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266 十一月とエゴイスト

 会社が終焉する日は二回ある。


 一回目は終わることが確定した日。

 何らかの契約書にサインした日など。


 二回目は実際に終わる日。

 最終営業日のことである。


 11月1日。

 社長と俺は新幹線に揺られていた。

 これから会社を解散させるため、大枠のルールを決めるべく、関係者が名古屋のホテルに集まるのである。


 東京と大阪の中間だから名古屋にしよう。

 シンプルな理由でロケーションは決定された。


 今日の社長は笑わない。

 一年でもっとも笑わない。

 精神がメッタ打ちにされているようにも映ったし、神宮寺のため心を鬼にしているようにも映った。


「社長、お茶でも飲みますか?」

「うん、ありがとう」


 ペットボトルの緑茶をあげた。

 この世界一不憫(ふびん)なドリンクは、名古屋駅につくまでに、中身を一ミリも減らすことができなかった。


 新幹線を降りてホテルへと向かう。

 名古屋駅の真上という、この上ないロケーションなので、雑多な街中を移動しなくてもいい。


「お待ちしておりましたよ、いのり社長。こちらです」


 ロビーのところで待っていたのは雲雀さん。

 お似合いの黒スーツが今日も格好いい。


「社長と名乗れるのも残り二ヶ月になっちゃいましたね」

「…………」

「その若さで会社を二回も畳むなんて、ある意味、ご立派ですよ。英雄というのは若いときに何回か大敗北を喫するものです」


 今日の雲雀さんはやけに挑発的だ。

 これもお母様の意思なのだろうか。


「幼女株式会社を存続させる方法、教えて差し上げましょうか?」

「…………」


 社長は相変わらず無口だったが、視線の動きまでは隠せなかっな。


「少しは興味があるようですね。方法は二つあります。一つは処女のごとき策。もう一つは猛牛のごとき策。どちらも確実ですよ」

「どうして私に入れ知恵なさるのです?」


 これは当然の疑問だ。

 雲雀さんはお母様の分身と呼べる存在なのだから。


「だって、酷いじゃないですか。元々、シイナさんを一年の任期で引き揚げさせる計画だったのですよ。幼女株式会社の命綱を握ったも同然です。初めからカノープスに売りつける気だったとしか思えません。我が子に対する仕打ちにしては、あまりに酷い。いのり社長は同情されてしかるべきです」

「私はそうは思いません。親族だからといって手心を加えてもらうのは、むしろ不本意です」

「なるほど。ご立派です。その気骨と実直さ、血は争えませんね」


 雲雀さんが苦笑いしたとき、エレベーターが最上階についた。


「会社を延命させる二つの策について、いちおう耳に入れておきます。気に入らなければ、独り言と思って聞き流してください。一度しか説明しませんよ」

「…………」


 どちらも魅力的なアイディアだった。

 お母様を動かせそうな威力がある反面、我が身まで滅ぼすような毒も含んでいる。


「こちらの部屋でお母様がお待ちしております」


 スイートルームのロックを解除してもらう。

 毛足の長いふかふか絨毯(じゅうたん)の先に、高級感あふれる応接室があり、お母様が一番遠い椅子に腰かけていた。


 こうして会うのは約半年ぶりだ。

 京都までワトソンを迎えにいった日以来となる。


「いのりさん、よく今回の決断をしましたね。24時間以内に覚悟を決めるなんて、正直いうと驚きました。とてもお辛いでしょうけれども、あなたが誠実さを捨てない限り、この勇気ある決定を誇りに思える日が必ず来るわ」


 相変わらず若々しい。

 今日は水色の和服を着ており、もぎたての果実のような、女性としての瑞々(みずみず)しさが溢れている。


「誠琴さん、お二人に紅茶を淹れて差し上げて」


 背景のように立っていた人物、かつて瀬古誠二郎と名乗っていた女性が、ワゴンごとティーセットを転がしてきた。


「フレーバーが16種類あるのですが……アールグレイでよろしいでしょうか?」


 困ったような笑顔とぱっつん前髪がとてもマッチしている。


 姫井ほど紅茶に詳しくないので、素直にうなずいておいた。


(さかい)の工場でトラブルがあったようです。責任者と電話してきますので、いったん失礼いたします」


 二人分の紅茶を用意すると、誠琴はすぐに退室してしまう。


「彼女、とてもよくできた人だわ。判断力、学習能力、リーダーシップ、どれをとっても申し分ないの。人望もあるから、周りの模範となれる。何より若くて美しい。(とげ)がないバラのような美しさかしら。シイナさんとは別の意味で魅力的なのよ」


 お母様はおいしそうに紅茶を飲んだ。

 笑うと少女のような愛嬌がある。


「昨日ね、シイナさんが電話口でゴネてきたわ。もう少し幼女株式会社にいたいそうね。直接は表現してこなかったけれども、言葉の端々から伝わってきたの。あなたと、あなたの会社と、そこで働く人たちが好きなのね。……あのシイナさんが、ね」


