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271 社畜の証=ネームプレート

 いのりは怒っていた。

 コーヒーマシンの前で、腕組みをして、ふくれっ面をつくり、ぷりぷりに怒っていた。


 その左腕には『カノープス労働環境クリーン委員会』という腕章が巻かれている。

 社長から平社員という出世街道の逆走を成し遂げて、やる気を失っているいのりのため、


『役職をでっち上げればモチベーションが上がるのでは?』


 と考えた流川が、超テキトーに立ち上げたポストなのである。


 流川はとても忙しい。

 いちいち労働環境の相談まで処理できない。

 だったら瀬古先輩の知識と経験を有効活用しちゃおうか、という意図である。


「ここのコーヒーは……」


 ピシッと指を突きつける。


「はっきり言おう! 美味しくない! 安っぽいドリンクバーのコーヒー並みに美味しくない! 何より苦い! 苦いのはいいが、味にコクと深みがない! これをコーヒーと呼ぶなら、コーヒーの再定義をコーヒー業界に進言したい! ゆえに看過できない問題なのだ!」


 何を思ったのか、メモを片手にコーヒーマシンの近くをウロウロする。

 社員に声をかけて、コーヒーマシンの性能について、意見を集めているようだ。


「じゃじゃ〜ん! 33名の声が集まりました!」


 なんと87%が『コーヒーマシンの性能をあげてほしい』と回答していた。


『音がうるさい』

『抽出に時間がかかる』

『コーヒー液が飛び散る』

『味に不満がある』

 などなど多種多様な意見が並んでいる。


『あまりの不味さに空いた口が塞がりません。お腹が痛くなりました。あれを来客に振る舞うということは、毒を振る舞うのと一緒です。個人的には、金輪際利用したくないです』

 誰だ!

 失礼なやつ!

 と思ったら案の定、姫井であった。


 あと半分くらいは成人女性が利用していることも判明した。


「ドリップに時間がかかるのは由々しき問題だぞ〜。よし、時間短縮が生産性向上につながる、という流れで稟議書を出そう。1回あたり10秒の時短につながるとして、1日の利用回数が200回として、カノープス社員の単金っていくらだ? 平均年齢が若いけれども、1時間5,000円はあるよな……」


 考えること数分……。


「ダメだ! 時間短縮だけだと赤字だ! この稟議書は却下だ! では味がコンビニコーヒー級になると仮定して……というか、いっそのこと、コンビニに置いてあるコーヒーマシンをリースしちゃって……」


 労働環境を良くするのも大変そうだ。


 ……。

 …………。


 入社から一ヶ月が経った。

 瀬古いのりの立場がどうなったかというと、社内の人気者になっていた。


 一番ウケる特技は、なんといっても流川のモノマネ。


「敗者に用はない! 時代は勝者を望んでいる!」


 これが女性社員を中心に大ウケしたのだ。


「私は清濁併せ呑むタイプを志向していますので」


 毎日のように新種が登場しており、現在は18パターン存在する。

 思いがけない才能を開花させたといえよう。


「瀬古さん、最近モノマネに凝っているみたいっすね」


 エレベーターで乗り合わせたとき、龍造寺から茶化された。


「社員のあいだで話題っすよ。いつか流川さんに怒られないかな〜」

「よさないか、龍造寺くん。瀬古先輩の真価というのは、大いなる先見の明にあるのだよ」

「アッハッハ! 似ている! 似ている!」

「みんなの手前だ。見苦しいぞ、龍造寺くん」

「うわぁ〜、その発言は懐いっすわ〜」


 幼TEC EXPOの会場で盛り上がった時だな。

 あれから一年半が過ぎたのかと思うと、時間の流れの早さが怖くなる。


「でもいいな〜。瀬古さんは〜。偉そうに振る舞っても、可愛いで済むもんな〜。やっぱり人望っすね〜」

「むっふっふ」


 最初はカノープスという大所帯に戸惑ったけれども、みんな優しいし、社内の雰囲気は明るいし、満員の通勤電車にさえ目をつぶれば、とても恵まれた環境に思えてきた。


 ……。

 …………。


 昼休みになった。


 財布を手にした社長が俺の手をグイグイ引っ張ってくる。

 一秒でも早く外へ出たくて仕方ないようだ。


「まずは社畜の証、ネームプレートを外します!」


 ストラップごとポケットに突っ込む。


「社畜ガールいのりちゃんは、自由をこよなく愛するいのりちゃんに進化しました!」


 エレベーターで一階を目指す。

 外へ出たらたっぷり時間をかけて深呼吸。


「外の空気を胸いっぱい吸い込みます! ああ、素晴らしき自由の味! 会社という牢獄から脱出してやったぜぃ! これから狩りに出かけるぞぉ!」

「ビル一階にコンビニがありますけれど、日中はずっと混んでいますよね」

「うむ、チルド売り場も品薄だから、困りものなのだよ」


 お店を開拓することを『狩り』と俺たちは勝手に表現している。


 なんてことはない。

 カノープス社員にオススメのお店を教えてもらって、月曜日から金曜日まで、週に五件ずつチェックしているのである。


「この焼き野菜カレー、うまし! 甘口なのにスパイスが効いていやがる!」


 良かった。

 今日は大当たりのようだ。


「デスクに戻ったら、忘れずにランチ日記をつけねば! 社畜の証、ネームプレートを装着! これからカノープスに潜入捜査するであります! ニンニン♪」


 たまにカノープスの悪口をいうけれども、それは愛情の裏返しみたいなやつであって、会社と同僚に貢献できるよう頑張っている。


「17階の解錠に成功しました! これから流川の愛猫ペルちゃんとの接触を試みるであります! ニンニン♪」


 すれ違った女性社員が、微笑ましそうに見つめていた。


「瀬古さんって家でもあんな感じなのですか?」

「はい、猫と毎日会話しています。ずっと想像力を働かせていないと気が済まないようです」

「アイディアマンですね。企画書を出した本数、瀬古さんがダントツ一位なんですよ」


 すごいな。

 俺も同僚として負けていられない。

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