267 あったかミルクティー
十一月の寒い日。
温かいおでんが欲しくなる夜のこと。
お風呂から上がった俺は、ソファーのところで横になり、ぼんやりドキュメンタリー番組を観ていた。
『救命救急病棟144時間密着』というスペシャル番組で、『令和のゴッドハンド(神の手)』と呼ばれる名医に密着取材し、その仕事ぶりやドクター哲学に迫る激アツドキュメンタリーだった。
いま放映されているシーンは、ツアー会社の大型バスとタンクローリーの衝突事故があり、多数の怪我人が搬送されてくるクライマックス場面。
『自分の身内だと思って手当てするんだ!』
カリスマ医師の声が現場にこだまする。
眠い。
とにかく眠い。
令和のゴッドハンドには申し訳ないがメチャクチャ眠い。
会社を畳むと決めたとたん、通常業務に加えて、臨時業務が鬼のように発生しているのである。
もしクリスティナの手助けがなかったら……。
助っ人要請してくれた社長は、ぼんやりしているようでも、ちゃんと社員の負荷を把握しており、事務方クリスティナを呼んだのは英断といえた。
それにしても会社を畳むというのは辛い。
中でも気持ちが滅入ってしまうのは、取引先へのあいさつ回りだろう。
社長のお伴として手土産を持っていき、
「かくかくしかじかの理由で会社を畳むことになりまして、来年からの取引はカノープスへと引き継がれます」
と説明するのだけれども、
「まさか幼女株式会社さんが倒産するとは⁉︎」
と驚かれたり、
「いいですな。アーリーリタイアして田舎暮らしですか?」
と羨ましがられたり、
「カノープスから新しい仕事を回してもらえるよう、渡りをつけてくれませんかね。来年から受注が減ってしまって、しんどくて、しんどくて……」
と泣きつかれたり、世間話をするだけで半日が終わっちゃう時もある。
幼女株式会社としての取引は12月まで。
翌1月からはカノープスとして契約する。
社員が10人に満たない小世帯から、社員が200人以上もいる巨大カノープス帝国へチェンジするわけだから、
『作業単価を下げられないか?』
『納品物の要求レベルが上がらないか?』
戦々恐々としている経営者は多い。
(取引先とうまく共存共栄する、というのも俺たちの大切な仕事なのだと知った。これが違った形の会社合併なら、取引先に甚大なダメージを与えるところだった)
来年からの俺たちのミッションはただ一つ。
幼コレのアップデートを重ねて、幼コレのサービスを成長させていく。
その点について、流川は余計な口出しをしないと約束してくれたので、社長も経営権を手放す道を選べたのである。
そういやカノープスの始業時間は何時だった?
朝の9時だっけ? 朝の10時だっけ?
うちは遅刻してもペナルティがないけれども、カノープスでは減給の対象になるのだろうか?
家から渋谷のオフィスまで移動するのに約45分。
往復すると約90分。しかも満員電車付き。
キツイな……せっかく神田での生活に慣れたのに。
「にゃ〜ごろ♪」
ワトソンがトコトコ寄ってきて、俺のお腹の上にジャンプしてきた。
「いいよな、猫は。ワトソンに満員電車の辛さは理解できまい。よりによって渋谷行きだぞ。ハロウィンだろうが渋谷で仕事だからな」
猫缶ばかり食べてツヤツヤしている体を抱っこする。
(そんなことより、猫じゃらしで遊んでほしいにゃ)
「勘弁してくれよ。今日は疲れているんだ」
(ご主人様もそういっていたにゃ)
「今年いっぱいは忙しいからね」
(相手をしてくれないと寂しいにゃ)
「う〜ん、土日まで待ってくれたら、新しいおもちゃを買ってくるのだが……」
(猫の一年は人間の六年に相当するにゃ。そこら辺も考慮すべきにゃ。あと六年か七年したら、私はお陀仏になるにゃ)
「……たしかに」
一理あるなと思って、たっぷり遊んであげることにした。
ワトソンを飼い始めたのもセラピー効果が目的だったか。
社長を癒してくれるのは嬉しいのだが、最近は俺の方が癒されている気がする。