 シイナがお母様に楯突いたのは初めてらしい。

 幼女株式会社を存続させた方が、瀬古コンツェルンの利益になる、と力説したそうだ。


 しかしお母様は訴えを却下した。


「確証がないから。これが理由の一つ。好きという感情は、時として、希望的観測を生んでしまう」


 決定的なのはもう一つの理由。


「この世の利益を最大化するため。シイナさんは社長職に復帰して、幼女株式会社はカノープスに吸収されるべき。それがいのりさんの利益を最大化させる道でもあるの。流川マキという強力なリーダーのもとで、これからの生き方について真剣に考えなさい。自分は何をすべきなのか。自分は何がしたいのか。答えを急いではダメ。周りに流されてもダメ。自分の頭で本気で考えるのよ」


 社長の未来には無数のオプションが用意されている。


 サラリーマンとして人生を全うするのか。

 起業家として戦線に復帰するのか。

 カノープスに再戦を挑むのか。

 あるいは瀬古コンツェルンに合流して、メノウ、誠一郎、誠琴、シイナ、クリスティナたちと一緒に生きるのか。


 社長の椅子を失ったからこそ見える景色がある、とお母様はいう。


「どうせ数年は無理がきかない体なのだから。サラリーマンを経験しておくのも人生の無駄にはならないわ」


 それから数分話したとき、コンコンと部屋をノックする音がした。


「流川社長がお目見えになりました」


 秘書のお姉さんを連れた流川が入室してくる。

 これで今日の役者が揃った。


 ……。

 …………。


 お母様、社長、流川による会談は、およそ二時間で終わった。

 あらかじめ財務諸表などをシェアしており、認識の相違らしいものは目立たなかった。


 もっとも時間をかけたのは株式交換比率のところ。

 長々と話し合った結果『幼女株10株』と『カノープス株2株』または『現金等価物(社債など)』を交換することに決まった。

 カノープスが支出するキャッシュについては、瀬古コンツェルン系列の銀行が貸し付ける。


 幼女株式会社としての活動は12月31日まで。

 1月1日から俺たちはカノープス従業員として雇用される。

 ちなみに『幼女株式会社』という名称はカノープス保有の『ブランド名』として存続させる方針だ。


 来年からカノープスの株主名簿には『瀬古いのり』の名が第二位の株主として載ることになる。

 とはいえ大部分の株式は流川が握っており、社長も経営に口出しする意向はないので、典型的な『物言わぬ株主』として過ごすだろう。


(成長著しいカノープスであるが、この先10年か20年は無配当だと思われる。たくさん株を持っていても、現在のところ、社長は1円たりとも受け取れない。当然、カノープスが倒産すると紙くず同然になる)


 社長からのリクエストは一点だけ。

 処理を円滑に進めるため、事務方としてクリスティナの助けを借りたい、という要求だった。

 これをお母様はあっさり了承、メノウさんとクリスティナさんには私から伝えておきます、といって明日からでも動けるように調整すると約束してくれた。


「瀬古先輩に報いるためにも、いつか株式を上場させてみせます」


 流川が強く断言する。


「そうこなくっちゃ。私たちも投資妙味がありませんから」


 お母様がおどけたように笑う。


 株式とは会社そのものだ。

 カノープスの株主名簿が更新されることで、『流川マキ』のものだったカノープスは、『流川マキと瀬古いのり』のカノープスへと形を変える。


 瀬古先輩と一緒に会社を……。

 かつての流川の願いは、本人すら忘れかけた時に達成される。


 ……。

 …………。


 帰路につく前。

 雲雀さんと少しだけ立ち話をした。


「どうして私の策を採用しなかったのです?」


 社長は考える仕草をする。


「そうですね……」


 この()におよんでも幼女株式会社を生き永らえさせる手段はあった。

 社長はそれをあっさりと捨てた。


 処女のごとき策。

 株式の半数をお母様に引き渡して、瀬古コンツェルンの一員として生きていく。

 シイナの続投、またはシイナに代わる人材の獲得が望めただろう。


 猛牛のごとき策。

『メノウの母親の秘密』を盾にとり、お母様から最大限の譲歩を引き出す。

 こちらもシイナの続投が望めたかもしれない。


 どちらも社長のポリシーに反していた。

 一緒に暮らしている俺なら理解できる。


「もし私の我がままで会社を存続させてしまったら、きっとこの先、我がままに我がままを重ねて会社を存続させようとするでしょう。私はその行き着く先に地獄絵図にも似た景色をイメージしました。会社は手段であって、目的ではないのです。誰もが陥りやすい罠に、あと一歩で陥るところでした。雲雀さんのおかげで少しだけ賢くなれた気がします。感謝します」

「なるほど。エゴを断ち切ったと。お見事です。やはり血は争えませんね」


 雲雀さんは指でOKサインをつくる。


「合格です」


 そうか。

 これはテストだったのだ。


「お行きなさい。若きライオンの子よ。崖から這いあがる度に強くなるのだから。今日のあなたは、昨日のあなたよりも強い」


 雲雀さんの入れ知恵に見せかけたお母様からのテストに社長は合格したのだ。

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