


 まずは一人。

 これから残りのメンバーにも会いにいく。

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