「よしよし、お前は可愛いな」
(もっと褒めるにゃ)
「社長の次くらいに可愛いよ」
(にゃにゃ⁉︎ あの子の方が可愛いのかにゃ⁉︎)
「いや……ワトソンはお婆ちゃん猫だし……寄る年波には勝てまい……」
怒ったワトソンに猫パンチされた。
これだからブルジョワ猫は……。
……。
…………。
とある寒い夜のこと。
社長が台所のところでコソコソと作業をしていた。
つくっているのはミルクティー。
頑張っている俺のため、愛情たっぷりの一杯を淹れてくれるらしい。
本当に献身的だよな。
前より女の子らしくなったな。
後ろから抱きしめたいな。
頭が疲れているせいか、好きのバロメーターが限界突破しそう。
「まずは電気ケトルでお湯を沸かします」
スイッチをポチると、100秒くらいでサッと沸騰している。
「続いてマグカップにミルクティーの粉末を入れます」
その上からケトルの中身を20ccくらい注いでいる。
スプーンでよくかき混ぜると、超特濃ミルクティーのできあがり。
「ここに電チンしておいた牛乳をたっぷり注いで……」
なるほど。
お湯だけで溶かすのではなく、牛乳ベースにしたから、ミルク濃度約2倍というわけか。
味を想像しただけでお腹がすいてきた。
早く飲んでみたい。
「マサくんに飲ませる前に毒味をせねば……」
ゴクゴクと味見。
「うんまいっ! たまりませんな〜!」
さらに味見。
「これなら100点満点だ! よしっ! 本番をつくるぞ〜!」
なんだと……。
一杯目は試飲用だったのか。
「あっ! 牛乳が全然足りない! なんてこった!」
おい、嘘だろ⁉︎
楽しみだったのに!
「メノウに電話をしよう……もしもし……夜分遅くに申し訳ないんだけれども……牛乳を150ccほど分けて欲しいんだよね……えっ⁉︎ いま神田のスーパーで買い物中⁉︎ 買ってきてくれるの⁉︎ やっほい! 今日の私はツイてるぜぃ!」
牛乳の他にも、冷凍焼きおにぎり、プリン、4個入り卵、スライスハムをお願いしている。
さりげなくプリンを混ぜるあたりが社長らしいといえば社長らしい。
デリバリーしてくれたメノウとクリスティナのため、お礼として特濃ミルクティーを振る舞ったところ、
『いままで飲んだミルクティーの中で一番おいしい!』
と大げさに褒めてもらって、社長は有頂天になっていた。
「ロイヤルミルクティーマイスターの資格を目指そうかな〜?」
本格的な喫茶店で修行しないといけないから、やめた方がいいと思う。
……。
…………。
とある寒い朝。
俺がウトウトしていると、自室のドアがそっと開いた。
「うぅ……寒いよぅ……寒いよぅ……」
社長がガタガタ震えながら俺の布団へ侵入してくる。
寒さで目が覚めてしまったらしい。
ピタッと触れてくる足の裏は氷水のように冷たかった。
「……体が冷えていますね」
「お願い……マサくん……私の体を温めて」
「別にかまいませんが……」
「ではでは、遠慮なく」
「…………」
太もも部分が一番のお気に入りらしく、布団と脚の隙間につま先を差し込んできた。
「ふぃ〜、足湯のような心地よさなのじゃ〜」
震えが止まって何よりである。
「…………」
「…………」
「……………………」
「……………………」
「トイレに行きたくなっちゃった」
「……」
「でもマサくんの布団から出たくない」
「……」
「……漏れそう」
仕方ないので、毛布でぐるぐる巻きにして、トイレの前まで運んであげる。
「なんか誘拐される女の子みたい」
「本当に誘拐したくなるので冗談はよしてください」
「私を誘拐して何する気なの?」
「そうですね。『いのりちゃんの好きな人は?』『それはマサくんだよ!』という茶番に付き合ってもらって、心拍数を上げて、体温も上げて、今日の寒さを乗り切りたいですね」
「なんか楽しそう!」
社長はきゃっきゃと笑ってからトイレの扉を閉めた。
「私はマサくんが大好きなのさ〜♪ トイレにも付き合ってくれるのさ〜♪」
「……」
歌ってくれるな。
激しく照れるから。




